たとえ一輪であったとしても、その姿を見て、野に咲く花の様子を想起させることが大切であることを説いています。
つまり、本質とは何かを追求し、余計なものを省くほど、その魅力がより伝わるということです。
■ふうっ!なるほどねえ。
「一椀のお茶から笑顔の輪を」の解説を読んでみた。
茶道では、亭主がその日の茶会に対する想いを込めて掛け軸を選び花を生けます。
そして、茶席を彩るお道具やお抹茶とは異なり、唯一「命」があるお花。
季節を表すだけでなく、同じ花には二度と会えない、まさに一期一会の大切な役割を果たしているのです。
千利休の教えでは「花は野にあるように」とあります。
即ち、フラワーアレンジメントのように美しく盛り付けるものではなく、まるで自然の中に咲いているような花本来のありのままの姿を表現するため、「投げ入れ」という様式で生けるのが原則とされています。
投げ入れには華道と違って型はなく、予め頃合いに切った花を手で一度に花入れに入れます。このように、花を「入れる」という表現を茶道では使います。
咲き誇る花よりも、控えめな蕾の状態のものを使います。
亭主は、その日のお茶会の趣向やお茶席の雰囲気に調和し、かつ旬の季節感を茶室に表現するために茶花を選びます。
招かれたお客様は、その季節感あふれた自然な美を楽しみ、亭主の心づかいに感謝し、同時に命や時の流れを感じていきます。
■もう一度、噛み締めてみます。
利休七則にある「花は野にあるように」が意味するのは、花が野に咲いていたときのように活けなさいということではありません。 たとえ一輪であったとしても、その姿を見て、野に咲く花の様子を想起させることが大切であることを説いています。 つまり、本質とは何かを追求し、余計なものを省くほど、その魅力がより伝わるということです。