■恐縮ですが、うちのかみさんの実家がお寺なので、世界観を紹介します。
同じ人間でありながら、ニューヨークのド真ん中に生まれる者もあれば、南方のジャングルの中に生まれる人もあります。
同じ日本に生まれても、江戸時代に生まれた人、明治に生まれた人、昭和の者やら平成の者やら、戦前・戦後でまた運命は異なりましょう。
そして不遇な運命を、ウラミ、ノロイ、苦しみ悶えているのです。
このように考えてみますと、人間の運命ほど不可解なものはないと、思われるのもおかしくはありません。
こんなところから、宇宙神秘説や人間運命論などが発生いたします。偶然になったことだとウソブク者もいますし、神さまの命令によってなったのだと言う者も出てくるわけです。
しかし、偶然とは無知の代用語ですし、神さまをかつぎ出すのは、未開人のなごりですから問題になりません。
親鸞聖人は、仏教の三世十方を貫く峻厳な因果の道理に立脚して、永遠不滅の業の存在を教え、私たちの運命は、一人一人の過去に造った業によって生み出されたものであると教えられます。
業とは、私たちの身、口、意によってなされる行為をいいます。
過去の私たちの行為のよしあしが、現在の私たちの運命という結果をつくった原因なのです。
すなわち、自己の現在の運命を生み出したものは、かつて自己の意志によってなされた行為なのです。
善因善果、悪因悪果、自因自果の鉄則の通りに、まいた種は必ず生えるし、まかぬ種は絶対に生えないのです。
ゆえに、親鸞聖人の教えを聞き、真実の仏法に生かされたならば、悪い運命に立ち向かえば、自己の過去の悪い行為を懺悔し、善い運命に恵まれれば、仏祖の加護(※)に感謝して、より精進するように努めずにおれなくなってくるのです。
※)仏祖の加護…弥陀・釈迦・善知識方に護られていること。