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ボンビーでもしあわせのカタチはあります
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気まぐれに更新するブログなので、コメント・友だち・メール機能はオフにしています。無礼をお許しください。
ボンビー決定! 確定申告終了。みなさんの3分の1 「ボンビー父さん」を堂々と名乗ります!
①あるもので暮らす
②あれば買う なければ買わない
③「あったらいいな」は「なくても平気」
しょぼい年金ぐらしでも
①家のローンが終了
②車のローンが終了
③教育費のローンが終了
④種をバラまいとけば、野菜ができる
問題は「昭和のバブル妻」だけ。「必要だから買う」といって、値段を見ない!
破産すれすれでも、家庭円満。
2024-02-11 19:01 |
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ワオ!と言っているユーザー
そうなのか! 「死」とは「永遠なる安息への始まり」であって「命の終わり」ではないと語りかけているのか!
玄関を入ると「死と乙女」という絵画が目に入ります。老人施設に飾る絵にしては強烈な画風でしたので、これは凡人では理解できない「深い意味」があるのではと思いました。それがきっかけでブログを書いています。
キリスト教の生死観について、次のような文書を見つけました。
キリスト教の葬儀は「現生での罪を神様に許していただくための儀式」です。キリスト教にとって「死」とは「永遠なる安息への始まり」であって「命の終わり」ではありません。
人は死ぬと葬儀によって現生で犯した様々な罪を神様に許していただき、神様の下へ召されていく、そしてやがて訪れる「復活の日」までを過ごす、と考えます。
そのため死そのものは「安息の地に行ける=祝福すべきこと」と捉えます。
■そうなのか!
老人介護施設の玄関にある大きな絵は、「不吉な死の予感と絶望」ではなく、「死」とは「永遠なる安息への始まり」であって「命の終わり」ではないと語りかけているのでしょう。
老人介護施設になぜ、モーツアルトの「死と乙女」の絵が飾られていたのか(2)
老人介護施設になぜ、モーツアルトの「死と乙女」の絵が飾られていたのか(1)
2024-02-11 14:26 |
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ワオ!と言っているユーザー
老人介護施設になぜ、モーツアルトの「死と乙女」の絵が飾られていたのか(2)
この研究家は「死」に対する2つの解釈を示しています。そして前者を支持しています。
「死」は畏怖に満ちた恐ろしいものではなく、安息の眠りに導く穏やかなものであるように私には感じられます。
「死を恐れる乙女を安息の眠りに導くように諭す神」と言ったイメージの曲想の様に感じるのです。
もう一つの解釈です
「死神の語る、恐るべき誘惑の言葉」であると解釈することもできます。「死を畏怖する乙女と、甘い言葉で死へ導く死神」と言う、「死」は畏怖に満ちた恐ろしいものであるというのです。
老人介護施設になぜ、モーツアルトの「死と乙女」の絵が飾られていたのか(1)をみる
2024-02-11 13:24 |
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ワオ!と言っているユーザー
老人介護施設になぜ、モーツアルトの「死と乙女」の絵が飾られていたのか(1)
玄関を入ると「死と乙女」という絵画が目に入ります。
老人施設に飾る絵にしては強烈な画風でしたので、これは凡人では理解できない「深い意味」があるのではと思いました。
音楽研究者の解説を読んでみました。
深い悲しみに包まれた祈るような静かな旋律は、歌曲「死と乙女」の中で「私の腕の中で、安らかにお眠りなさい」と乙女に語り掛ける死神の旋律でもあります。
「死」を描く賛美歌風の旋律がピアノで奏でられた後、「乙女」が迫ってくる「死」に怯えるような切迫感と緊張感のある歌を歌います。
ここで、この研究家は「死」に対する2つの解釈を示しています。
(つづく)
2024-02-11 13:08 |
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ワオ!と言っているユーザー
アンティークのドアを使った家を考えたけれど、夢に終わってしまった。
自然の美しさに囲まれた田舎暮らしは、しあわせをもたらしてくれます。
「小さな家の大きな幸せ」
小さなおもちゃハウスに、これから、愛と温かさを詰めていきます。
毎日が「ねこ曜日」ですから。
2024-02-11 10:24 |
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ワオ!と言っているユーザー
ブリーダーへの手紙:夭折した猫ちゃんと、新しい猫ちゃんを育てていると思うと、心が少し明るくなってきました。
左が2歳を前にして「虹の橋」を渡った猫ちゃん
(安全上、住所が特定できないように、周囲を加工しています)
暖かい日と寒い日を繰り返しながら、一日一日と光が満ちて、季節は移ろっていきます。
夭折した猫ちゃんと、新しい猫ちゃんを育てていると思うと、心が少し明るくなってきました。
相変わらずの愛らしいしぐさが、心を癒してくれます。
掃除のときの「じゃまネコ」の写真と、洞穴ベッドで安心して過ごす写真、日向ぼっこの写真、手作りきゅうりおもちゃを抱いている写真を送ります。
元気に成長しています。
2024-02-11 09:26 |
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ボンビー父さん
LDと寝室の二部屋しかない、小さなかわいい平屋で暮らす。しょぼい年金ぐらしの日常の小さな幸せを綴るブログ。
音楽、読書、田舎暮らしあれこれ。
お金は無くても、「小さな幸せを感じる力」を磨いて、つつましく生きていきたいボンビー父さんの徒然日記。
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