キリスト教の生死観について、次のような文書を見つけました。
キリスト教の葬儀は「現生での罪を神様に許していただくための儀式」です。キリスト教にとって「死」とは「永遠なる安息への始まり」であって「命の終わり」ではありません。
人は死ぬと葬儀によって現生で犯した様々な罪を神様に許していただき、神様の下へ召されていく、そしてやがて訪れる「復活の日」までを過ごす、と考えます。
そのため死そのものは「安息の地に行ける=祝福すべきこと」と捉えます。
■そうなのか!
老人介護施設の玄関にある大きな絵は、「不吉な死の予感と絶望」ではなく、「死」とは「永遠なる安息への始まり」であって「命の終わり」ではないと語りかけているのでしょう。