89歳になった母にケア付きマンションを用意した。
母は、樺太の真岡という町に生まれ。小学生の時にソ連の侵攻により家を奪われた。
祖父祖母は豆腐屋を営み、また王子製紙株式會社社宅の地域の職工合宿「乙合宿」の賄をしていた。
そこに居る全員が、住処を奪われた。
詳しくは
乙合宿から
だから、少女時代は特に「住む」ことに苦労した人だ。
自分の部屋を持ったことはない。
父と結婚後は、大きな家に住めることに、本当に幸せを感じていたそうだ。
だから、最後まで快適に暮らしてもらいたいと僕は考えていた。
その母も高齢となり、特に今年に入ってからは、一人で大きな家で暮らすことが難しくなったと感じていた。
新しい住居の選択、母への説得、親戚への協力依頼を含め、作業の物量そして心の負担は想像を絶するものだった。
とにかく部屋は準備ができ、引っ越しは完了できた。
食事は最上階のレストランで栄養管理されたものが日々3食提供される。
本人もそうだが、僕も親戚も安心できる。
想像できるものはすべて用意したが、脳内シミュレーションには限界もあり、実運用では何か不足があるかもしれない。
でも僕は全力で対応した。
この期間に、すべてを出し切った。
なにか準備に不足があれば、道すがら修正していくしかない。
初動期間は、ヘルパーさんにも頻繁に入ってもらうようにしている。
さあ、運用開始です。