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数押しゃ撮れる

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自分の写真史の原点

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左の人物が私を可愛がってくれた... 左の人物が私を可愛がってくれた祖父。
背景には今も変わらない寺の本堂と鐘楼堂、山門が写っています。
右奥の木造建築は今は無い私が通った小学校校舎。
場所はその小学校の運動場ですが今は作業所が建ったりテニスコートになっています。
撮影時期表記は父の自筆。
  
  
家を整理していて珍しいものを発見しました。

額装されたモノクローム写真(サイズは六切り)です。写っていたのは私の祖父と隣のおじいさんです。二人とも既にこの世の人ではなく私の祖父は90歳で亡くなりました。

孫の私を大変大事にしてくれて初めての本格一眼レフ機(ミノルタSR-7)も買ってもらいました。

この写真は私が写真を始めた中学生の時に撮ったもので戦時中に金属類の供出で梵鐘を差し出し暫く無かった梵鐘を親鸞聖人700回忌の大遠忌開催の事業として新しく梵鐘を鋳造しそれが納品された時の記念撮影です。
当時、祖父は色々と村や寺社の事業に熱心な一人で梵鐘再興に奔走していたのだと思います。

私が中学生時代に初めて使ったフィルムカメラの詳しいことは覚えていませんがネガサイズは35mm以下の小さなサイズでカメラは華奢なおもちゃみたいな物だったことだけは覚えています。

親や祖父について回り仕事をしているところなどを何枚も撮ったものと思います。
私がよい大人になった多分昭和の終わり頃だったと思いますが村の古い水利施設がある一級河川(村が水利権を持っている川の真ん中にコンクリートの取水口がある)を県が改修する時その取水口を無くしようとしたのですが当時の村の関係者は水利権があり必要な根拠を県に示し残すよう嘆願する資料などを作ったのですが、たまたま取水口の修理工事の様子を写真に撮っておりその写真を資料に提供したこともありました。
現在もその取水口は立派に現役で活躍しており周辺の田畑を潤しています。

もともと当時の写真プリントはネガサイズも小さいし写りも良くないので小さなサービスサイズくらいにしかプリントして無かったと思うのですが今回見つけた写真は六切りという大きなサイズでした。多分、父が写真店で引き伸ばして額装したのだろうと思います。額の裏には額装した時期だと思いますが「昭和60年2月」と記されていました。

写真をスキャンするため額を開けましたが中には私がワープロで印刷した説明書も入っており、記憶にはありませんでしたが大変懐かしい思い出の品にめぐり合い我ながら感激しました。
写真の内容から含めると親子孫3代が関係している訳ですから。

そこで、この写真は寺に寄贈することにしました。3、4年先に今度は親鸞聖人750回忌の大法要が行われるのすが前回の法要時に今の梵鐘が再興されたことなど殆どの人は知りませんし、これから後世にそのことをずっと残して欲しいと思っているからです。

私はデジタル化してデータで持っておけば今後色々と使えるので十分です。
  

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