私には、願っても願っても叶わないことがある・・・。 悔しいけど、それは多分真実だ。 何を得ようと、どこに行こうと、一番求めているその言葉。 踊りが好きな自分は、やっぱり踊りを認めてもらいたいのだ。 大好きな踊りで褒めてもらいたい・・・それが今の自分にとっては無上の喜びかもしれない。 好きだけど才能がない・・・でも続けている。 才能がないから、続けるだけしかできないのだ。 明日は檜になりたいあすなろの木・・・・それは私なのかもしれないな。
今年も桜が満開の時期がやってきた。 目に入る薄桃色の花々に、疲れた心も一時休まる・・。 息吹 赤城妙義と榛名の山を 遥かかなたに仰いでみれば 緑広がるこのかさかけに 茜さしたる輝き抱いて 八百万の神々の元 千紫万紅 舞い踊れ 百花繚乱 息吹のときを 渡り行きます三千世界 前に見えるは道なき道と 敢えて進むは己の道を 吹いて押したる上州の風 千紫万紅 舞い踊れ
今日、親鸞の教えを説いた「歎異抄」を本屋で見つけ、思わず立ち読みしてしまった。 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をやの「悪人正機」で知られる鎌倉後期の仏教書である。 これを読むと、つくづく自分は煩悩の塊なのだと自覚する。 歎異抄で言うところの「悪人」は、悪い人ではなく、煩悩に振り回される凡人という意味。 知ったかぶって判った気になる前に、目の前のことをただただ一生懸命やることが大事なのだ。 思い煩うことなく、阿弥陀如来に全て委ねられる境地になりたいものである。 歎異抄 第三条 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
足の半月板を痛めて2週間・・・・装具をつけるのも嫌になってきた。 今日は6年前の公演のビデオを見て悶絶。 あー・・踊りたい。 踊りたい、踊りたい、踊りたい・・・。 足を早く治さなきゃ。 2週間後の手術が上手く行きますように。
落ち込んだり悲しくなったりする時に、何がその原因となってしまうのか考えてみた。 まずは単純にそのときの気持ちを羅列してみる。 いつも他の人と比べられてしまって、自分の方が低く見られていること。 同じことをやっていても、他の人のほうが注目されて、寂しい思いをすること。 自分は他の人のレベルに達してない、とばかりに、対応に差をつけられてしまうこと。 自分を見に来てくれたのだと喜んでいたら、ただの偶然だったと陰で言われてたこと。 うーん、書いてみるとスッキリするけど、私は人の目を気にしすぎだね。 誰のために生きてるのか?って感じだ。 好きなことがあるなら、それでいいじゃないか。 認めてもらえないことと、認めてもらえることの差がどれだけあると言うのだ。 まずは、自分で自分を認めてあげよう。 自分の気持ちを癒せるのは、結局自分しかいないんだと肝に銘じなければいけない。 私は、決して誰かに左右されて生きるのでは無いのだ。
誰しも、歳を取りたくて取る訳じゃない。 ずっと若いままでいられたらどんなにいいだろう。 時は・・・時として残酷だ。 悲しみや苦しみは時間と共に薄らぐ。 しかし、その時間の経過が奪うものもあるのだ。 若いうちには判らなかった・・・。 根性だけでは体力はコントロールできない。 寝不足の疲れは一日じゃ消えない。 ハードな動きをは長く続けることが出来ない。 今日、生徒さんの一人がついていけなくて脱落 した。 今までそんなことがなかったから、本人はかなりショックだったみたいだ。 歳を取るというのは、いろんな面で脆くなる。 今まで出来たことが出来なくなると、それだけで気落ちして、心も弱くなってしまう。 気持ちがあれば何でもできる、というのが若い世代の幻想だと判るのは、自分がその年代になってからなんだろうな。 いずれは来る「老い」とどう向き合うか・・・。 だからこそ、今が大事。 動けるうちに、せめて悔いの無いよう挑戦し続けなくては。 どんなにあがくことになっても、安易にあきらめたりはしないようにしよう。