歎異抄
3月
29日
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をやの「悪人正機」で知られる鎌倉後期の仏教書である。
これを読むと、つくづく自分は煩悩の塊なのだと自覚する。
歎異抄で言うところの「悪人」は、悪い人ではなく、煩悩に振り回される凡人という意味。
知ったかぶって判った気になる前に、目の前のことをただただ一生懸命やることが大事なのだ。
思い煩うことなく、阿弥陀如来に全て委ねられる境地になりたいものである。
歎異抄 第三条
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。