チェーホフ「桜の園」スタニスラフスキー・アカデミー卒業公演を観劇して
7月
7日
7月5日、スタニスラフスキー・アカデミーによる、卒業公演「桜の園」を観劇する機会をいただきました。
チェーホフ作。アカデミーの先生、レオニード・アシモフ氏の演出です。
チェーホフ作。アカデミーの先生、レオニード・アシモフ氏の演出です。
長く拙い感想ですが、書き留めておきたいので、書きます。
腹話術の個人講座を受けてくださっているNさんからのご案内でした。
腹話術の個人講座を受けてくださっているNさんからのご案内でした。
Nさんはこのアカデミーで卒業公演を控えるなか、自分の演じる役が腹話術をやるシーンがあるので、本物を習って腹話術を知ろう、と思われたことが私に連絡をくださったきっかけでした。
スタニスラフスキー・システムは、かつて現役俳優のころ池田武志先生も学んでおられて、私たちへの腹話術レッスンの中でも「真実は観客の心を動かす」と言って、演技の指導をしてくださったことをよく覚えていました。
私も演劇はかじったことがある(つもりでした)ので、公演のご案内をいただいたとき、とても嬉しくワクワクしていました。でも正直、
1幕1時間。全4幕で約4時間。幕間に休憩あり。
と聞いて・・・
ちゃんと見続けられるのか私?!
チェーホフの原作は読んだけど、私の想像が追い付かなくて?読解力が無くて?どんなお芝居になるのか、よくわからなくて不安でした。
今まで過去にたくさん見てきた「退屈な」「楽しめない」「残念な」劇の後味を思い出しました。
とりあえず、あらすじと登場人物を予習して、臨みました。
結果、想像していなかったことが自分に起こりました。
ほぼ4時間の芝居を観ている間は目の前の人物たちにどんどん引き込まれていきました。自分がもう60歳に近いからでしょうか、一人ひとりの人物の人生が、興味深くて、その人の過去なんかを想像しながら見ていました。
なぜ???
不思議な体験でした。
1幕冒頭。小さな空間。暗めの照明。ボソボソボソ・・・
「役者さんは何を言っているんだろう?」「声が小さくてセリフが聞き取れない。」「照明が暗くて表情が全然見えない」という印象から始まり、「これは観客を無視している芝居なのか・・・」と不遜にも感じてしまいました。
出てくる役者さんがみんなあまりにも自然なので、登場人物というより、役者さん「その人」に見えていました。それが、「役を演じきっていない」ように感じてしまったのは、私の浅はかな感覚でした。
なぜなら、一幕の終わりのころには、役を演じる役者がいるのではなく、自分を生きている人がそこにいる、そんな感じがしてきたのです。
脚本の言葉を言っているんじゃない。中から湧いてきてる。
あれ・・・なにか違う・・・!やっぱりこれは、私の狭い経験のちゃちな物差しを当てて評価できるようなものじゃない!
第三幕あたりから、「私が知っている舞台演劇は、舞台演劇と呼んでいいものだったのだろうか?」という疑問が湧いてきました。なにか、こう、わかりやすいことをして観客を楽しませにいく多くの舞台を、私は演劇と呼んでいたんじゃないだろうか?と。
脚本に書かれているセリフとト書きは、この芝居の世界のほんの一部分。行間を読めとかどう演じるか?という次元じゃない。そこに、どうあるか・・・なんだ。
ちゃんと見続けられるのか私?!
チェーホフの原作は読んだけど、私の想像が追い付かなくて?読解力が無くて?どんなお芝居になるのか、よくわからなくて不安でした。
今まで過去にたくさん見てきた「退屈な」「楽しめない」「残念な」劇の後味を思い出しました。
とりあえず、あらすじと登場人物を予習して、臨みました。
結果、想像していなかったことが自分に起こりました。
ほぼ4時間の芝居を観ている間は目の前の人物たちにどんどん引き込まれていきました。自分がもう60歳に近いからでしょうか、一人ひとりの人物の人生が、興味深くて、その人の過去なんかを想像しながら見ていました。
なぜ???
不思議な体験でした。
1幕冒頭。小さな空間。暗めの照明。ボソボソボソ・・・
「役者さんは何を言っているんだろう?」「声が小さくてセリフが聞き取れない。」「照明が暗くて表情が全然見えない」という印象から始まり、「これは観客を無視している芝居なのか・・・」と不遜にも感じてしまいました。
出てくる役者さんがみんなあまりにも自然なので、登場人物というより、役者さん「その人」に見えていました。それが、「役を演じきっていない」ように感じてしまったのは、私の浅はかな感覚でした。
なぜなら、一幕の終わりのころには、役を演じる役者がいるのではなく、自分を生きている人がそこにいる、そんな感じがしてきたのです。
脚本の言葉を言っているんじゃない。中から湧いてきてる。
あれ・・・なにか違う・・・!やっぱりこれは、私の狭い経験のちゃちな物差しを当てて評価できるようなものじゃない!
第三幕あたりから、「私が知っている舞台演劇は、舞台演劇と呼んでいいものだったのだろうか?」という疑問が湧いてきました。なにか、こう、わかりやすいことをして観客を楽しませにいく多くの舞台を、私は演劇と呼んでいたんじゃないだろうか?と。
脚本に書かれているセリフとト書きは、この芝居の世界のほんの一部分。行間を読めとかどう演じるか?という次元じゃない。そこに、どうあるか・・・なんだ。
この物語は、きっと一人一人が自分の常識で自分を生きているものの、共鳴しあったり息が合ったりしない話だと感じました。影響は与えあっているけど、みんな孤独に感じました。最たる孤独がラストシーンで描かれるけれど、よく考えれば本当に喜劇のような悲劇のような喜劇にも思えてきました。
役者さんたちのおかげで、チェーホフ「桜の園」の人物たちに思いを馳せることができ、スタニスラフスキーシステムの一端に触れられたような気がします。
演劇ってなんだ?表現てなんだ?
自分はどうしたいんだ?
この問いにあらためてたちどまることができました!
Nさん、アカデミーの皆様に、
このご縁に、感謝いたします。
このご縁に、感謝いたします。
おかげ様でした。































