おかんき
8月
23日
あれからもう一カ月、月日は早いものです。
あのころの光景が度々、何時ともなく頭の中で映像に映し出されるのですが、ほんとにあったの?
と言うような感覚です。
今日は8月23日ですが偶然にも、1945年8月23日にソ連軍最高司令官スターリンが、日本兵をシベリアに強制移送を命じた日です。
60万人のシベリア抑留者のうち、父もその一人でした。
今日は都内の何処かで追悼式典があったようです。
私は幼いころから、よく父の戦争話を聞かされました。
今から20年程前にラジオ番組で、終戦記念特集があり、7人のシベリア抑留者の体験談インタビューの最終日に、私の父もラジオで語りました。
まだ今でも良く内容を覚えています。
その時の会話は何時も聞いていた話よりリアルでした。
皆さんも色んな記事を読んで御存じだと思いますが、それはもう厳しい寒さ、乏しい食料、過酷な労働だったようです。
寒さで死ぬ者もいれば、栄養失調で死ぬ者もいて、飢えに負けた者は生き物を口にして食中毒を起こして死んでしまうのです。
夜、ベットの上で仲間が死んでいく光景がよくあり、体温が下がってくると体からシラミが移動する。
死を見届けたら、一斉に死体の服を脱がせて自分たちの暖にするのです。
脱獄者を捕まえたら、鉄棒に突き刺し見せしめにされる。
ラジオから聞こえる父の肉声は穏やかでしたが、経験者ゆえに落ち着いた語りだった事を思い出します。
家で話す父は、女ロシア兵に金歯をくれと言われた事とか、靴の修理屋や医療補佐をしていた事など明るい話が多かったのですが。
シベリア抑留者の平均年齢は84・85歳になっています。
年々彼らは世から去って行っていますが、父もその一人になりました。
父が最後にラジオで言った事、「戦争は絶対にしてはだめです。」
投稿日 2011-08-24 00:20
ワオ!と言っているユーザー
投稿日 2011-08-26 06:06
ワオ!と言っているユーザー