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2024/01/10 朝の随想

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 お早うございます。
 今朝も真夜中に目覚め、少々本に目を通し再就寝。起床は6時少し前、外へ出たら6時13分。遅いので外気温度を確認1℃。JR高架下の側道を通り帰宅。6時32分でした。まるで昨朝のコース・時間がほぼ同じです。ダンベルと前後屈運動を終えました。

 今朝は朝食後、廃棄予定のPCを分解。リサイクルマークがついているので、無料で廃棄処分ができるそうです。内蔵HDDは外してあります。今回は、全て分解を。マザーボードを飾りに「保管」します。CPUは インテルのCore i5です。このチップだけでも相当な金額。ゴミ処分のルールに沿って廃棄します。

 現在読んでいる『森銑三著作集第二巻』「中島棕隠」と「平塚瓢齋」は京都で活躍した知識人。「頼山陽」などと交際を。これらの人物が狂歌・狂詩で遊んでいた事実を知り、江戸では太田南畝(寝惚先生)らが多くの仲間と「狂名」を付けて町民や儒者、出版書肆、武士、旗本、大名など交流が盛んに行われてきました。京都では畑中観斎(銅脈先生)の存在が知られています。「中島棕隠」「平塚瓢齋」が活躍した時代は文政(1810頃)です。
 「武朝保」と出てきて最初は何の事か分かりませんでした。後で「不調法・無調法」ーぶちょうほうーと判明。
 「平塚瓢齋」は【呉綿奈齋】(ごめんなさい)の狂名を使っている。「頼山陽」も狂詩を書いているが優秀なものは無いと「森銑三」氏は喝破しています。これらの遊び心と造語能力が、明治維新で外国の文言・単語を漢字に置き換える「造語能力」に寄与したと思われます。
 いずれ機会がありましたら、多くの狂名の一覧を掲載いたします。当時の人は面白い名前を考えています。

 今朝の新聞紙上で中学2年生の女子生徒の名前「苺瑚」と書いてありました。サテ何と読むでしょうか。江戸時代の「漢詩」を少し眺めていますが、殆どお目にかかれない漢字です。さぞかし漢学に精通し、優れたご両親が命名したものとホトホト感心致しました。

 朝から歴史談義を。明るく楽しく元気にスタートしましょう。

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