<災害時避難通路>
5月
8日
昭和51年に住宅公団・館ヶ丘団地が、共用開始されたときに設置されました。
2800戸余りのマンモス団地で、当時は大勢の子どもたちも居住していて賑やかでした。
50年代後半のピーク時には、中学校は15クラス・500人以上の生徒が通学していた。
想定以上の災害が発生すれば、大勢の生徒や住民が、正門前の道路を横断するのが難しいと判断して構築されたらしい・・
現在は、少子化の影響で中学生は、全学年合計でも100名弱・・利用価値がなくなった。
この階段の上り下りで<トレーニング>して足腰鍛えればいいねと提案したら・・笑われた。
大半の住戸は、丘の上に立地していて・・至るところで高低差があり・・住民は否応なしにトレーニングしています。
日本中多くの地域で・・時代の変遷の影響で、費用を賭けた施設も<無用の長物?>が、増えました。