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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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布団から手紙を

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拝啓
雨ふりの布団から


どうも体は疲れ果て、トイレへ行くのも億劫なくらい。今週もお仕事をしっかりこなした感で、今は雨に癒され。外では車が水たまりを弾く。その音はエアーキャップを潰しているようにストレスをそれなりに逃してくれる。ああ、私の時間がここに。だらだらするのは最高の至福の時、待ちに待った気の使わない恋人に会うような気持ちだ。静かに楽しげ。
救急車のサイレンが遠くで聞こえている。まさか、私を迎えにきているわけではない。音は少しづつ小さくなって、消えてゆく。今、苦しむひとがいると思うとその順番はいずれ私にもまわって来るのだろう未来、なぜ苦痛が人生に伴う場面があるのだろう、そんなことを考えてしまう。死にたいと思うほど今は疲れていないけれど、最近は眠りから覚めないのも悪くないか、ふと思うことがある。季節だろうか、年齢からくる黄昏的な心情だろうか、生きる気力を奪っているのは。

私の唯一の贅沢は、低反発の敷き布団と枕である。頚椎を痛め、これらがないと眠りから覚めた時に体は棒のようにコチコチになってしまう。この重力を上手く吸収してくれる恩恵をありがたく頂戴している。横になっているということは、私にとっては頚椎の負担を減らしてくれる特別な行為。手や顔面の痺れを少し誤魔化してくれる、再生への姑息な安らぎとなっている。

しかし、もうトイレを我慢できないほどになっている。さあ、立ち上がろう。私の立ち上がる行為は、たぶんお爺さんの感覚に近いのだろう。勢いのない萎びた起立だ。世間では、まだ働き盛りの年齢ではあるが、やけに草臥れている。トイレを済ましたら、また布団の中で雨音を楽しもう。今、雨に元気をもらうように時が流れている。

では、吐露ってしまったが、これにて失礼。


敬具
#詩

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ほほえみ

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ほほえみ
お絵描き詩
#詩

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晩秋

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秋の後ろ側に立ち
乾き切った能動
枯葉は音を響かせ転がり
静けさに包まれていたことを知る

風は
私のどこから入って
どこへ出て行くのだろう

そして
澄んだ青に癒されている

肌は敏感に
耳は好感に
目は鮮明に
頭は哲学に
心は平静に
足は停留し

修復を繰り返し

冬の入り口が
扉を開けて待っている

冷気が凍る前に
反対側の季節分まで
私は自分の果実を頬張っている

#詩

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僕君 / ぼくきみ

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「僕はここに居るよ」

そう言ったら

「あんた誰?」

知らんぷりされた

君が僕に飽きた
君は僕でない僕を探すと言って
出て行く準備をした

君は僕でない僕を探しに行くのだから
僕は僕でない僕になって
君が求める僕になろう

僕は君が出て行く前に出て行った

僕は僕でない僕を探すために歩いた
だけどいくら歩いても
僕は僕でない僕にはなれなかった

僕でない僕になれない
僕はあきらめて君の元へ帰った

「僕でない僕にはなれなかったよ」

そう言ったら

「あんたどこ行っていたの?」

君は僕のことを相手にする
もしかしたら
僕は僕でない僕になったのだろうか
それとも
君は君でない君になったのだろうか
まさか
僕は僕で君は君で
僕の君は君の君で君の僕は僕の僕なのか

#詩

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明日の俺が話しかけ
未来が現在の詩を書いている
勾配は文字を転がし
取集に夢中になれば
透明に汚れながら
芸術は黒光りして笑う

動かない昨日

俺の錆びれた関節は
バカになっている
打ち込めない題目に頭を叩く

文字はもう面倒だ
土を捏ねてさえいれば
カタチを崩すことが出来る
壊すことは大事だ
躓く快感をつくるからだ

捨てると面白い
文字がにょきにょきと芽生え
明日の懇願した大木が
原稿用紙の花を開く

萎える萎える詩の花
ろくろっ首になって俺を襲う

未来に頭を齧られて
現在の血は踊り
酸素の少ない成分は
くだらねえ
そう相槌を打ち笑う

#詩

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愛とは

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愛を知らぬ者の
愛という言葉は
空気に触れた瞬間
嘘という言葉に変わる

父の口から
愛という言葉を
一度だけ聞いたことがある

母親は俺を産んで
すぐに逝ってしまった
おっぱいを欲しがる
赤ん坊を残して
どれだけ無念だったか
「どうかこの子が
幸せになりますように」
そう願ったことだろう
それが俺の信じている愛だ

父の口から吐きだされた愛の言葉
私の中にあっただろう愛のカタチは
いとも容易く崩れ堕ちた
二十歳の私はまだ愛を知らぬ者だった

戦争を体験している父親世代
愛なんて言葉は小っ恥ずかしいから
吐き出さないのだと思っていた

それは違っていた

愛とは別格の言葉

愛は心のずっと深いところに
途轍もない優しさで燃えている
容易く吐き出し
冷やすものではないと
父から教わった

#詩

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取捨不能感

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一貫していないから
いつも頭の中はごちゃごちゃ

過去と未来と現在と
君とお前と貴方と
僕と俺と私と

進まない通勤電車
苦痛を長く感じる時間

曇るガラスに
バツを刻んだら
スカッとするわけでもなく
小さい希望を想像しては
毎日の重なり具合に不満を吐く

夢から遠いところで苦笑い
それでも孤独にむせながら生きる

怒りと不安と寂しさと虚しさ

捨てたはずのゴミを漁るように
捨てれぬゴミに悩むように

ごちゃごちゃの中で
僕はまだ僕を諦め切れていないから
今日も煩雑に生きる

#詩

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部屋割

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この家は家族の数と
部屋の数が等しくない
もちろん部屋の方が足りていない
子どもたちに個室を与えると
親の部屋はどこにあるんだ
なんてことになる

お金があれば解決する問題だか
現代を生きていくには
なかなか貯金すらできないのだから
どうにか部屋割をしなければ

ここ数ヶ月
家族間で自分の部屋争奪戦が始まっていた

ネットの環境
エアコンのある部屋ない部屋
広いだの狭いだの
誰の隣はうるさいとか

家族間で溜まっているストレスが
ぶつかり合っては熱烈な感じになってくる
毎日のように顔を合わせていても
普段は言いたいことを遠慮していることがわかる
しかし、討論しなくては家族でもわからない
やる時はとことんやり合った方が良い

けっきょく生活をする場なのだから
話が進まないと住みづらくなる
少しずつ知恵を絞り始め
譲り合いや妥協をしながら
部屋の割り当てが決まってくる

これも子どもらが自立して出てしまえば
このイベントも発生しないのだから
途中から楽しんでしまおう
そんな余裕が出てきた

基本的に私はiPadで詩を書き
布団が敷けて寝れるとこがあれば良いし
なんて扱いやすいオヤジなんだと
自分で思ったりして

やっと部屋割が決まり
タンスや机などの大きなものを運び
その他の荷物は各自でまとめ移動し始める

娘の部屋にお邪魔していた私はロフトに移動
荷物を整理していると

おとうさん
いつもありがとう

おとうさん
たんじょう日おめでとう

カードや写真が出てくる
子どもからもらったものだ
こんな頃もあったよな
我が家にも歴史があることに
ほっこりとしながら
それらを封筒に入れ記念品と書いた

あと何年だろう
こうやって賑やかに過ごせる日々は

親は親として
子どもは子どもとして

家族の時間は過ぎて行く
いつの日か子どもらが今度は親となり
新たな家族として営むことだろう

家族は小さな社会であるけど
それぞれが成長する場所であり
役割を全うしながら
育む時間の大事さを知る場所なのだろう

繋いで行く未来に
微笑みながら荷物を運びだし……

#詩

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詩集

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『詩集』 齋藤純二


詩集は小説に比べて売れる書物ではなく、書店に置かれることも少ない。しかし、詩は日々の暮らしの中で、心情に沿う言葉がふとした場面でフレーズとして流れる時がある。その共感が日々の苦悩を和らげる促しとなり、寄り添う言葉があるというのは生きていくための糧になり得る。

汚れちまった悲しみに、だったり

駄目なことの一切を
時代のせいにするな、だったり

苦悩は我が霊魂を
光らしむ、だったり

僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる、だったり

木が美しいのは、
自分の力で
立っているからだ、だったり

倒れる時がきたらば
ほほえんでたふれろ、だったり

厳しさの中にあるやさしさを私たちは求めているのかもしれない。生涯、順風満帆にひとは生涯を終える者などいるわけでもなく、苦悩を持ちつつも生きるためのユーモアで乗り切る言葉の群れとして詩があり、詩集という表現が光を放つのであろう。

好きな絵があるように、好きな詩もひとそれぞれある。癒しを鏤めた詩もあり、言葉の景色だったり、リズムだったり、その感性の心地よさに爽快感を得て前向きに相乗する。

いったい、なぜ詩集が売れないのか。売れないから詩集なのか、そんな俗説は悲しくあり読まれないことが勿体無いという気がしてならない。詩人たちが素晴らしい道具を持っているが、使いこなしていないのではなかろうか。だからと言って、楽しく面白いばかりを求めて詩を展開したのならば、詩の魅力は何処へ行ってしまうのか、そんな安売りも如何と思う。

悩み多き詩の果てなき言葉の旅路をニヒルに、また熱く自分をさらけ出すサービス精神のもと答えなき答えを追い続けることが、求められているのかもしれない。一生を語り続けるタフな精神力が詩人には不可欠だと言えよう。書店に詩集が多く並べる意味なんて、詩には最初からなかったのだろう。それでも詩人は詩を書かずにいられないのだから、もうそれだけで良いのかもしれない。

#詩 #雑記

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詩集・芥川龍之介

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『詩集』芥川龍之介(著作権の切れた作品です)



 彼の詩集の本屋に出たのは三年ばかり前のことだつた。彼はその仮綴かりとぢの処女詩集に『夢みつつ』と言ふ名前をつけた。それは巻頭の抒情詩ぢよじやうしの名前を詩集の名前に用ひたものだった。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 彼はこの詩の一節ごとにかう言ふリフレエンを用ひてゐた。
 彼の詩集は何冊も本屋の店に並んでゐた。が、誰も買ふものはなかつた。誰も? ――いや、必かならずしも「誰も」ではない。彼の詩集は一二冊神田かんだの古本屋ふるぼんやにも並んでゐた。しかし「定価一円」と言ふ奥附のあるのにも関かかはらず、古本屋の値段は三十銭乃至ないし二十五銭だつた。
 一年ばかりたつた後のち、彼の詩集は新らしいまま、銀座ぎんざの露店ろてんに並ぶやうになつた。今度は「引ナシ三十銭」だつた。行人かうじんは時々紙表紙かみべうしをあけ、巻頭の抒情詩に目を通した。(彼の詩集は幸か不幸か紙の切つてない装幀さうていだつた。)けれども滅多めつたに売れたことはなかつた。そのうちにだんだん紙も古び、仮綴かりとぢの背中もいたんで行つた。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 三年ばかりたつた後のち、汽車は薄煙うすけむりを残しながら、九百八十六部の「夢みつつ」を北海道ほくかいだうへ運んで行つた。
 九百八十六部の「夢みつつ」は札幌さつぽろの或物置小屋の砂埃すなほこりの中に積み上げてあつた。が、それは暫しばらくだつた。彼の詩集は女たちの手に無数の紙袋かみぶくろに変り出した。紙袋は彼の抒情詩を横だの逆様さかさまだのに印刷してゐた。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 半月ばかりたつた後のち、是等これらの紙袋は点々と林檎畠りんごばたけの葉かげにかかり出した。それからもう何日になることであらう。林檎畠を綴つた無数の林檎は今は是等の紙袋の中に、――紙袋を透すかした日の光の中におのづから甘みを加へてゐる、青あをとかすかに均(実際には、「均」のつちへんのない字)ひながら。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……



(大正十四年四月)

#詩

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