BCA土曜学校 ブログ
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BCA土曜学校のコラムVol.51 ~ 月 ~
国語1で「竹取物語」の学習をしました。竹の中から生まれた美しいかぐや姫が、五人の貴公子や帝の求婚にも応じずに月の都に戻っていくという幻想的な物語です。「かぐや姫」という題名でも知られるこの物語は、千年以上も前に成立し様々な形で描かれ人々に親しまれて続けてきました。
四季がある日本では、春夏秋冬の自然の美しさを愛でてきた歴史があります。中でも「月」は「竹取物語」をはじめ多くの古典作品のテーマとして取り上げられています。
「花鳥風月」「雪月花」という言葉にもあるように、自然を代表するものの一つとされてきたのです。
年の初めに皆さんと取り組んだ「百人一首」には、12首に「月」が詠まれています。
〇天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麿
〇今来んと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
〇月見ればちぢに物こそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど 大江千里
「月」という文字は、「月」の形から成り立っています。丸い形の太陽の「日」と区別するために三日月の形としたようです。
語源は、太陽が沈んでから出てくるので太陽の次、明るさが太陽の次なので「次(つき)」とする説や、「月」は一か月に一度欠けてなくなるので、光が尽きる「尽き(つき)」という説、うさぎが餅をついているから「餅つき(つき)」という説があります。
「月」には新月から満月まで様々な形があります。
月がみえない状態の「新月」、新月から3日目の「三日月」、13日目の「十三夜月」、十五夜と呼ばれる15日目の「満月」、次の日の「十六夜」、26日目の「有明の月」、30日目の「三十日(みそか)月」。月が闇にこもってしまうことから、「晦(つごもり)」「晦日(みそか)」と言われています。毎月の終わりの日を晦日、一年の終わりの日を大晦日と呼ぶのはここからきているのですね。
「月」は一様ではなく、季節により、時間により、それを見る人によった様々な姿を現しているように思います。
自分の美意識と深くつながっていることにも気づかせてくれる神秘的な「月」をそれぞれの感性で愛でてほしいと思います。
先日、太陽・地球・月が一直線に並んだ皆既月食がありました。
緯度の高いシアトルで見るスーパームーンは息をのむほどの美しさでした。
1月26日
BCA土曜学校のコラムVol.50〜読む〜
5年生 の先生から、「音読に対する意欲がクラス全体で高まってきていています。冬休みに30回も音読してきた子もいました。」という嬉しい報告がありました。
BCA土曜学校では、文章を「読む」ことを大切にする指導を行っており、宿題として音読が毎週出されています。
「読む」という言葉には、①文章・詩歌など文字で書かれたものを一字ずつ声に出す。②文字や図などを見て意味や内容を理解する。③現れている事柄から深い意味を察知したり将来の動きを推測したりする。④数を数える。⑤詩歌をつくる。(詠む)という意味があります。
語源は、「よぶ(呼ぶ)」や、「よびみる(呼び見る)」などの説があり、上にあげた意味の中で、「数を数える」という意味で用いられた例が一番古いようです。文章などを一字ずつ声に出していうことも、数を数えるように一音ずつたどりながら唱えるという意味に通じていることが理解できます。
音読は、書いてあることを声に出して「読む」ことです。
音読には、自分が理解しているかどうかを確かめたり深めたりする働きと、聞いている人の理解を助ける働きがあるとされています。
自分のための音読は、文字を確かめながら内容が理解できるかどのように感じるかなどを自分の声を自分で聞きながら把握していきます。
他の人の音読は、音声化することで互いに理解しあっているかを確認しあいます。
学年ごとに目標があるので紹介します。
低学年の皆さんは、語のまとまりや言葉の響きなどに気を付けて音読する。
中学年に皆さんは、内容の中心や場面の様子がよくわかるように音読する。
高学年の皆さんは、自分の思いが伝わるように音読や朗読をする。
中高生の皆さんは、相手にわかるように正確に音読したり、作品のよや特徴を生かしな がら朗読したりすることを通して、文章の理解を一層深める。(小学校学習指導要領解 説・中学校学習指導要領解説より引用)
高学年からは音読よりレベルの高い「朗読」という言葉が出てきていますね。
「読む」ことは、日本語学習の基本となります。
これから、ぜひ意識して取り組んで欲しいと思います。
1月19日
BCA土曜学校のコラムVol.49 ~ 縁起のいい言葉~
今年はじめのBCA土曜学校では、清水校長先生による恒例の獅子舞が行われました。
手作りのこの獅子は、保護者から頂いたもので17年間ずっと使い続けているのだそうです。一つひとつのパーツがとても丁寧に仕上げられてあり、BCAの子どもたちへの愛情が伝わってきます。
祭囃子にあわせて獅子が舞い踊る獅子舞は、魔除けと飢饉や疫病除けに伊勢で正月に舞ったのがはじまりと言われています。その後、邪気を払う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭礼で獅子舞が行われるようになりました。
室町時代から江戸時代初期に伊勢大神楽の獅子舞が全国をまわり邪気払いをしたことで、日本各地に広まり日本で最も数が多い民族芸能として定着していきました。
獅子舞が人の頭をかむのは、その人についた邪気を食べ悪魔や疫病を退治するという意味合いがあり、悪いことから守ってくれると考えられています。子どもの場合は厄除けの効果が強く、学力向上や無病息災、健やかな成長にご利益があるといわれています。
幼稚部では、獅子舞の姿に泣き出したお子さんもいたということですが、獅子に邪気を払ってもらった皆さんはこの一年をよりよく過ごすことができるはずです。頭をかんでもらった人は特にいいことが待っていることでしょう。
語呂合わせで「獅子がかみつくと神がつく」という縁起かつぎの意味もあるようです。
中高部では、年のはじめの縁起の良い言葉にふれました。獅子舞の他にもたくさんのおめでたい言葉があります。これからさらなる幸運を呼び込むために知っておくとよいと思います。少し紹介しますね。
・福籠(ふくろう)幸せを籠にいれて逃げないようにすること。
・弥栄(いやさか)ますます栄えること。
・百福(ひゃくふく)たくさんの福。幸せに満ちていること。
・飛翔(ひしょう)空高くはばたくこと。
・福寿(ふくじゅ)幸せにつつまれて長生きすること。
・豊楽(ほうらく)豊かさの中で人々が日々を楽しむこと。
・松竹梅(しょうちくばい)真冬でも青々とした歯を茂らす松、真っすぐに立つ竹、春一番に咲く梅は縁起のよい植物とされている。
・家内安全(かないあんぜん)家族に事故や病気がないこと。
・笑門来復(しょうもんらいふく)いつも笑っている人のところには福がやってくる。
・新春万福(しんしゅんばんぷく)新しい年に幸せが多くありますように。
今年が、ますますよい年になるよう祈っています。
1月12日
BCA土曜学校のコラムVol.48~掃除~
授業が終わると、さっと動いて椅子を片付けてくれる素敵な生徒さんがいます。自主的で自然な振る舞いにいつも感心しています。
今年最後の授業日は「お手伝いすることはありませんか。」と教室に来てくれた生徒さんが、机を拭いたり物を運んだりしてくれました。日本のよき文化を大切にするBCA土曜学校ならではの光景だと思います。
児童生徒による学校掃除は、日本ではあたりまえのように学校生活に馴染んでいますが、アメリカでは掃除のプロが担当しています。そのような環境で育っているのにもかかわらず、月曜日に登校するBCA現地校の子ども達のために教室環境を整える行動ができるのは、ご家庭での素晴らしい教育の表れだと思います。
「掃除」の「掃」は、てへんに「箒(ほうき)」と書きます。
「ほうき」は「羽はき」の音が変化したものだそうです。鳥の羽ではくから「ははき」で、手を表すてへんと組み合わさって、「箒(ほうき)」を手で持ち祖先の霊をまつる廟をはらい清めるために使ったことから「はらい清める」という意味を持ちます。束ねた羽が竹になり帚(ほうき)が箒(ほうき)に変化しました。
「掃除」の「除」は、こざとへんに「余(あま)」と書きます。
こざとへんは、神様が天にのぼり降りするときに使うはしごをさし、聖なる場所という意味を表しています。「余(あま)」は、とってのついている大きな針を表します。この針を使って、土に刺して地下に潜む邪気を取り除くことから、古いものをとりのぞく、とりさるという意味になりました。
「掃除」をすることが運気をあげることにつながるのは、神様と出会う聖なる場所を清めるからなのだそうです。
11月に来校された東北大学大学院の堀田龍也教授が、日本とアメリカの文化の違いとしてあげられる「掃除」について、「日本の学校掃除は、公共心の育成や環境を清潔にするという生活習慣の形成をねらって教育の一環として行っている。集団の一員としての自覚や仕事に対する責任感も育成している。」と語っておられたことを思い出しています。
日本文化のよさを理解されている土曜学校の生徒さんのご家庭では、師走の大掃除もなされるのでしょうか・・・。
生徒さんのお家から ご家族で年末のお掃除をする楽しげな声が聞こえてくるような気がします。
2018年もまもなく終わります。どうぞ良い年をお迎えください。
12月15日
BCA土曜学校のコラムVol.47~音楽~
Willows Preparatory School でミュージックナイトが開催されました。合唱と吹奏楽で構成された演奏は、9月から音楽の授業で練習した成果発表とのこと。演奏はもちろん、先生が指揮台に上がると同時に楽器をさっと構え一斉に指揮者に視線を集める姿も立派でした。
我が子を見つめる保護者の皆様の眼差しや拍手もあたたかく、音楽を介して会場が一体となった和やかな雰囲気を味わった夜でした。
「音楽」は、「音」と「楽」で組み立てられた言葉です。
「音」は、「言」と「一」を合わせて作られた文字で、人の祈りに対する神様のお告げ(神の声)を意味します。
「楽」は、「木」に「糸」を張った弦楽器を爪で奏でるという説や、「白」の部分が鈴でその左右が糸飾りを示し、神を楽しませるのに使用した手で鳴らす鈴をさすという説、「木」の台の上に「幺」が二つ置かれ、それを「うつ」という説などがあります。
いずれも「音」は声、「楽」は道具としての楽器をさし、やがてその道具を用いた音楽そのものを意味するようになり、転じて「楽しい」という意味も表すようになったようです。
明治の初めまで「音楽」は元々宮廷や神社や寺で貴人のために奏でられたものだけを指していたということも頷けます。語源をたどると、「音楽」は、単に「音を楽しむ」という意味ではなく、深い意味を持つ言葉だということがわかります。
今では日本語の中にすっかり馴染んだ言葉ミュージック「music」も、もともとはギリシア神話の「ミューズ」からきているのだそうです。「music」は、ミューズの恩恵にあすかる人間の営みを意味するギリシア語のムーシケー「mousike」がその語源です。
日本語の「音楽」と英語の「music」が、共通の語源を持っていることも興味深いですね。
今週2018年最後の土曜学校では、『年末歌の会』が行われます。
クリスマスソングや「お正月」「富士山」「ゆきやこんこ」など、音楽の時間に練習してきた日本の歌を合唱する楽しい会です。
歌うとき「音楽」の意味を浮かべてもらえると嬉しいです。