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【NHK動画】太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還(NHK News TV featured Flag return in Chiba Prefecture )

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泰介さんの息子の裕一さん(71... 泰介さんの息子の裕一さん(71)右 【NHK動画】太平洋戦争で日本...
太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還
2022年8月16日 16時21分

太平洋戦争で日本兵が戦地に持って行った日章旗がその後、アメリカで発見され、終戦から77年を経て、16日、千葉県市川市の家族のもとに返還されました。

返還されたのは、市川市出身で、船舶工兵としてニューギニアなどで戦い、おととし、98歳で亡くなった松丸泰介さんの日章旗です。

この旗は、29年前に亡くなったアメリカ軍の元海兵隊員、オリバー・ブッシーさんの息子でマサチューセッツ州に住むビル・ブッシーさん(75)が保管していたもので、遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」(オボン)を通して市川市役所に届けられていました。

16日は泰介さんの息子の裕一さん(71)らが田中甲市長から旗を受け取りました。

旗は縦66センチ、横83センチで、破れたり色がにじんだりしていますが、勝利を祈ることばや泰介さんの妻など家族や地域の人とみられる名前が寄せ書きされています。

返還式では、「この旗を家族のもとへ戻せることを大変うれしく思います」というビルさんからのメッセージも紹介されました。

裕一さんは「父の苦労のあとが伺える旗で、アメリカから戻ってきて本当によかったです。より多くの人の目に触れ平和の大切さを考える機会にしてもらうため市に寄贈したい」と話していました。

“戦うよりも生きるために食糧を探す日常だった”
松丸泰介さんの息子の裕一さんによりますと、泰介さんは大正10年生まれで、宮城県の石巻市から南太平洋のニューギニアなどに向けて出征し、船舶工兵として戦ったと聞いているということです。

泰介さんはおととし98歳で亡くなり、裕一さんは「前向きで地域のためにいろいろやる人でした。戦争については、戦うというよりも生きるために食糧を探すのが日常だったと聞いたことがある。あとは、足をやられたら置いていかれるからダメだと話していた」と振り返っていました。

16日に返還された旗は、破れや色あせ、インクのにじみがあり、かなり傷んだ状態ですが、「松丸泰介君」と大きく書かれた周りには、泰介さんの妻、百合子さんなど50人以上の名前があります。

返還式のあと、裕一さんは「戦争についてほとんど語らなかった父ですが、この旗を見てどんなに悲惨な戦争だったんだろう、語ることができなかったのではないかと思いました。日の丸の赤の中に血がにじむ思いがあると分かってくれて、大事にしまってくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいです」と話していました。
ビルさん “松丸さんも父も戦争を生き抜いた”

今回、返還された旗は、太平洋戦争中、アメリカ軍の海兵隊員としてガダルカナル島やパラオに赴いたオリバー・ブッシーさんが長く保管していたものでした。

オリバーさんの息子、ビルさんによりますと、オリバーさんが1993年8月に亡くなったあと10年以上たって家を売ることになった際、クローゼットから軍服や勲章などの記念品とともに箱の中に入っているのを見つけたということです。

今回、オンラインで取材に応じたビルさんは、旗を見つけたときのことを「ワックス紙で包まれていて、ガーゼのように薄く、すぐに壊れそうでした。何度も広げたら壊れてしまうと思い、一度だけ開きました」と振り返り、「父がこの旗を持っていたことすら私は知らなかったんです。太平洋戦争については決して多くを語らない人でした。ただ、少なくとも捨てなかったということは、敬意を持っていたのではないでしょうか」と話していました。

ビルさんは、友人に相談したり自分で調べたりする中で、日章旗など遺留品の返還に取り組むNPO「OBONソサエティ」のことを知り、団体を通じて旗を返還することになりました。

ビルさんは「松丸さんも父も戦争を生き抜き、それぞれ家庭を築くことができました。本当によかったです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220816/k10013773061000.html?fbclid=IwAR2T2oQPg6G032oJFdJRSJ9HvaCslQgBjZhoDcZdO9dQmt3FzDUQs2ll0pw
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #日章旗返還 #英霊 #護国神社

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NHK/Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family

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Taisuke's son Yuichi (71) Taisuke's son Yuichi (71)
Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family
2022/8/16 12:45:51


[NHK] The Japanese flag that Japanese soldiers brought to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and on the 16th, 77 years after the end of the war, a house in Ichikawa City, Chiba Prefecture...

The Japanese flag that Japanese soldiers took to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and was returned to his family in Ichikawa City, Chiba Prefecture on the 16th, 77 years after the end of the war.

The flag that was returned was that of Taisuke Matsumaru, who was born in Ichikawa City and died at the age of 98 after fighting in New Guinea as a ship engineer.


This flag was kept by Bill Bussey (75), who lives in Massachusetts and is the son of Oliver Bussey, a former U.S. Marine who died 29 years ago. It was delivered to Ichikawa City Hall through the NPO "OBON Society" (Obon).


On the 16th, Taisuke's son Yuichi (71) and others received the flag from Mayor Kou Tanaka.


The flag is 66 centimeters high and 83 centimeters wide, and although it is torn and the colors are blurred, it contains words of prayer for victory and the names of family members and local people, such as Taisuke's wife.


At the handover ceremony, a message from Mr. Bill was also introduced, saying, "I am very happy to be able to return this flag to my family."

Yuichi said, "I'm really glad that I came back from America with the flag that shows the traces of my father's hardships. I want to donate it to the city so that more people can see it and have an opportunity to think about the importance of peace." was

https://www.tellerreport.com/life/2022-08-16-japanese-flag-taken-by-japanese-soldiers-during-the-pacific-war-returned-to-family.Hkeug75dAq.html?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
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読売新聞/日章旗返還 紡ぐ友好(Japanese Newspaper introduced OBON Society's activities.)

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「今も返還を待つ日章旗が多数あ... 「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供
日章旗返還 紡ぐ友好
2022/08/17 05:00

「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供

府出身女性ら米で活動

 「生きた証し 家族に」

 第2次世界大戦中、日本軍の兵士が身につけていた寄せ書き入りの日章旗を遺族に返還する取り組みを、京都ゆかりの女性らが米国で進めている。「戦争で命を落とした人たちが生きた証しを、故郷の家族に届けたい」。戦後77年の夏、時と海を越える活動に思いを新たにしている。(松田聡)

 女性は京都市出身の敬子・ジークさん(54)。米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」の共同代表を務め、現地で集まった日章旗を国内の遺族会などの協力を得て返還につなげている。

 敬子さんは、ビルマ(現ミャンマー)に出征した祖父を戦争で亡くした。「お墓には、戦死通知と一緒に届いた小石が一つ入っているだけなのよ」。子どもの頃から祖父の墓参りに行くたびに、母からそう聞かされていた。

 2007年、カナダ人から突然の連絡を受けた。やがて届いたのは、多くの人の寄せ書きが記された日章旗。「武器も食料もなく、マラリアにやられ、ジャングルで倒れたのか」と 偲しの んでいた祖父のものだった。終戦から半世紀以上たったとは思えない状態で、「祖父の魂が奇跡を起こした」と感じた。

 日章旗について、夫で歴史学者のレックス・ジークさん(68)が調べると、米国には多くが残っていることがわかった。

 「日本にいる遺族に届けることで、平和と友好の心をつなぎたい」。そんな思いで返還活動を始めた。

 魂が帰ってくる盆と同じように、遺族は旗を「お帰り」と迎えてくれるはず。そう願い、NPOの名に「OBON」を入れた。


 活動は当初、手探りだった。声をかけても怪しまれ、遺族捜しに難儀することもあった。それに、日章旗は苦しい戦闘の末に得た戦利品という考えで持ち帰った米国人兵士が多かった。

 講演やインターネットで敬子さんらは、寄せ書きの旗が兵士の無事を願って作られた大切なお守りであることを強調した。

 次第に活動の輪は広がり、国内でも遺族会や厚生労働省の協力が得られるようになった。

 中には訪日し、返還式で遺族と対面する米国人もいた。ともに戦争で対立した父親を持つ者同士。互いを思い合い、涙する姿もあったという。

 敬子さんは「国は違えど、返還を申し出る人は、国や家族のために戦った兵士、その子どもらという同じ立場。日本兵にも尊敬の念を抱き、返された遺族の心の一区切りになるよう願っている」と話す。

 これまでに日章旗のほか、手紙や名札、帽子、軍刀など約500件の遺品を46都道府県で返還した。府内でも、沖縄戦で戦死した宮津市出身の男性の日章旗が、5月に故郷へ戻った。

 遺族が見つからない場合でも、何かの手がかりや平和学習に役立ててほしいと、出身地の公民館や遺族会などに託している。

 今、返還の依頼を受け、遺族を捜している遺品は1800件以上。うち府内出身の兵士のものと絞り込んだのは16件ある。

 「遺品は魂が宿った『遺霊品』。過去、現在、未来をつなぐ縦の糸と、国、言語、文化の違いを乗り越えた横の糸をつなげる役割がある」と敬子さん。「一人でも多くの魂を、家族の元に戻していきたい」と力を込める。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220816-OYTNT50072/?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
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【日刊SPA!】戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ(Nikkan SPA! published an interview with OBON Society co-founder "Keiko & Rex Ziak".)

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OBONソサエティ共同代表 レ... OBONソサエティ共同代表 レックス&敬子・ジーク 寄せ書き日の丸 寄せ書き日の丸 日章旗の返還を希望したマービン... 日章旗の返還を希望したマービンさん 日章旗は兵士遺族へ 日章旗は兵士遺族へ 【日刊SPA!】戦地に散った日...
【P1】

戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ
今日は77回目の終戦記念日。その中で、外国にある日本兵の遺品を、日本の遺族に返還している「OBONソサエティ」(以下、OBON)という非営利団体がある。返還の中心となるのは「寄せ書き日の丸」と呼ばれる、出征する兵士に向けて家族や友人が名前やメッセージを書き込んだ日の丸の旗だ。その活動を通して、これから先の未来の平和を考えたい。代表のジーク敬子&レックス夫妻に話を聞いた。

「寄せ書き日の丸」に込められた意味

――「寄せ書き日の丸」は、当時の人にとってどんなものだったんですか?
ジーク敬子氏(以下、敬子):お守りのような物で、出征する人の心の支えとなってほしいという願いが込められたものです。先の大戦中、兵士が召集された際、家族や友人は「もしかしたらこの人は帰ってこないかもしれない」と考えます。その上で、心を込めたメッセージを日の丸に書いて渡しました。

――旗に「武運長久」の文字が多く見られます。

敬子:戦場での武運が長く続いて欲しいという思いが込められた言葉です。その裏には、実際には書けなかった「なんとか生きて帰ってきてくれ」という強い祈りも感じられます。「寄せ書き日の丸」を懐に携えて戦った兵士さん達は苦しい時も、一人じゃないと思えたでしょう。

――寄せ書きした国旗を渡して送り出すのは日本独特の慣習なのですか?
敬子:そうです。第二次世界大戦からではなく、日中戦争のあたりから存在が確認されています。

なぜ海外で長く保管され返って来るのか

――「生きて帰ってこないかもしれない」という思いもあるんですね。日本人にとっては大事な遺品ですが、なぜ敵国であった海外で何十年も保管されているのですか?
敬子:昔から、戦いで勝利したら敵国の旗を勝利のシンボルとして持ち帰るという風習は世界各地にありました。

そして、先の大戦では日本兵は部隊ごとだけではなく、ひとりひとりがお守りとして「寄せ書き日の丸」を持っていたので、米軍の兵士らは恰好の戦利品として持ち帰ったわけです。勇敢に戦って勝利した証として、終戦後も大事に持っている人が多くいます。

――それを「日本に返そう」という考えに至るにはどんな経緯があるのですか?
敬子:そもそも旗を持って帰る米国兵士達は、旗に書かれている日本語は読めません。
なので、多くの人は日本軍の指令や計画が書かれた軍所有のものだと思われていたようでした。

そこで、OBONを2009年に立ち上げてから、旗には、軍の指令などではなく、家族の願いや祈りが込められている、ということを広める活動をしてきました。
そうして世界へ発信するうちに「まさかそんな大切なものだったなんて!」と驚かれて、返還を申し出てくださる方が増えていきました。

【P2】

自身に起こった奇跡がOBONの始まり

――なぜこの団体を立ち上げようと思ったのですか?

敬子:私自身の体験によるものです。私の祖父は、兵士としてビルマ(現ミャンマー)へ出征し、帰らぬ人となりました。ですが、他の多くのご遺族と同様に、遺骨も遺品も何一つ返ってこなかったんです。戦死通知書と小石がたったひとつのみ送られてきただけだと、母から聞かされていました。

ですが、戦後60年以上がたったある時、祖父の寄せ書き日の丸が見つかりました。旗は戦後、カナダのとある古物収集家の手に渡ったそうで、その方が亡くなる寸前に「この旗を、日本の遺族に返して欲しい」という遺言を残されたようです。

その言葉を受けた息子さんが、日本に来た際に成田空港近くのホテルのコンシェルジュに事情を話して旗を託されたそうです。そこから約8か月後、まさに奇跡が重なって我が家に旗が帰ってきたんです。

――多くの方の思いがつながったのですね。

敬子:「もうおじいちゃんのことは心の中だけに」と思っていた中、祖父の名前やよく知っている近所の人の名前が書かれた旗が帰ってきて、本当にびっくりしました。

母は「おじいちゃんが諦めず、長い年月をかけて帰ってきてくれはった」と泣きながら言うんです。

――敬子さんはその時はまだ、「寄せ書き日の丸」という風習はご存知なかったんですか?

敬子:はい。なので「これは一体、何なのだろう」という思いでした。この旗が返ってきた経緯を考えると、奇跡が起こったとしか言いようがないとその時は思っていました。

その後、レックスと結婚することになって、この話を彼にしたんです。

歴史家である彼はこれに大変驚き、調べてみようということになりました。

すると「寄せ書き日の丸」は我が家の1枚だけでなく、まだまだたくさん海外に眠っているということがわかったんです。それならば、他のご遺族にも私たちが経験した奇跡を届けることができればと思ったのが始まりです。

それぞれの遺品にそれぞれの背景

――2009年に活動を開始して、これまでにどのくらいの遺品を返還されたんですか?

敬子:返還のご依頼を受けた約2200件の中で470件ほどが無事にご遺族のお手元へ戻られました。ですが、80年以上も前に作成された旗を手掛かりに、贈られた兵士さんのご遺族を探し出すのはやはり容易ではありません。

――最も印象に残っている返還はなんですか?

敬子:米国海兵隊として日本兵と戦ったマービンさんのものです。マービンさんは戦地から旗を持ち帰り、長年大切に保管されていました。そしてOBONの広報活動を通して「寄せ書き日の丸」の意味を知られ、ご遺族へ返還したいと希望されました。その後、日本のご遺族捜索の末に、旗の持ち主だった戦没兵士の弟さんと妹さん2人が見つかったんです。

――ご遺族も、まさかお兄様の遺品が70年以上経って返って来るとは思いませんよね。

敬子:ご遺族は、お兄様と別れた日のことも鮮明に覚えていらっしゃいました。サイパンで戦死したという通知のみが届き、どのように亡くなったかもわからず「苦しい最期でなければいいな」とずっと思われていたそうです。

――なるほど、そしてどのように返還なさったのですか?

敬子:マービンさんは「日本へ行って、この手で返したい」と希望されました。

ですが、93歳というご高齢のため体力面などの心配もあり、事前にお会いしてみることにしました。ご自宅を訪ねると、心身ともにお元気でいらっしゃることが分かり、一緒に日本へ行っていただくことにしたんです。

――アメリカの元兵士と会うご遺族の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。

敬子:マービンさんの、返還したいという思いと、はるばる日本に行って直接渡したいという誠意が伝わったようで、大変歓迎されました。弟さんはマービンさんをひと目見ただけで以心伝心したようで、二人は手をとりあって返還式典の会場まで一緒に向かわれるほどでしたね。

マービンさんは、戦地で旗を手にして持ち帰った時の様子をはっきり覚えていらして、ご遺族へ話されました。弟さんは記憶に残っている兄の匂いがするかもと思われたそうで、旗に顔を埋めて涙されていました。長年の心の終止符となったのか、マービンさんと固い握手を交わされていました。

【P3】

寄せ書き日の丸の返還が伝えること

――戦後77年、ご遺族がご高齢となる中で残り時間がないという感覚はありますか?

敬子:確かに、一番優先度の高い「兵士さんを直接知る方が存命のうちに返還する」という観点では、時間は差し迫っています。しかし、私たちが見ている展望はもう一つあります。

私自身、戦争は体験していませんし祖父とも直接会ったことがなく、旗が帰って来るまでは、祖父のことも戦争のことも他人事のように思っていました。しかし、返還をきっかけに戦争のことをしっかりと考えるようになりました。旗が帰って来る前と後では、戦争や平和、それからご先祖さまに対する考えが180度変わりました。

ですから、戦死された兵士さんを直接知る人ではなくとも、お孫さんやひ孫さんに返すことで戦争のことを考えるきっかけになります。さらに、旗が返って来る背景にある、かつては敵国であった国の人が「この旗をご遺族に返したい」と願われたことにも思いが至るわけです。

――私も今回の取材で、初めて海外の方の気持ちを知り、感動しています。

敬子:「寄せ書き日の丸」のメッセージは、「国を越え、時を経てもなお消えない家族を思う気持ち」だと思うんです。これからもさらに活動を広げていきます。

レックス氏からのメッセージ

最後に、敬子氏の夫であり同団体の共同代表であるレックス氏にも思いを語ってもらった。(通訳:敬子氏)

「すべてのアメリカ人は、国に仕える兵士に感謝と敬服の気持ちを持っています。 それだけでなく、ご遺族へ寄せ書き日の丸の返還を希望される方々は、アメリカ兵を思う気持ちと同様に、日本兵に対しても心からの敬意を払われています。

先の大戦が終わって75年以上。日本兵とそのご遺族を想い、寄せ書き日の丸を返還することが未来の平和へつながります」

 家族や友人が心を込めて書いた「寄せ書き日の丸」が、長い年月と国境を超えて返還される背景にある思い。私たちはそれを受け止めながら世界中の人と心で繋がり、未来の平和への誓いを新たにしなくてはいけない。<取材・文/Mr.tsubaking>
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中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺書 米で発見(The Chunichi News paper published an article about the will of a Japanese soldier.)

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中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺...
中日新聞がOBONソサエティが現在捜索を進めている岐阜県の旧下石町(現・土岐市下石町)出身の日本陸軍兵士 【髙木直市 命の遺書】について記事を掲載して下さいました。

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「今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」 妻に宛てた日本兵の遺書、米で発見

太平洋戦争の戦地で死亡した日本兵の遺書が米国で見つかり、返還に向けて岐阜県土岐市の遺族連合会が遺族を探している。遺書を戦地から持ち帰った米軍の軍医の孫が、遺品返還に取り組む米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」に託した。孫は「少しでも早く遺族が見つかれば」と返還を心待ちにしているという。

「三人ノ子供ハ絶對(たい)他人ノ手ニテ育テサスナ」「今日カラハ體(からだ)ヲ皇國ニ捧ゲ第二ノ國民タル三児ヲ守レ」

日本兵の遺書は妻宛てで、便箋三枚。子どもの養育や財産の分配などについて書かれ、妻に子どもたちの将来を託した内容となっている。

「俺ガ今日迄何ノ虞(おそれ)モ無ク常ニ安心シテ一途ニ御奉公ノ出来タノモ心秘(ひそ)カニ節子ヲ信ズレバコソダ 今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」と感謝を伝える言葉もあり、「今戦ノ中場デ斃(たお)レルハ誠ニ残念ナルモ俺ハ笑ツテ死ヌ事ガ出来ル」ともつづっている。

続きはこちら→ https://www.chunichi.co.jp/amp/article/526309
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北海道新聞/日本兵遺留品返還今も~日米有志奔走 年に100件~ (Hokkaido Newspaper introduced OBON Society's activities.)

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北海道新聞/日本兵遺留品返還今...
8月12日に北海道新聞デジタル版で掲載になった日章旗返還活動に関する記事が今朝(14日)の朝刊(全道版)に縮小され掲載されました。

デジタル版(全文)はこちらからどうぞ→ https://www.hokkaido-np.co.jp/article/717042/?rct=n_war&fbclid=IwAR2eWIugs7OaGdVOhK0fY5xGIeU_8IMZxIVFInQWllVLEnlpeEWnf1nh1kk

もしくはOBONページから→
https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid02pYmbkJ4o1MmckiNDJnHap7YYABW7awWhDpWFawRM36dvFVBBLDPUJG88XziZT9Pal
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福島TV/ガダルカナル島で戦死 終戦77年・無事を願った日章旗が遺族のもとへ つなぐ平和への願い【福島発】((Japanese News TV featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

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7月22日に郡山市役所にて 7月22日に郡山市役所にて 福島TV/ガダルカナル島で戦死... 元米兵「チャールズ・マーコット... 元米兵「チャールズ・マーコット」さん 共同代表 敬子・レックス ジー... 共同代表 敬子・レックス ジーク 郡山市遺族会  郡山市遺族会  福島TV/ガダルカナル島で戦死...
昭和17年にガダルカナル島で散華された、福島県郡山市出身の 宇南山 民男 命(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国からご遺族に返還されたました。返還式の様子を福島ニュースTVが放送して下さいました。

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80年を経て、遺族のもとに戻ってきた日章旗。

郡山市から出征した宇南山民男さんのものだ。宇南山さんの写真は残されていなく、遺族にとって本人を偲ぶ数少ない遺品となった。

南太平洋の島、ガダルカナル島。
旧日本軍とアメリカ軍が激しい戦いを繰り広げ、宇南山さんは砲弾の破片を受けて戦死。1942年11月29日23歳だった。出征する際、故郷の家族や友人などが無事を祈り贈った日章旗。宇南山さんは戦地でも肌身離さず持っていたとみられている。
ロバート・マーコットさん:「何が書かれてあるものだろうと、いつも不思議に思っていました。小さかったですから。いつもこの日章旗は誰のものだったのだろうと思っていました」

アメリカ・マサチューセッツ州に住むロバート・マーコットさん。
軍人だった父親のチャールズさんがガダルカナル島に派遣された際、同僚から宇南山さんの日章旗を受け取りアメリカに持ち帰ったという。

ほとんどの日本兵が身に着け、戦利品として最も人気だった日章旗。
しかし、ロバートさんの父は自宅に飾ることはなく、タンスの奥で大切に保管していた。
ロバート・マーコットさん:「私たちは日章旗に敬意を払っていました。日本兵の御霊を示すものだからです」

チャールズさんが亡くなった後、ロバートさんが日章旗を受け継いだ。
ロバート・マーコットさん:「ご遺族に返したかった。でも、方法が分からなかったんです。でも『OBON SOCIETY』が助けてくれました。日章旗をご遺族に返すことができ、御霊を(祖国に)帰すことができて、とてもとても誇らしく思います」
日章旗をはじめ、日本兵の遺品を返還する活動に取り組むアメリカのNPO団体『OBON SOCIETY』これまでに、450本以上の日章旗を遺族の元に返還してきた。
OBON SOCIETY レックス・ジーク代表:「悲惨な戦争はやめなければいけない。日章旗の返還は、その重要な教訓を全世界に知らせる取り組みだと思っている」
OBON SOCIETY 敬子・ジーク代表:「ご先祖様、国のために亡くなられた兵士の魂がきっと平和を願い、旗とともに私たちにおそらくメッセージを伝えられているんじゃないかと思います」

『OBON SOCIETY』などと連携し、宇南山さんの日章旗返還を実現した郡山市遺族会。遺族会の高齢化が進む中、孫やひ孫の代に戦争を伝える上でも日章旗を遺族のもとに届ける意味は大きいと話す。

郡山市遺族会・宍戸武さん:「その(戦争の)話が、子どもの耳におさまることは結果的には大きい事業なの。そういうふうに私は自信をもっているんです」
戦地に向かう兵士の無事を願った日章旗。

今は戦争を風化させない意志、そして平和への願いも込められている。

宇南山洋子さん(民男さんの甥の妻):「返還は本当に感謝ですね。大事に保管してくれてね、それも日本に送ってくれたということで。本当に会えれば会って話したいくらいですね。お礼を言いたいですね。民男さんが一番天国で喜んでいると思っていて、日章旗を大事に私たちが持っていて、お盆の時とかにみんなで話合えるから、民男さんは天国できっとそれを見ていると思います」

https://www.youtube.com/watch?v=UM2Hw6DgbNI
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OBON捜索班手記/北海道札幌市で戦没者遺霊品を返還(Returning the remains of the war dead in HOKKAIDO)

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硫黄島で戦没された名須川水藤 ... 硫黄島で戦没された名須川水藤 命が同郷の友人に宛てた葉書 OBON捜索班手記/北海道札幌... 兵士【名須川水藤】命の菩提寺 兵士【名須川水藤】命の菩提寺
【戦没者遺留品返還】
OBON捜索班の工藤です。8月11日に北海道岩見沢市栗沢町美流渡(ミルト)から出征し、硫黄島で散華された海軍兵士「名須川水藤」命の葉書を兵士のお孫さんにあたる「名須川雄比古」様(札幌在住)に返還して参りました。

葉書は兵士名須川水藤命が郷里の友人「中川長作」様へ宛てたものでした。お二人にしか分からない理解できないものですが、きっと戦地にいる自身の無事と友人の無事を願いながら交わした言葉なのだと感じます。

水藤命が命を散らされた昭和20年3月17日は所属する硫黄島警備隊ほか硫黄島の日本軍が玉砕された日とされており、水藤命もこの戦闘に参戦されていたものと思われます。硫黄島の戦いは苛烈を極め、日本軍19900名のうち生還者の1000名を残し皆戦死されました。

そのような過酷な戦場で故郷の家族や友人との手紙のやり取りはどれだけ兵士を勇気づけ、鼓舞した事かを想うと、きっとこの葉書を兵士や宛先の方へと届けて差し上げたいと思わずにはいられませんでした。

ご遺族と葉書の宛先人の捜索は北海道空知郡栗沢村美流渡(現岩見沢市栗沢町)へOBONスタッフが赴き行われました。美流渡地区はかつては炭鉱の町として栄え、町の神社も炭鉱夫の慰霊碑などそれを思わせる昭和が今でも存在する町でした。ここ数年で道外からの移住者も多く当時を知る人はごく少数になっているそうで、捜索は難航を極めました。役場やコミュニティーセンターの方、酒屋の店主にお話を聞き、やっとの思いで中川長作さんのお孫さんにたどり着く事ができました。長作さんは昭和53年に他界されており、残念ながら兵士水藤命について分かる事はありませんでした。そこで町にある「正滝寺」を訪れ、昔からの事を知る方はいないか聞きましたところこのお寺の住職さんが「そう言えばうちの先代(住職)が昭和21年に3人の兵士の葬式を同時に執り行ったことがある」と話してくださり、古い資料を探し出してくださりました。そこには【海薫院釋大安・名須川水藤・行年43】とありました。ご住職いわく「きっと海軍なので海薫ると戒名ををつけたんでしょうね。」とその由来を教えてくださいました。その後も多くの方のご協力を得て水藤命のお孫さんを探す事が出来ました。

水藤命にはお子さんが6名おり、そのうちの3名が近郊にご存命との事。このお盆に親族で集まって葉書をお披露目する予定だったそうなのですが、猛威を奮うコロナ状況を鑑みてお披露目は改めて。という事になるとの事です。その際には皆で葉書を手に取り、水藤命に思いを馳せたく思いますとお孫さんは仰っておられました。

この度の返還、誠におめでとうございます。
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北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交戦国から相次ぐ 広がる「和解の証し」 なぜコロナ禍も一因に?】(Hokkaido Newspaper introduced OBON Society's activities.)

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【遺品の帰郷 旧交戦国から相次ぐ 広がる「和解の証し」 なぜコロナ禍も一因に?】

と題して北海道新聞(東京報道センター/酒井聡平 記者) から戦没兵士の遺霊品返還についての記事が掲載されました。今年1月にOBONソサエティを介して兄の日章旗を受け取られた北海道斜里町のご遺族のインタビューも掲載されております。

後半6項/全項11がOBONソサエティに関する記事です。

戦没兵士の遺霊品返還を行う団体は当会以外にもありますが、OBONソサエティでは遺霊品のオークションなどによる売買は行うべきでは無いとの立場で活動をしております。どのような理由であれ、遺霊品に価格をつけ、結果市場価値を生み出してしまう恐れを危惧しております。また、厚生労働省でも「寄せ書きのある日章旗や千人針は、戦時中、出征する人が、その家族や身近な人々から贈られ大切に身に付けていたものです。御遺族の中には、戦没者の遺品や御遺骨がない方もおられ、日章旗などの遺品が唯一の形見になる場合もあります。こうした遺品がインターネットオークションで売買されていることは、御遺骨や遺品の帰還を待つ戦没者の御遺族にとっては耐え難いことであり、御遺族のこうした気持ちに御配慮いただきますようお願いいたします。」との指針を示しております。
関連資料をコメント欄に置いておきます。

【記事全文】北海道新聞のウェブサイトから (無料登録あり) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/717042/?rct=n_war

またOBONソサエティではYouTubeチャンネルにてたくさんの動画を公開しております。https://www.youtube.com/c/OBONSOCIETY/videos
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読売新聞/ガダルカナル島の日章旗、80年ぶり故郷・郡山へ…遺族「お墓の家族に報告したい」((Japanese Newspaper featured Flag return in Fukushima Prefecture ))

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読売新聞/ガダルカナル島の日章...
太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で、1942年に戦死した郡山市出身の 宇南山うなやま 民男さん(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国から遺族に返還された。80年ぶりに古里に戻り、遺族も感慨深げだった。

郡山市遺族会や宇南山さんの遺族などによると、民男さんは1919年生まれ。42年1月、広島県の宇品港から戦地に向かい、同年11月、ガダルカナル島で腰と腕に砲弾の破片を受けて戦死したという。

日章旗は43年1月、ガダルカナル島に滞在していた米軍のチャールズ・マーコットさんが、現地の住民から受け取って持ち帰り、保管していた。受け継いだ息子のロバートさんが、日本兵の遺品返還活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」に提供し、日本遺族会などの確認作業を経て返還が実現した。


この日は、宇南山さんのおいの妻・宇南山洋子さん(80)が郡山市役所を訪れ、市遺族会の渡辺守久・副会長から「武運長久」などの寄せ書きが入った日章旗を受け取った。洋子さんは「お墓の家族に、日章旗とともに民男さんの 御霊みたま が戻ったと報告したい。皆が喜んでいると思う」と話した。

同席した品川万里市長は「日章旗の返還は、日米の善意のリレーによって実現した。世界で戦禍が絶えない中、一日も早く平和と秩序が保たれてほしい」と語った。  
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220723-OYT1T50130/
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