太平洋戦争で戦死した北見市出身の男性が戦地へ持って行った日章旗が
6日、79年ぶりに遺族のもとに返還されました。
北見市常呂町出身の新江繁規さんは、1942年8月、太平洋戦争で出征していたガダルカナル島で戦死しました。当時23歳でした。
その後、新江さんが戦地に持って行った日章旗を元アメリカ兵のパイロットの男性が保管していたことから、遺族への返還が実現することになり、6日、返還式が行われました。
式には、遺族を代表して妹の中股かず子さんや遺品の返還を行っているアメリカの団体の職員などが出席しました。
ビデオメッセージで、団体の代表が保管していた男性のおい、マーク・シェルトンさんの手紙として、「新江さんが生きた証である日章旗の返還で心に区切りがもたらされれば」と読み上げたあと、旗が返されました。
日章旗には、戦地へ行く際、当時の勤務先の人などから贈られたとみられる寄せ書きが書かれています。
受け取った中股さんたちは「やっと返ってきた」などと話しながら涙を拭っていました。
中股さんは「島は激戦地だったので旗が戻るとは夢にも思わず、当時戻らなかった兄の遺骨が帰ってきた気がします」と話していました。
https://www.youtube.com/watch?v=655lVmjokk0
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20211106/7000039955.html?fbclid=IwAR1V3L8CdxIa_Y4jiMpSNllblcpooqSzJLh13BtIsQGyWwsomGdJhRwsThU
米国で長年保管されていた日章旗が1945年8月に中国北東部(旧満州)で戦死した長崎市出身の松尾昇さん(享年29)のものと分かり5日、同市城栄町の県護国神社で遺族に返還された。おいの松尾豊彦さん(84)=諫早市馬渡町=は戦後76年をへて手にした日章旗に「お帰りなさい」と声を掛けた。
旧陸軍の歩兵隊員だった昇さんは終戦間際、旧ソ連軍との戦闘で死亡した。昇さんの日章旗が米国に渡った経緯は不明で、米モンタナ州の米国人が知人から譲り受けて保管し、今年になって返還活動を続ける米国の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」に提供。
同団体の日本人スタッフが持ち主を捜し、日本遺族会県連合遺族会が遺族を探し出した。
返還式で同遺族会の山下裕子会長(79)は「古里に帰られてお喜びと思います」と日章旗を遺族代表の豊彦さんに手渡した。豊彦さんは「叔父の記憶はないが『俺が帰ってくるまで元気でいてくれて、ありがとう』と声を掛けてもらったような気がした」と話した。
大戦中、出征した日本兵のほとんどが「寄せ書き日の丸」と呼ばれる日章旗をお守りのように携えた。その多くが戦場から戦利品として米兵らに持ち去られたという。
今回、日章旗には長崎高商(長崎大経済学部の前身)の柔道部の後輩たちが武運の祈りを込めて寄せ書きをしていた。「OBONソサエティ」スタッフで同学部卒業生の山本貴久さん(61)=熊本市=が大学の先輩と気づき、力が入ったという。
「贈松尾」と名字しか書かれておらず、山本さんは同窓会の協力を得て、寄せ書きした後輩の名前や柔道部の対戦表などから昇さんと特定した。返還式に駆け付けた山本さんは「先輩はとても柔道が強かったようだ。柔道部の後輩もきっと喜んでくれるはず」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。
https://nordot.app/829523868699082752?c=174761113988793844&fbclid=IwAR0V7XFU2bFkTWj0wC0wJafpdnK8PQDG3CucQXyRUxn8R4G6DPr8z7cL1IE
【北見】太平洋戦争中の1942年(昭和17年)8月に、ソロモン諸島のガダルカナル島で戦死した北見市常呂町(旧常呂村)出身の新江繁規さん(享年23歳)が戦地で持っていた日章旗が11月6日、新江さんの妹で同町に住む中股かず子さん(93)ら遺族に返還される。元米軍パイロットの親族が長年保管し、旧日本兵の遺品返還を進める米国の非営利団体「OBONソサエティ」の仲介で実現した。
日章旗を持ち帰った元米軍パイロットのルイス・ソワーズさん(2001年没)の親族が、テレビで日章旗に関する番組を見たのがきっかけで19年6月に同団体に連絡。札幌在住の同団体スタッフ工藤公督(こうすけ)さん(47)が約2年かけて遺族を探し出し、今年8月に道連合遺族会を通じて中股さんに連絡した。
同団体や中股さんによると、新江さんは盛岡の旧陸軍予備士官学校を経て旭川の旧陸軍第七師団に所属。同師団で編成された一木支隊の「熊第九二〇七部隊」としてガダルカナル島へ移動した。42年8月20日夜、米軍に占拠された飛行場の奪還を試みたガダルカナル島の戦いで、同隊は待ち伏せしていた米軍の攻撃を受け全滅した。新江さんは翌日この戦いが元で死亡したとみられる。
日章旗は縦70センチ、横95センチ。「贈 新江繁規君」「不惜身命」などの寄せ書きがあり、出征時に渡された可能性が高いという。中股さんは、「兄の遺品はほとんど残っておらず、日章旗が戻るのは兄が帰ってきたのと同じ。感無量です」と感謝する。
2009年から活動するOBONソサエティは、これまでに全国で400枚以上の日章旗を返還。道内では15年の札幌、千歳、今年8月の空知管内雨竜町に続く4例目となる。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/606160?rct=n_society
KNOXVILLE, Tenn. (WATE) — A flag belonging to a Japanese WWII soldier has been returned to his family after 77 years. The effort to return the flag began in 2020 when the McClung Museum joined with UT’s Director of Repatriation Ellen Lofaro to return a yosegaki hinomaru to the family of the soldier who once owned it.
A yosegaki hinomaru is also known as a Japanese good-luck flag. It is a small national flag, often inscribed with short messages wishing victory, safety and good luck. They were given by friends and family to Japanese servicemen in World War II to carry as mementos from home. Following the war, some American soldiers took the flags back to the United States.
The flag was given to the University of Tennessee in 1945 by Capt. Wiley C. Smith of the 6th U.S Army. Smith, who had been stationed in Batangas, Philippines, sent the flag to UT after the university asked alumni to donate war items to create a museum on campus.
In the effort to return it, the museum learned that the flag belonged to Yushiro Narita, who served in the Japanese 19th Battalion. In October 1944, his Battalion left for the Philippines. This is where Narita died of dengue fever on Jan.13, 1945. He was in Batangas Province where Smith was also stationed.
On June 10, Narita’s family accepted the flag in a special return ceremony in Kazuno City, Akita, Japan. Narita’s niece, Masako Sugimoto, and the wife of Narita’s nephew, Katsuyo Narita, accepted the flag on their family’s behalf.
Following the ceremony, they visited Narita’s family graveyard with his flag. Yushiro Narita’s name is written on the gravestone along with other family members. They offered handmade sekihan (festive red rice) to their ancestor’s spirit and reported his flag finally returned to his home place.
“To the Japanese, the ancestors are able to hear. Their spirits are with us here on earth. When they go to the cemetery to light a candle, burn incense, and give beans and rice. This is all part of the communication with ancestors who preceded them,” note Rex and Keiko of Obon Society who assisted in the effort to return the flag.
“It was incredibly moving to hear how important and meaningful the return of the flag was to Mr. Narita’s family,” said Lofaro. “It also highlights how significant the work of repatriation is, to the families and communities involved as well as to the University of Tennessee, Knoxville. We built many new and enduring bonds of friendship and understanding through this project.
The McClung Museum says this return is an important part of the ongoing efforts to address ethical issues in collections by returning objects to its original community, family or owner. The return was made possible through the assistance of Obon Society, the Akita Prefecture War-bereaved Family Association, Ayumi Sugimoto, associate professor of rural studies at Akita International University, and the family of Narita.
“I am glad to see that returning this flag allowed the family of Mr. Narita to get some closure after so many years,” said McClung Museum Executive Director Claudio Gómez. “The return of this flag also shows how museum collections are constituted of powerful and complex cultural and natural items. The McClung Museum will keep working with different communities to address similar situations with the ethical standards of the museum profession.”
Names of East Tennesseans military veterans who gave their lives for our freedoms
The McClung Museum has sent a second yosegaki hinomaru to Obon Society in hopes that it can be returned to a soldier’s family soon. Obon Society works to connect families with personal items taken during WWII. They ask if you know of a yosegaki hinomaru, that you consider returning it by contacting them through their website.
https://www.wate.com/news/local-news/memento-of-japanese-wwii-soldier-displayed-in-ut-museum-returned-to-family/?fbclid=IwAR0mvzbEQS_M8SsMT8PTD1v-GvsA7f4OnFJQs9KS-BQ6Ww4Lrwqq1TO_ZHE
土佐清水市三崎出身で1945(昭和20)年6月、フィリピン・ルソン島で戦死した段崎初見さん(享年22)の日章旗が保管先の米国から〝里帰り〟し25日、市役所で遺族らに返還された。
段崎さんは陸軍兵長で船舶工兵だったという。日章旗には「武運長久」の文字と共に35人ほどが寄せ書きをしている。ハワイ州在住のクローイ・友美・グリアーさんの祖父が戦地から持ち帰り、家族で大切に保管していた。
クローイさんの父親は「持ち主を捜し出してほしい」と話していたが、今年6月に死去。クローイさんの親族が、日本兵の遺留品返還活動に取り組む米国の民間団体に調査を依頼し、連絡を受けた同市三崎地区遺族会などの協力で遺族が判明した。
段崎さんは5人きょうだい。妹の矢野川美雪さん(86)=大阪府八尾市=によると大阪に出て働き、仕送りで家族を支えた。出征時に帰高し「えい子でおれよ。大きなれよ」と頭をなでてくれた。優しい兄で、戦地からのはがきには「ヤシの木陰で遊ぶ子どもを見たら、美雪を思い出す」とつづっていた。
県遺族会が返還式を開き、段崎さんのめいで土佐清水市宗呂丙、井村由利さん(72)ら遺族8人が出席。戦死の知らせを受けた段崎さんの母親が泣き崩れた様子などを語り合い、故人をしのんだ。クローイさんが父親の気持ちをつづった手紙の和訳も朗読された。
井村さんは「今まで保管してくれたことに驚いたし、ありがたい。叔父さんが故郷に帰ってきた気がします」と話していた。
https://www.kochinews.co.jp/article/detail/517409?fbclid=IwAR0ZzkBSIHanZSx3wptfmFUzrxKEzPowCj1Xht9ISdCpIg-GOhWOxl7Deqg
太平洋戦争時に米兵ら連合国軍兵士が持ち帰った日章旗を旧日本兵の遺族へ返還する米国の団体「OBONソサエティ」のスタッフを務める。札幌市内で内装業を営むかたわら、遺族を捜し、これまで400枚以上をゆかりの人々の手に戻してきた。
札幌出身。1990年に札幌の高校に進学したが「肌に合わず」、同年末に単身渡米。米在住の父親の友人の世話でアイダホ州の高校に入った。戦争を意識するきっかけはアメリカンフットボールだった。果敢に走る姿を仲間が「カミカゼ」と呼んだ。当時は深く考えなかったが、21歳で帰国した後、太平洋戦争の戦史を読むようになった。
2013年、フェイスブックで旗の返還活動を知り、衝撃を受けた。日本兵は出征前、地域の人から日の丸に寄せ書きをもらい戦場へ持参。連合国軍兵士は、倒れた日本兵から戦利品として旗を奪っていた。「英語と日本語、歴史が分かる自分がやらねば」と天命に従った。
返還は困難を極める。旗の約7~8割は地名も書かれていない。文字を判読し、書かれた名字が多い地域を絞り、当時の公文書から遺族を割り出す。いざ遺族に連絡しても「詐欺じゃないのか」と言われたことも。しかし、徐々に活動も周知され、現在は厚生労働省、日本遺族会と連携している。
米国の元兵士は、多くを語りたがらないという。「当時は白兵戦。相手の息づかいが分かる距離で殺し合う。生きて帰っても同じ人間には戻れない」
11月6日には北見市常呂町で遺族への日章旗返還を予定している。47歳。(斎藤雅史)
米国人男性が所有していた日章旗が、太平洋戦争中に戦死したいわき市の元日本兵、青木常雄さんのものと分かった。同市の植田地区遺族会が17日、植田八幡神社で返還式を行った。青木さんのおいに当たる同市の青木聖一さん(64)が日章旗を受け取った。
同遺族会によると、常雄さんは1944(昭和19)年2月にマーシャル諸島のブラウン島で、22歳で戦死したという。日章旗は、米ノースカロライナ州在住の男性が所有していた。男性が遺族への返還を希望し、同国の返還仲介団体を通じて遺族を捜した。同遺族会などの調査を経て、常雄さんの親族である聖一さんにたどり着いた。
返還式では、同遺族会の鳴沢勝彦会長が聖一さんに日章旗を手渡した。聖一さんは「終戦から76年経って(日章旗が)戻ってきたことに驚いている」と話した。鳴沢会長は「日章旗の返還は(同遺族会で)初めての経験。返還できて安心した」と安堵(あんど)した様子だった。
https://www.minyu-net.com/news/news/FM20211021-662806.php
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。
https://www.youtube.com/watch?v=gyYzN8YUJ1E
遺族へ返還された寄せ書き入りの日章旗 左(酒田市 丸山至市長)右(兵士「佐藤好 命」の甥「佐藤厚さん」)
76年ぶり遺品届く 佐藤さん(旧平田町出身)の寄せ書き入り日章旗 戦没者遺留品調査 米国で発見
日本遺族会が実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」でこのほど、旧平田町出身の故佐藤好(よしみ)さんの遺品である寄せ書き入りの日章旗が米国で発見され22日、酒田市新橋二丁目の市地域福祉センターで戦没者遺品返還式が行われた。
故佐藤好軍曹は、陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945年6月20日、フィリピン・ルソン島のマニラ東約30キロ地点で25歳の若さで戦死した。旧日本兵の遺留品返還に取り組む米国のNPO法人「OBONソサエティ」のドナルド・ストルニアー氏や日本遺族会、同市の平田遺族会、市社会福祉協議会の尽力により、76年ぶりに遺族へ返還された。
この日は、丸山至酒田市長や平田遺族会の東海林正会長、おいの佐藤厚さん(69)=酒田市若宮町二丁目=が出席し、丸山市長から佐藤さんへ日章旗が渡された。佐藤さんは「連絡を受けた時は本当にびっくりした。彼岸なので祖父母の墓前に報告したい」と語り、丸山市長は「遺留品の返還に携わった関係者に感謝。次代を担う世代に戦争の悲惨さを語り継がなければならない」と話した。
http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2021%3A09%3A24%3A10655&fbclid=IwAR0FAhrKJB3gVo_SlHsM8ifPEksmpytHf7hKm-sVZL1kfTOeGPZKPsuE-xI
おじの佐藤好さんの日章旗を丸山至市長から受け取る遺族の佐藤厚さんー酒田市地域福祉センターー
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。
佐藤さんは陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945(昭和20)年6月20日、ルソン島のマニラ東方約30キロ地点で戦死したとされる。25歳だった。佐藤さんの日章旗は、フィリピン戦線に米兵として赴いたドナルド・ストルニアーさんの義父が戦利品として米国に持ち帰っていた。義父の死後、遺品整理をしていてストルニアーさんが発見した。
米国では近年、先の大戦に参戦した米兵の遺品整理により、戦地から持ち帰った日本兵の日章旗や写真などが見つかるケースが増えている。NPO法人などが遺族に返還する活動をしており、佐藤さんの日章旗も「OBONソサエティ」というNPO法人が仲介し、日本遺族会、同市の平田遺族会、市社会福祉協議会などを通して厚さんの元に返された。
「祝入営 佐藤好君」「祈武運長久」…。市地域福祉センターでの返還式で広げられた日章旗には、力強い書体の激励と、何人もの名前が日の丸の周りに書かれていた。穴が空き色あせてはいるものの、戦地に散ったおじのただ一つの遺品。厚さんは、感慨深そうに見つめ、丸山至市長から丁寧な手つきで受け取った。
佐藤さんは独身のまま戦死し、今や佐藤さんを知る肉親は厚さんだけだ。日章旗返還の情報は平田遺族会に2年前にあったが、酒田市から出征し、戦死したのは陸海軍合わせて3316人。手掛かりは少なく、人づてに厚さんに行き着くまでには半年以上かかった。さらに新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、返還が遅れた。
厚さんの父も海軍兵として出征したが、復員することができた。「おじのことは写真でしか見たことがないが、相撲が強い人だったと父から聞いた。どんな状況で戦死したかは詳しくは分からないままだ」と厚さん。祖父母や父の墓前に報告後、日章旗は多くの人が見られるようにしたいと考えている。
https://www.yamagata-np.jp/news/202109/22/kj_2021092200487.php?fbclid=IwAR27WvjzUaKNqyI7Pbi-WT9qGxR8_TWNFcPTCcCXgRM0W9VdOQ_BZmHhO04
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