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産経新聞/日章旗、北海道の遺族に返還 親族ら「気持ちに一つの区切り」(Japanese Newspaper featured flag return in HOKKAIDO)

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故郷に届けられた日章旗を見つめ... 故郷に届けられた日章旗を見つめる遺族(左から長男の岡村義人さん、長女の渋谷富子さん、次女の武田美枝子さん)=30日午後、北海道雨竜町の雨竜神社内(坂本隆浩撮影)
日章旗、北海道の遺族に返還 親族ら「気持ちに一つの区切り」

第二次世界大戦中、ニューギニア島北岸の町ホーランジアで戦死した北海道空知管内雨竜町出身の岡村耕平さん=享年38=が持っていた日章旗が30日、民間非営利団体を通じて米国から北海道内の遺族に返還された。

同町内の雨竜神社で返還式が行われ、親族や地元関係者ら約10人が出席した。長男の岡村義人さん(82)=滝川市=は「自分の気持ちの中で一つの区切りがついた」と述べ、返還に携わった関係者に感謝の思いを語った。

日章旗は米国ロードアイランド州在住のジェームス・ルイスさん(73)が所有していたもの。1992年に73歳で死去した父親のポール・ルイスさんの遺品の中にあった2枚の日章旗のうちの1枚で、日米で日章旗返還を通じた平和活動に取り組む「OBONソサエティ」を通じて親族に返還したいと申し出があったという。ポールさんは元米国陸軍第2大隊の歩兵隊に所属し、ニューギニアやフィリピンなどに従軍していたといい、その途中で戦利品として日章旗を持ち帰ったとされる。

同団体で広報などを担当する工藤公督(こうすけ)さん(46)は「ジェームスさんによると、父親から戦争に関する話は聞いたことがなく、日章旗についても見つかるまでは知らなかったという。自らインターネットなどで調べて寄せ書き入りの日章旗の意味を知り、昨年4月に返還したいと当団体に連絡してくれた。もう1枚の日章旗も親族へ返還されている」と話す。
雨竜町内の雨竜神社で行われた返還式には、長男の岡村義人さんをはじめ、長女の渋谷富子さん(86)=滝川市=、次女の武田美枝子さん(84)=岩見沢市=の3きょうだいと孫など6人の親族が集まった。

返還された日章旗には「元気で頼む」「忠勇義烈」「守れ祖国の生命線を」など31人分の寄せ書きとともに「岡村耕平君 雨竜村第9区住民一同」と記されており、父親の遺品を見ながら涙をぬぐう姿もあった。

義人さんは「60歳を過ぎたころに靖国神社へお参りして父に別れを告げてきたが、こうして遺品が戻ってきてくれたことで自分自身の気持ちに一つの区切りがついた」と率直な思いを述べた。義人さんの長男で、耕平さんの孫にあたる英司(ひでし)さん(57)は「日章旗がどうして向こう(米国)に渡ってしまったのか複雑な思いもあるが、祖父の遺品が戻ってきてくれたことはうれしい。私の子供にも伝えたい」と話した。

OBONソサエティによると、日章旗は米兵が戦利品として持ち帰ったケースが多く、米国内には約3万枚があるとされる。同団体はこのうち約2千枚について返還に係る捜索依頼を受けており、400枚以上返還した実績を持つ。工藤さんによると、最近はコロナ禍により米国でもステイホームが長期化。自宅を片づけている中で見つかるケースが増えているという。コロナ禍の影響で遺族捜索が難しいケースもあるが「さまざまな団体・機関の理解と協力をいただきながら、今後も返還活動を進めていきたい」と話している。
https://www.sankei.com/article/20210830-632LMKICV5PX5F3CONZAWNMBYY/?fbclid=IwAR1x1zv7bLDVWDR1YQgFDq_09_0qJp9cZa_ai06VTjyYFIZf1D1uwPaZYDU
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北海道新聞<戦後76年>日章旗 雨竜へ帰る ニューギニアで戦死 岡村さん携行 長男「一つの区切り」(Japanese Newspaper featured flag return in HOKKAIDO)

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紙面 紙面
【北海道雨竜】太平洋戦争中の1944年(昭和19年)5月に南太平洋のニューギニア島で戦死した空知管内雨竜町出身の岡村耕平さん(享年38歳)が戦地で携行していた日章旗の返還式が30日、町内の雨竜神社で行われた。

旧日本兵の遺留品返還を進める米国の団体「OBONソサエティ」の仲介で、道内遺族への返還は3例目。岡村さんの長男義人さん(82)=滝川市在住=は「これで父の死に一つの区切りをつけることができた」と語った。

同団体などの調査によると、岡村さんは旧日本海軍第九艦隊第九十警備隊に配属され、44年4月22日に激戦地のニューギニア島に上陸。その後の戦闘で散り散りとなり、旧陸軍の記録によると同年5月3日に部隊の玉砕が報告されており、岡村さんも同日に亡くなったとされる。

日章旗は出征時に「雨竜村第九区住民一同」から贈られたもので岡村さんの名前のほか、「守れ祖国の生命線を」などと約30人からの寄せ書きがある。92年に亡くなった元米陸軍兵士の遺品の中にあった旗を遺族が発見し、2020年4月に「OBONソサエティ」に連絡。札幌在住の同団体スタッフ工藤公督(こうすけ)さん(46)=札幌在住=が調査を行い、今年7月、義人さんに連絡を取り、返還が実現した。

返還式には義人さんら遺族6人と西野尚志雨竜町長らが出席。義人さんは「父の生きた姿を見た記憶はなく、遺品も残っていない。旗は大事に仏壇の中で保管したい。尽力してくださった方々には感謝しかない」と語った。

同団体は道内では15年に札幌と千歳の遺族に日章旗を返還している。工藤さんは「団体では未返還の遺品が2千点以上ある。今後、道内遺族への返還につながっていけば」と話している。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/583847?rct=n_society
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NHK/米国で保管の日章旗 昭和19年戦死兵士の遺族に返還 雨竜町(Japanese TV featured flag return in HOKKAIDO)

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NHK/米国で保管の日章旗 昭...
米国で保管の日章旗 昭和19年戦死兵士の遺族に返還 雨竜町

太平洋戦争で戦死した空知の雨竜町出身の男性のものとみられる日章旗が見つかり、30日、遺族に返還されました。

返還されたのは、当時の雨竜村、現在の雨竜町出身で、太平洋戦争中の昭和19年に戦死した岡村耕平さんのものとみられる日章旗です。

日章旗を返還する活動にあたっているNPOによりますと、この日章旗はアメリカの元陸軍兵士の自宅に保管されていたということです。

30日は雨竜町の神社で遺族への返還式が行われ、岡村さんの子どもや孫など14人が集まり長男の岡村義人さんに日章旗が手渡されました。

旗には岡村耕平さんの名前とともに村の人たちによる激励や健康を願う手書きのメッセージが書き込まれていて、義人さんたちは涙ぐみながら旗を見つめていました。
また、日章旗を見つけたアメリカ軍兵士の息子からは「お父様の旗が帰郷され、皆様に心の安らぎと幸福をもたらしますように」という手紙が代読されました。

義人さんは「父の日章旗が見つかり、このように手元に戻ってきて感激です。家に持ち帰って大切に保管したいです」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210830/7000037822.html
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朝日新聞/太平洋に散った旧日本兵の日章旗 77年経て遺族の元へ(Japanese Newspaper featured flag return in HOKKAIDO)

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朝日新聞/太平洋に散った旧日本...
「武運長久祈ル」「元気で頼む」「北海男子」「盡(じん)忠報国」「守れ祖国の生命線を」。その日章旗には、戦地へ行くのを見送った故郷の人たちの、数々の寄せ書きが残されていた。

 太平洋の激戦地で戦死した北海道雨竜町出身の海軍兵の所持品とみられる日章旗が、77年の時を経て遺族の元に戻る。元米国兵の家族が保管していたもので、旧日本兵の遺品を遺族に返す活動をしている米オレゴン州の非営利団体「OBONソサエティ」の仲介で、30日に同町の雨竜神社で返還式が行われる。

 OBONソサエティは、オレゴン州在住のジーク敬子さんが戦死した祖父の日章旗の返還を受けたのをきっかけに、夫のレックスさんと2009年につくった団体だ。兵士らの遺品の返還活動を通じて旧交戦国との和解と友好を訴えている。これまでに戦利品などとして米国などに持ち帰られた日章旗約400枚などを、日本の遺族らに届けてきた。

 今回返還される日章旗には、旧日本海軍の第九艦隊第九十警備隊に所属した、岡村耕平一等兵曹の名が書かれていた。妻子4人と農家を営んでいた岡村さんの出征の際に「雨龍村第九区住民一同」が贈ったとみられ、日の丸を囲んで約30の寄せ書きがあった。

 防衛研究所の戦史叢書(そうしょ)やOBONソサエティの調査によると、太平洋南部・ニューギニア島の北岸ホーランジアに上陸した同警備隊は、1944(昭和19)年4月、連合国軍の急襲を受け、29日に部隊は散り散りになった。

 「ゲリラ活動を続行せよ」との命令で戦闘を継続したが、5月3日には艦隊司令長官以下の玉砕が報告された。岡村さんも同日に戦死、38歳だった。部隊の生存者は数人にすぎなかったという。

 岡村さんの日章旗を所有していたのは、米国陸軍兵士の息子のジェイムス・ルイスさん(73)。亡くなった両親の遺品の中に階級章などと共に保存されていたのを見つけ、OBONソサエティに連絡した。https://news.yahoo.co.jp/articles/e6851d11616d50371691889a85ff52b4d80e4d77?fbclid=IwAR3nOnUWECtsTSjp4xxc3tlt48JzNrx0qagDV0arqToLWBX598rWfPlYxZE
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朝日新聞/太平洋に散った旧日本兵の日章旗 77年経て遺族の元へ(Japanese Newspaper featured flag returning in Hokkaido)

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朝日新聞/太平洋に散った旧日本...
「武運長久祈ル」「元気で頼む」「北海男子」「盡(じん)忠報国」「守れ祖国の生命線を」。その日章旗には、戦地へ行くのを見送った故郷の人たちの、数々の寄せ書きが残されていた。
太平洋の激戦地で戦死した北海道雨竜町出身の海軍兵の所持品とみられる日章旗が、77年の時を経て遺族の元に戻る。元米国兵の家族が保管していたもので、旧日本兵の遺品を遺族に返す活動をしている米オレゴン州の非営利団体「OBONソサエティ」の仲介で、30日に同町の雨竜神社で返還式が行われる。
OBONソサエティは、オレゴン州在住のジーク敬子さんが戦死した祖父の日章旗の返還を受けたのをきっかけに、夫のレックスさんと2009年につくった団体だ。兵士らの遺品の返還活動を通じて旧交戦国との和解と友好を訴えている。これまでに戦利品などとして米国などに持ち帰られた日章旗約400枚などを、日本の遺族らに届けてきた。
今回返還される日章旗には、旧日本海軍の第九艦隊第九十警備隊に所属した、岡村耕平一等兵曹の名が書かれていた。妻子4人と農家を営んでいた岡村さんの出征の際に「雨龍村第九区住民一同」が贈ったとみられ、日の丸を囲んで約30の寄せ書きがあった。
防衛研究所の戦史叢書(そうしょ)やOBONソサエティの調査によると、太平洋南部・ニューギニア島の北岸ホーランジアに上陸した同警備隊は、1944(昭和19)年4月、連合国軍の急襲を受け、29日に部隊は散り散りになった。
「ゲリラ活動を続行せよ」との命令で戦闘を継続したが、5月3日には艦隊司令長官以下の玉砕が報告された。岡村さんも同日に戦死、38歳だった。部隊の生存者は数人にすぎなかったという。
岡村さんの日章旗を所有していたのは、米国陸軍兵士の息子のジェイムス・ルイスさん(73)。亡くなった両親の遺品の中に階級章などと共に保存されていたのを見つけ、OBONソサエティに連絡した。----------

全文は添付の画像かリンク先で読んでいただけると幸いです。
https://www.asahi.com/articles/ASP8M4K7QP8KIIPE01H.html
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新潟TV21が日章旗返還について放送/戦地の日章旗 76年ぶりの返還(Japanese TV featured successful flag return)

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終戦から76年。
当時、妙高市から沖縄に向かい戦地で散った
男性の日章旗が76年ぶりに遺族のもとに返還されました。
8月15日は76回目の終戦記念日でした。76年ぶりに戦地から遺族のもとに返還された日章旗が、新潟県の妙高市役所で展示されています。
妙高市役所で開催されている平和パネル展。見学に訪れた人は当時に思いをはせていました。来場者は「私の父は33歳の時、第二次世界大戦で亡くなった。二度と戦争はしないでほしいと昨日の戦没者追悼式を見ていて実感した」と語りました。
展示の一つの日章旗は、妙高市出身で沖縄で散った男性の遺品です。6月30日に妙高市出身の戦没者の追悼法要で、日章旗は遺族に渡されました。旧新井市矢代出身で沖縄で戦死した古川學さん(当時30歳)に、出征の時に贈られたものでした。
受け取った遺族の古川行雄さん(66)は、「なんとなくお盆にお参りするだけでしたが、學の偉大さを痛感しました」と語りました。
日章旗には、戦場での無事を祈る「武運長久」と書かれ、周りの名前は共にすごした戦友とみられています。古川学さんは1945年6月15日に沖縄で戦死。日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰っていました。今回は、日本兵の遺品などを返還する活動をしているアメリカの市民団体から、日本遺族会などを通じて返還が実現しました。
遺族の古川行雄さんは、「戦争の悲惨さ。肌身離さず持っていて命を落とした。これをアメリカ兵が持って行かれて、日米の友好で返還という話が来て戻ってきた」と語りました。
戦争を体験した人が少なくなる中、妙高市遺族会ではこういった遺品を通じて悲劇を語り継ぎたいとしています。
妙高市役所で開催されている「平和パネル展」は、8月20日まで開催されています。https://news.yahoo.co.jp/articles/41840f9edac05f5f27c5f75c5c63ce4c99efa4ee?fbclid=IwAR1KA-sUB2hCknqRP2lt--3vkORqVI9t4zJEFXwrmXVTZjdNXYhixGbCVAU
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FRIDAY誌(デジタル版)に共同代表インタビュー記事掲載/Japanese magazine featured about OBON SOCIETY.REX and KEIKO's interview

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FRIDAY誌(デジタル版)に...
戦地に散った日本兵の遺品を「戦利品」として持ち帰った米兵が今、返還を願っている

2021年08月14日

戦後76年。戦時にアメリカ人の手に渡った「日の丸」を、日本に返還している人たちがいる。

第二次世界大戦のとき、日本兵は、家族らの寄せ書きが入った日の丸の旗を持って戦地に向かった。旗には、出征する兵士の名前とともに「武運長久」ー戦闘での幸運の願いや、無事を祈る家族、友人の名前が書きこまれていた。

兵士は、折りたたんだ旗を胸ポケットに入れお守りにして、激烈な戦地に赴いたという。旗には「思い」がこめられていた。

ーーー続きはリンク先で読んで頂きたく思いますーーーーー

https://friday.kodansha.co.jp/article/198913?fbclid=IwAR21QWCk4J5ztta0Xys8vInKEoeL0IY-GWi2GQeIcY9vNUq6gYpYus-IgU0

(OBONソサエティ https://obonsociety.org/jpn/


預かった大量の日の丸「これを還していくことが私たちの使命」と話すレックス夫妻
取材・文:和久井香菜子
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新潟日報/日章旗、76年ぶり故郷に(Japanese town paper featured successful flag return)

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新潟日報/日章旗、76年ぶり故...
日章旗、76年ぶり故郷に
沖縄で戦死した妙高出身・古川さん遺品

2021/07/10 14:05

太平洋戦争末期の1945年、沖縄で戦死した新潟県妙高市出身の陸軍伍長古川學(まなぶ)さん=享年(30)=が持っていた日章旗が、終戦から76年を経て、市内の遺族に米国から返還された。妙高市の遺族に日章旗が戻されるのは初めて。関係者は「返還は敵国同士だった米国と日本の友好の証し」と、改めて平和の尊さを心に刻んでいた。

戦争で亡くなった妙高市出身の戦没者1691人を追悼する本年度の戦没者追悼法要が6月30日、同市の新井別院で営まれ、その席上で日章旗が遺族に渡された。旗には「為古川學君」「武運長久」と書かれ、日の丸の周りには8人の名前が記されている。古川さんは45年6月15日、沖縄本島で戦死した。

日章旗は戦後、戦利品として米兵が持ち帰ったもので、米国オレゴン州を拠点に活動する非営利団体や日本遺族会などによって返還が実現した。これまで約380枚の日章旗が国内の遺族の元に返されている。県連合遺族会によると、県内遺族への返還は今回で7例目。

旗を受け取った遺族の古川行雄さん(66)=妙高市志=は「返還されるという話を聞いたときは本当に驚いた。家で保管したい」と述べた。妙高市遺族会の間島英夫会長は「遺族会では戦没者の遺品を整理しているので、守り伝えたい」と話した。

戦没者追悼法要には行政関係者や市遺族会、市社会福祉協議会役員ら約40人が参列。読経が響く中、参列者が焼香し冥福を祈った。入村明市長は「悲しい歴史を二度と繰り返すことのないよう、次の世代に受け継いでいく使命がある」とみ霊を追悼した。https://www.niigata-nippo.co.jp/.../20210710627683.html
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上越妙高タウン情報誌/遺留品の日章旗 76年ぶりに遺族のもとへ(Japanese town paper featured successful flag return)

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上越妙高タウン情報誌/遺留品の...
妙高市出身で戦争で亡くなった人たちの追悼法要が30日、妙高市で行われました。これにあわせ、沖縄の地上戦で亡くなった男性の遺留品として、日章旗がアメリカから遺族に返還されました。

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追悼法要には妙高市遺族会や社会福祉協議会の役員など約40人が参列しました。妙高市では第二次世界大戦などで1691人が亡くなっています。法要では、社会福祉協議会の三浦了好会長が追悼文を読み上げました。

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三浦会長は「平和で豊かな社会は、戦火に散った多くの尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。我が国では戦争を知らない世代が8割を占める。戦争の記憶の風化が危惧されている。改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に引き継がなければならない」。

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入村市長は「悲しい歴史を繰り返さないよう、我々には次の世代に引き継ぐ使命がある」と述べました。

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この後、昭和20年6月15日、沖縄の地上戦で亡くなった古川學さんの日章旗が遺留品として、遺族の古川行雄さんに返還されました。學さんは矢代地区の出身、当時30歳でした。 日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰りましたが、アメリカの非営利団体、OBON(オボン)ソサエティや日本遺族会などを通じて返還されました。

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縦70センチ、横100センチの旗には、學さんを含む9人の名前と無事を祈る「武運長久」の文字が書かれています。

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日章旗は出征する人に対し、家族などが寄せ書きしますが、遺族会によりますと、學さんの旗にある寄せ書きは地元には無い名字であることから、戦地で戦友が書いた可能性があるということです。遺族に日章旗が返還されるのは妙高市内では初めて、県内でも2例目ではないかということです。

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古川さんは「自宅に(學さんの)石碑があり、お盆にお参りしていたが偉大さを痛感した。国のためにとはいえ命を捨てた。戦争はあってはならない」と話しました。

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妙高市遺族会は、市内にある戦没者の遺品などを探し当て、登録する取り組みを進めています。この日章旗も古川さんの理解を得て、活用させてもらえたらと話しています。

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遺族会の間島英夫会長は「語り部として(市内の中学校に)戦争の話をしている。(日章旗は)生きた教材として、切実に訴えることができる」としています。
https://www.joetsu.ne.jp/148686?fbclid=IwAR1uwTtTfiFotAY6ApPyFqPdHWWHWrfMnB2PbuB5YZ2FazChU67KQZkhmCo

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盛岡タイムス/76年の時を経て遺族に 盛岡出身戦没者の日章旗 米国の非営利組織通じ 「御霊が一緒に帰ってきた」(Japanese newspaper featured successful flag return)

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盛岡タイムス/76年の時を経て...
盛岡市旧新田町(現夕顔瀬町)出身の戦没者・谷藤幸二郎さんの日章旗が、76年の時を経て、遺族の元に帰還した。日章旗は、出征者の無事を祈り直筆で署名やメッセージを寄せ書きしたもの。「祝・壮途 谷藤幸二郎君」「忠誠」「忠義は黙して行ふべし」「不死身」などの願いがしたためられていた。

幸二郎さんは、暁2948第三揚陸隊所属の陸軍兵長。1944年6月25日に、ニューギニア・ゲンエイムで戦死したという。

日章旗は、太平洋戦争時に米軍第5空軍の戦闘機パイロットだったラルフ・キッチンズさん(2017年10月逝去)が、沖縄で米陸軍兵士から譲り受けたもの。今回の返還は、娘のメアリー・ジョンソンさん=米国フロリダ在住=が父の遺志を受け継ぎ、オレゴン州の非営利組織OBONソサエティに依頼し、実現した。

OBONソサエティは、09年発足。欧米諸国を中心に、寄せ書きされた日の丸の持つ意味を正しく伝え、返還を通じた平和啓発に取り組んでいる団体。代表者はレックス・ジークさんと京都出身の敬子・ジークさん。

16年にメアリーさんから返還依頼を受け、旗の文字の書き起こしが行われた。

記されていた「新田町第一町内会」に着目し、捜索範囲を盛岡市に絞った。20年11月に市内関係機関に協力を依頼したことから、國雄さん、勝利さんが遺族であると判明した。

26日、市役所会議室で日章旗返還式が行われた。

谷藤裕明市長と、幸二郎さんのおいにあたる谷藤國雄さん(79)、佐藤勝利さん(77)、県遺族連合会の甘竹勝郎会長、盛岡市遺族会の工藤新悦会長、夕顔瀬町第一町内会の平野耕一郎会長が出席。谷藤市長から國雄さんに、幸二郎さんの出征を見届けた日章旗が手渡された。

谷藤市長は「遺留品である日章旗を76年の時を経てお返しでき、喜ばしい。温かい思いに感謝し、平和の尊さを継承したい」とあいさつした。

旗を受け取った國雄さんは「各団体のお力添えに深く感謝いたします」と謝意を示し、「御霊(みたま)と一緒に旗が帰ってきた。叔父の記憶はないが、若くして亡くなったと聞いていた。供養してあげたい」と感慨深げな面持ちで語った。

式では、レックスさん、敬子さん両代表とメアリーさんのビデオメッセージも紹介された。

メアリーさんは「戦争は恐ろしいもの。運よく父は帰ってこられた。幸二郎のこと、気の毒に思う。お返しできてよかった」とコメントを寄せた。

敬子さんは「(アメリカにも)日本の遺族の方を真摯(しんし)に思う方がいる。平和への歩みを進める第一歩となれば」と、友好と平和の継続を望んでいた。http://www.morioka-times.com/detail/?kijiid=626&fbclid=IwAR3mHmhVAP_jJdwapvfSH1tYi9QmrfvHgJ4viTQsMuXPYSmfRG2zlZ8HV_I

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