気動車の発展と開発 キハ55系気動車の誕生 第6話
12月
24日
本日も、国鉄時代の内燃気動車の発達史をアップさせていただきます。
今回は、キハ55のお話をさせていただこうと思います。
国鉄では、戦後石油事情が好転したことから、戦後はディーゼル機関搭載の車両が試作され、電気式キハ44000に始まる戦後気動車が幕を開けたことは既に書きましたが、DMH17系エンジンの出力は150 PSその後はエンジンに予燃焼室設けて160 PS、その後180 PSまで引き上げられました、しかし、勾配線区では力不足を露呈してしまい。25‰勾配がある線区には配置しない等の措置が講じられていました。
しかし、気動車の配備要望は強く、勾配線区では2エンジンの方針が決定され、試作車としてキハ50が製作されました。
車体長は、22mの長さとなり、これでは分岐器の保安装置(轍叉桿(Detector Bar)に問題があるとして、その後車体長を20.6mに抑えたキハ51が開発されます、ただし、ここまでは車体幅は2.6mの小さな車体に甘んじるしかありませんでした。
昭和30年に入ると、10系客車の手法を活かして、気動車の軽量化と居住性の改善を図ることが計画されました。
モノコック構造を採用しながら車体幅や車体長を拡大した準急用気動車が誕生しました。
この車両は、車体が大きくなっても、重量は従来のキハ51とほぼ変わらなかったそうで。軽量客車の構造を活かされており、キハ55と言う形式が与えられました。
キハ55は、東武が1700系(後の1720系DRCとは異なる)を投入したことに対する対抗措置という側面もありました。
車体幅は、2.9mまで拡幅され、車体長は電車よりも長い21.3mとなりました。
この長さは、その後国鉄気動車の標準長となり、JR移行後もそのまま引き継がれています。
また、初期のキハ55は車端で車両の角が干渉する恐れがあるとして妻板の両端がカーブしていましたが、その後に製造される車両では普通に切妻とされています。
デッキは設置されたものの、床上にトイレ用の水タンクを設置したため、キハ58などに見られる本格的な洗面所は設けられていませんでした。
その辺は、153系電車と比べると設備面で劣ると言わざるを得ませんでした。
余談ですが、キハ28/58で初めて気動車も、電車並みの接客設備を獲得しましたが、キロ28に関しては照明カバーが省略されるなど、電車と比べると本質的で無い部分で、コストダウンが図られていました。
これは、特急も同様で、181系や485系が背ずりの反対側もモケットバリであったのに対して、塩ビの化粧シートが貼られており、カーテンも横引きではなく、普通のロールカーテンになるなどの相違がありました。
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