労働運動と国鉄 第6話 機関車労組誕生
10月
25日
かっては、鬼の動労と恐れられ、国鉄末期に労使協調路線に翻意した動労という組合のついて記述していきたいと思います。
動労は、元々は国労の中にあった機関車乗務の組合員が中心になって昭和25年に分裂した組織であり、当初は「機関車労組」と名乗っていました。
その後電車列車や気動車列車などが増えてきたことから、名称をより実態にそった「動力車労組」と変更しました。
何ゆえ、国労から、動労は分離したのでしょうか?
それは、戦前にまで遡らなくてはなりません。元々、機関車乗務員は開業当時に外国人機関士を雇い入れた経緯からと思われますが、駅長と同じ判任官待遇(官吏としては最下級、軍隊では下士官が相当)でしたが、戦後は民主化の中で位階勲等は廃止、(その後勲章などで勲等は復活しています)されたこともあり、機関士の賃金も他の職種と同一賃金となったことに不満を感じた機関士などが、「戦前・戦中の優遇回復」を第一の目的として分裂したものでした。
そのため、国労と思想的には全く同じです、社会党(現・社民党)を支持し、総評に加盟するというわけですから。
その後に発足する、鉄労は全く思想的に別物だったのですが、鉄労と動労が急接近し、国労から一線を引くというのも不思議な気がしますね。
なお、組合の分裂には、国鉄当局の運転局が裏で支援しており、昭和28年の参議院選挙で当選した国鉄運転畑の大御所的存在であった、輸送局・理事を歴任した木島虎蔵氏を組織内として精力的に応援、木島氏も「俺の組合」などといっていた。
ただ、素朴な疑問として、組合運動に当局側が積極的に(直接的では無いとしても)分裂を応援すると言うのはおかしなことだと思います。
格差賃金の獲得
国労から、分離した動労は、当初は非常に穏健派であり、当局とも非常に良好な関係を続けていた。昭和32年には動力車乗務員の賃金は300円ではあるが高くなりました。
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