気動車の発展と開発 気動車急行の誕生 第10話
1月
2日
準急気動車が気動車化されても、急行は客車列車の場合も多く、気動車化は喫緊の課題でした。
ただ、キハ55は気動車としては優秀でも、車内設備は貧弱であったことから、特急列車並みの車体幅とした、急行気動車の開発が進められることになりました。
実は、製造に関しては北海道向けの車両開発が先行したため形式的にはキハ56【北海道用】キハ57【信越線】キハ58の順で製作されました。
昭和36年1月に先行試作車が完成しました。
キハ55と基本的なスタイルは同じですが、車体幅は2900 mm となり、車体幅を絞る形となった他、ドアの幅が740 mmから850 mmに拡大されています。
特に先行して誕生した、キハ56はキハ22に準じた車体であり、1等車は153系サロ152と同様にリクライニング装備のシートが取り付けられましたが、下降式窓は見送られました。
その後本州向けに開発された車両は、サロ152同様の下降式窓が採用されましたが、下降式窓の保守を十分に行えず昭和50年代にはユニットサッシの窓に取り替える工事が行われ、優雅な下降窓は無粋な上段下降下段上昇の緊急時に窓から脱出できないのではと思わせる窓高さの車両が誕生しました。
ただ、1等車に関しては、サロ152等が特急形に準じた蛍光灯カバーがありましたが、気動車では省略されるなど、微妙に簡素化されていたりしました。
なお、エンジンはキハ80系で採用されたDMH17H【横型エンジン】が採用され、排気筒が出入り口両端に移設され、キハ20までの車両にあったように車体中心に排気筒が無くなり車内がすっきりしたものです。
また、洗面所も客車同様のものが設置され、急行列車にふさわしいものとなりました。
実際には、準急気動車でもキハ28・58が使用され、その逆でキハ55・26が急行列車に使用される場合もありました。
もっとも、北海道ではキハ22が急行列車として走るなんてことも一般的でした。
今から考えればおおらかな時代であったと思います。
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