高度経済成長と輸送力増強 第4話 昭和36年10月改正と全国特急網の完成
11月
29日
昭和30年代という時代を総括しますと、なべ底不況と言われた景気調整局面は有ったものに、昭和29年から昭和36年12月まで右肩上がりの経済成長を遂げた時代と言えます。
経済成長と公害問題をの両方を内包した時代ではありましたが、経済の成長は確実に個人所得を増やし、三種の神器と呼ばれた(テレビ・洗濯機・冷蔵庫)の購入することが目標となった時代でした。
道路の整備なども進み、高速道路建設が計画される等国鉄を取巻く環境も変わりつつありました。
そんな中、国鉄は昭和36年10月1日に全国白紙ダイヤ改正を行います。
当時の部内誌(国鉄線)を参照しますと、このダイヤ改正は3年前から準備されたとのことで、この改正の画期的だったことは全国に一気に優等列車網(特急列車網)を誕生させたことでした。
実際に、本社内でもこれだけの列車を作って大丈夫だろうかととう不安もあったそうですが、積極的な特急増発させた背景には、高度経済成長に伴う大都市間の流動が急激に増加したことや先ほども書きましたが、東名高速や名神高速に代表されるような高速道の建設が決定したことに対する不安でした。
現時点で積極策に出ないと国鉄の将来は危ういという意識が幹部にあったからだと言われています。
実際、特急網の充実は目を見張るものがありましたが、特急以外にも、気動車を使ったユニークな列車も設定されました。
その一例として、
宇野発(9:30)伯備線・山陰線経由 博多(22:00)行き と言った列車がありました。
今では考えられないような列車ですが。笑
参考 https://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/e/e437d326ce9651a44d713d3cc20b900c
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