輸送力増強と国鉄 第1話 輸送力増強
11月
1日
輸送力増強
昭和24年9月、戦後初めての「特急 へいわ」が運転を開始しました。
戦後の暗い世相の中でたとえ一般庶民には高嶺の花であった特急列車が復活するということは国民に希望を与えるものでした。
特に、「へいわ」という愛称は、戦後の国民には素直に受入れられる名称では有りましたが、愛称については、改めて公募が行なわれることとなりました。
全国から約16万通の応募があり、その中から1,500余通を占めた「つばめ」が選ばれました。これにより、昭和25年1月1日をもって「へいわ」は「つばめ」に改称されました。
余談ですが、初代「へいわ」に使われたテールマークと「はと」のデザインは全く同じ物が使われています。さらに、同年5月11日には姉妹特急として「はと」が運転を開始しました。
なお、特急つばめですが、昭和25年5月からは、特別2等車(現在のグリーン車)が連結されました。
これは、GHQの民間運輸局(CTS)といって、国鉄の基本的な政策などを勧告と指示を与えるポスト)のシャグノン大佐という人の強い要望(強制?)によると言われています。
このとき作られた特別2等車がスロ60と言われる形式で定員は44人と現在の標準的な車両よりもゆったりとした設計になっていました。この車両は主に外国人専用として使われたようです。
その後、当時の日本人向けにシートの間隔を狭めたスロ50(定員48人)、スロ51(定員52人)の3形式が登場しました。
従来の向かい合わせ式の2等車は並2等(並ロ)、リクライニング装備の2等車は特二等(特ロ)と呼ばれて区別され、特別2等車には特別料金が設けられました。
これらの車両は現在のグリーン車の基礎を築いたという点では注目すべきものであり、すこぶる評判の悪かったCTSにおいて唯一評価できるものといわれています。
なお、国鉄当局は当初は1等車扱いにしたかったようですが、許可が下りず止む無く特別2等車という名称にしたわけで、結果的に2等車の全体的なかさ上げが出来たと言われています。
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