記事検索

岩魚太郎の何でも歳時記

https://jp.bloguru.com/iwanatarou

フリースペース

私怒っています

スレッド
国会中継を見ました。
内容です。
政府要人の過去のアラを追求するばっかりです。
民主党も自民党も擁護する気持ちはありません。
ねじれ国会は国民が選んだ意志です。
予算委員会と言う名前がついています。
予算の話をしたらどうですか!
野党の質門も政局がらみの質問ばかりです。

ねじれ国会を選択した国民の意思を、どうして国会に反映して頂けないのでしょうか?

#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

スレッド
蕾
2月5日のつぼみである
名も知らぬつぼみである。
げなげにもピンクの色を見せている。
椿であろうと想像する。

つぼみは懸命に花開こうとしている。
その懸命さがつぼみの状態から読み取れる。
春を待つ名も知らぬつぼみ君・・・・・
どんな美しい人になるのか楽しみです。

デイトの予約をしてもいいかな?
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

四重奏

スレッド
四重奏
平成23年2月6日(日)  写真 平成23年2月5日(土)16時25分の写真です。

冬なごむ夕暮れの風が
春香る光りの空に
コロナの光りがやさしくほほえんでいた
その情景は春の序曲のようだ
青空 白い雲 夕焼 シルエット
それは四重奏

一人の子供の声が聞こえる
「もう帰りましょう」
と言う若いお母さんの声が聞こえる

子供が乗っている自転車が家路へ向かって小さくなっていった

公園には人影が次第に消えてゆく
遠くに走る車の騒音と、カラスの声だけがかすかに響く
私はしばらくその場に立って夕日を見つめていて

一瞬 車の騒音も、カラスや鳥の鳴き声も消えた。
静寂・・・・と沈黙の世界・・ 
シルエットの真下にコロナが沈んだ。
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

シルエット

スレッド
シルエット
                              春をまつシルエット
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

再度訪れた神保町の機縁

スレッド
再度訪れた神保町の機縁
平成23年1月25日(火)
「喜びも悲しみも幾歳月」のシナリオに偶然巡り合って再度訪れた。
■1 JR水道橋下車、散歩も目的白山通りを神保町へと向かう。
■2 真っ先に矢口書店に向かう。
当初気がつかなかったが、道路脇軒先に本棚があった。店の側面道路脇にぎっしり売り物の本が並んでいた。通行人が一冊持って行っても店主は分からない。
ここの店主は、古本屋を見にくる人の性善説を信じているのであろう。
■3 びっしり並んでいる道路側面の本。
古書と言っても比較的新しい本が並んでいた。手に取ってみると、値札は500円〜1.000円の物が多数であった。
■4 テレビドラマ東芝日曜劇場の台本が数多く並んでいた。500円。
店内に入った。
「橋本 忍の作品はありませんか?」
店員は無言で狭い店内のとある棚に手を伸ばし私に手渡した。
定価2.500円の本が10.000であった。
本を見ながら私は熟慮した。
「持ち合わせがないから又来ます」
と言って店を出た。
■5 漫画専門店の本屋、通路は人が一人通るのがやっとのスペースである。
■6 45分「焼き肉食べ放題」狭い店内には若者で満席。
■7 久し振りに神保町の映画館へ向かった。

■恋すれど恋すれど物語
■お笑い江戸っ子祭り
■大当たりパチンコ娘
■誰よりも金を愛す
時間区切りで1本ずつ上映、定員制。
時間の都合が合わず入場を見送った。


■8  2010年12月28日(満86歳没)
神保町シアターのロビー
記念にこの本が売られていた。
『喜びも悲しみも幾歳月』で、私の人生を変えた映画の主演女優である。
矢口書店でこのシナリに偶然出合い、この神保町シアターでその主演女優『高峰秀子』に巡り会う。
しかも、神保町シアターのロビーに入ったのは、新春喜劇映画を見るためであったのに・・・・
一回目の神保町・シナリとの出合い
二回目の神保町・主演女優との出合い
三回目の神保町・・・・?
■9 帰路、古い右から読む校名の学校に出会った。
その学校は白山道路沿いにあった。
右読みの校名に写真を撮る人々が多うかった。私もその一人である。
財団法人研数学館は『数理を研き宇宙を開く』の理念で、明治三十年数学の泰斗奥平浪太郎先生創始の私塾で創設されたとのこと。

■10 水道橋駅のそばを流れる神田川。

神田川 鏡となって 冬の空

コメント欄に続きます。
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

脳の不思議

スレッド
平成23年1月21日(金)脳の不思議

五年前の二月、家内から買い物を頼まれて丁度正午頃に帰宅した。
買う物の忘れたらしく、その忘れ物の指摘を受けた。
そこで自分の異変に気がついた。
声が出なかったのである。
口をぱくぱくするだけで全く声が出なかったのである。
完全に失語症である。
身体を動かすことは異常を感じないが、救急車で病院に運ばれた。
脳梗塞である。
血液の固まりが脳の血管に詰まったのである。
■症状は失語症
■現象
・新聞や雑誌等の判読、テレビ、人の話等は普通に理解可能
・漢字は普通に書ける。
・問題はひらがなとカタカナ
・しゃちょう(社長) じてんしゃ(自転車) ショウジョウ(症状)と言った文字は不可。
小文字を使用する文字は書けるが、しゃちょう と言う仮名遣いが分からないのである。
・薬の投与で一ヶ月の入院で失語症は80%程度回復(早口言葉は不可)
■PC関連の作業
・Home Pageの作成 画像処理 ソフトのインストール等の作業は従来通り完璧。
■キーボード
・キーボードの文字位置は完璧に脳の中で消去された。
・ローマ字入力 日本語入力も全く不可、完璧に脳の中で¬キーボードの文字位置の文字位置もホォーマットされていた。
・特訓悪戦苦闘で二ヶ月。キーボードの文字位置は理解出来たが、ローマ字入力がスムーズにいかない。
・しゃちょ (SI LYA CHI LYO)この小文字の表現が頭に浮かんでこないのである。
・仕方なく日本語でカナ入力に切り替えた。
・しかし問題が発生したのである。
・文字位置の叩きミスである。カナ文字入力では「さ」「そ」の文字が隣接している。隣接している文字を打ち間違えてしまうのである。その文字を漢字変換する場合は、変換するから間違いに気づく。
・例をあげよう。
・そして彼は愛を意識した。さして彼は愛ほ意識して。(そ・さ を・ほ た・て)隣接文字である。間違いが多い。
・Wordでの校正チェックもこの違いを確認出来ない。Just right!2 と言う共同通信社使用のうたい文句でPRをしているソフトを購入したが、それもチェック出来ない。
ちなみにWordの校正だと、この文書全体の指摘は、(を・ほ Just right!2)の二点であった。
『さして彼は愛ほ意識して。(そ・さ を・ほ た・て)』この文字は意味不明である。

脳は不思議である。
小文字を使用した文字と、キーボードの文字位置だけのデータが消去されていた。

#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

『喜びも悲しみも幾歳月』

スレッド
『喜びも悲しみも幾歳月』
1.地下鉄のホーム、都営地下鉄新宿線の文字
   電車がホームに到着する。
   岩魚太郎(73歳)が所在なく座席に足を組んでいる眼を閉じて
   いる。
  車内のアナウンス「神保町−神保町−ホームは右側です」
   太郎がアナウンスの声に思わず眼を開く。
   神保町の駅名。
   太郎が慌てて座席を立って、扉が閉まる直前にホームに降りたつ。
   地下鉄出口案内の表示。
   その前に立って眺めている太郎。
   その横を降りたった反対側のホームに滑り込んでくる電車。
   ホーム中央を、肩を丸めて歩く太郎の後ろ姿。

2.神保町地下鉄の出口。
   太郎が階段を上がって出でくる。
   太郎の顔が左右に視線を走らす。
   その視線の先には、古本屋が軒を並べている。
   その方向に向かって歩き始める太郎。

3.一軒目の古本屋
   太郎が入って行く。
   棚一杯に学術書籍が並んでいる。
   箱の上にも乱雑に置かれている本・本・・・・
   その中に白い値札がついている。5.000円の文字
   その本を無造作に取り上げ、如何にも興味なさそうにめくってポ
   イと置く。
   番台に座った老眼をかけた店主らしい男が、音のした方の太郎を
   眼鏡越しにちらりと見る。
   ひやかしはお断りと言って目線である。
   太郎はそくそくと店から外へと出る。

4.再び古本の通りが並ぶ。
   その前を通り、積んである本を手に取ってパラパラとめくっては
   戻しながら歩く太郎が本を手にとって突然足が止まる。
   その本の表紙がUPされる。
   「昭和39年5月キネマ旬報」と書かれていた雑誌だった。
   太郎は、慌ててその通りの車道側に立って、その書店の屋号を確
   認した。
   矢口書店 映画・演劇・戯曲・シナリオ・の文字があった。
  
5.矢口書店店内
   店内の構成は通路がU型で、奥がカウンターの台が置かれ、尚子
   (35歳)と桂子(40歳)が忙しそうに本の整理をしていた。
   太郎がその前を通りすぎようとする時、一瞬太郎の足が止また。
   太郎の視線の先には、本のタイトルが、『新喜びも悲しみも幾歳
   月』とある
   太郎は迷わず尚子に聞いた。
 太郎「これおいくらですか?」
 尚子「五百円です」とぶっきらぼう。
   太郎が財布から五百円玉を取り出して渡す。
   太郎が尚子に声をかけたい様子で受け取って本を片手に眺めてい
   る。
 尚子「何か?」と言う怪訝な表情
 太郎「この本の前の、佐田啓二と高峰秀子のシナリオはありませんか?」
 尚子「ありません」と素っ気ない。
 尚子「出ましたらご連絡します、ご連絡番号を」
 太郎「ここへ電話をしてください」と名刺を出す。
 尚子「わかりました」と言って名刺の保管箱に無造作に入れる。

6.外に出て、まじまじとそのた本を眺める。
   『新喜びも悲しみも幾歳月』に、佐田啓二と高峰秀子の映画のポスターが(OL)
   そのポスターにさらに(OL)して

7.千葉県犬吠崎灯台、快晴の朝日が昇る
――――――――――――――――――――――
   タイトル「岩魚太郎の青春(仮題)」
――――――――――――――――――――――
当時の私は、映画青年であった。
1958奮起して上京、日本に一校しかない学校「シナリオ研究所」にアルバイトをしながら夜間通学二年、二期生として無事卒業。
卒業以降の映画業界は、テレビドラマに押されて第一次映画斜陽時代、映画にかかわる人材の解雇が相次ぎ、映画関係会社への就職はゼロ。
苦い想い出、だが我が青春に悔い無し!と言った充実した青年期を過ごした。

映画『喜びも悲しみも幾歳月』とは、私の人生をも変える映画であった。

それから幾歳年月・・73歳の私が、何となくの思いつきで神保町に下車、そして偶然、まさに偶然にも『新喜びも悲しみも幾歳月』と言う、シナリオで書かれた本に巡り合ったのである。

その冒頭から、シナリオの文章方式で記述した。
シナリオとは、イメージ文学である。

#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

四六七

スレッド
散歩の途中変わった表札を見つけました。
名字***名前は四六七。

岩魚太郎ではなく
岩魚四六七 です。

四六七 の読み方誰か教えてください。
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

岩魚太郎の「秘密」の続き

スレッド
岩魚太郎の「秘密」の続き
1月12日(水)日記 「秘密」続き

タイガーマスク「伊達直人」発信からの善意の輪全国に広がっている。
善意は善意として大いに歓迎するが、入居者が喜ぶ表情を、テレビカメラは、意図的隠して報道している局もある。
それは何故だろう?
児童を養護施設に入居出来る年齢は、0歳児〜18までと聞いている。

それは、テレビ局も通学する児童が、児童福祉施設から学校に通っていることを公に公開してはまずい配慮があるからである。
学校でも、友達にも、公にすることでの差別を受ける可能性があるからである。
低学年の子供は、純真でもあるが、きつい言葉も平気で投げかける。
児童福祉施設からの一年生の入学式、ただ単純に言葉をかける。
小学校1年生である。
相手を見て配慮のなぞない。

「そのランドセル、タイガーマスクからもらったランドセルだろう、僕んちは、ママに買ってもらったんだ」

その言葉をかけられた養護施設の子供の気持ちを思うと、何と言って慰めたらよいのか言葉が見つからない。

養護施設の子供達は、一般の大人社会でも、子供達でも、偏見と屈折した同情心がある。
子供が喧嘩をした。
一般家庭の子供が怪我をした。
親は怪我をした自分の子供に対して言う。

「施設の子供と遊ぶのはよしなさい」

そのように決めつけるは訳では無いが、給食の未払いが、支払い能力がありながら未納の問題が話題なっている時代である。
そのような親は、児童施設に出向き抗議するだろう。

考えてほしい。
児童施設に入居している子供は、すべて100%親の責任で入居しているのである。
子供の意志で入居は不可能なのである。

親の虐待、育児放棄、両親の死等々、すべて親御自らの理由である。
生活苦からの入居はほとんど無い、生活保護制度を確立しているからである。

しかし、まだ偏見と差別の視線で社会は見ている。
テレビドラマ、犯人の過去は元児童施設で育ったと言う設定である。

私の場合も、終戦後、母の死、父親は病院の中、父は入院している現実では3人の子供を育てることは不可能である。
数少ない親戚も、松山の大空襲で被災している。
親戚の子供を預かる余裕なぞ無い。

育児放棄であったにしろ何にしろ、施設に入居している子供達のすべては、親の責任である。子供達に全く責任は無い。

しかし、施設に入居している子供達は、偏見で差別される。
「あの人は児童施設で育ったんだって・・・」と言われる。
タイトルで「秘密」と言う理由がそこにある。

社会人になって、「私は児童施設で育った」と言う大人といまたに接していない。

報道によると、児童養護施設は569施設、入所定員は33,994人、在所児(者)数は30,695人にも及んでいる。

ランドセルの善意を機会に、私たち大人の社会が、無意識に偏見の目線で見ていることに是非気づいてほしい。


#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

123 :1月12日(水)の日記 「秘密」

スレッド
1月11日「123」のタイトルで

1月12日(水)の日記
秘密 私は1937年−昭和12年の生まれである
と、UPしてしまいました。コメントを頂いた方にお詫びをもうしあげます。テストのプレビューの予定が本番になってしまいました。

今度は本番です。
--------------------------------

1月12日読売新聞朝刊の社説 「広がるタイガーマスクの善意」


昨今のNEWSで話題になっている。
タイガーマスクが各県の養護施設へのランドセルやおもちゃの寄付である。
善意の輪が広がっていて、肝っ玉母さん の寄付もあると言う1月12日の報道であった。
それはそれで喜ばしいことだが、私にとって、もっとも暗い過去を思い出す。

岩魚太郎の、ブログのお友達の中で、養護施設を体験された方は恐らくいらっしゃらないと想像している。
タイガーマスクは、聞くところによると養護施設で子供の時期を育ったと聞いている。
従って養護施設に寄付となったのであろう。

私は1937年−昭和12年の生まれである。
終戦の和20年8月、小学生1年生であった。
大阪生まれの私は、母と共に父の実家松山市に昭和20年7月26日に疎開した。
松山空襲は、昭和20年7月26日 23:30、松山市は焼夷弾爆撃を受けた。この空襲によって、罹災者 62200名、死者・行方不明者259名との記録がある。市街地の大半は灰燼に帰した。

当時防空壕と言う施設があった。アメリカの空襲を受けた時、市街地に穴を掘って避難する施設であった。
当日その防空壕に母が手を引いて入る予定であったが、満員で、しかも当日疎開してきた見知らぬ親子を入れてもらえる訳は無かった。

5月に田植え、その田んぼのあぜ道を母に手を引かれながら落下する焼夷弾を避けながら逃げまどった記憶が生々しく残る。

翌朝、疎開先の自宅はもちろん全焼、防空壕の入り口には、焼け落ちた家屋が倒れ、避難した防空壕に入った人々は蒸し焼きで窒息死していて、その死体を消防団が運び出していた。

運命と言わずに何と言うのだろうか!防空壕の人々が善意で入れていてくれれば、今の岩魚太郎は存在しないのである。

8月15日終戦を松山市の郊外親戚の家で迎えた。

その後母の親戚を頼って大分県津房村大字六郎丸と言う田舎に引っ越したが、親戚の実家も生活が苦しく、何時までも世話になっている訳にもいかず、別府市内に生活の場を移した。
別府の生活は、父が脊髄カリエスと言う結核性の病気になり、その当時は健康保険も無く、病気の治療費で全財産が消滅した。

父は入院、母は生活のため働き、その疲労重なり急死。
最悪の状態に陥った。

母を亡くして入院している父は、我々兄弟3人を、育てることも出来なかった。

我々兄弟3人は、養護施設に預けられた。
私は小学校5年、長女は1年、次女は6歳であった。

その養護施設の時代、食料も無かった。食事は1日10時と7時の2食。
子供達は、養護施設の職員に連れられて、さつまいも畑に屑のさつまいもを拾い行くのが日課であった。
さつまいも カボチャ 粟 が主食であった。

食べる物で私の嫌いなものがこの三つある。特にさつまいもは今でも大嫌いである。

1年後、病気が回復した父が私達兄弟3人を迎えにきてくれた。
その時ほど、父の顔が逞しく、お釈迦様のように輝いて見えたことはなかった。
と同時に、私達に別れで手を振る友達の瞳が、涙にあふれている光景はいまだに忘れない。
手を振ってくれたそのお友達の今は・・・

その父は大正12年生まれ、平成5年72歳で逝った。

岩魚太郎は、その父の逝った年齢を超え、74歳でまだ生きている。

「2011年1月12日前後、養護施設にランドセルの送り主タイガーマスク報道に、言葉では表現出来ない、嬉しさとそして悲しみを感じる。

この文書を記述する意味は、岩魚太郎が養護施設にお世話になった時期の回想禄である。

タイトル「秘密」は、次回への日記へと続く。
#ブログ

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり