私の一枚 愛の哀愁歌
彼を思い続けた私の心は 夏の終わりに
突然私にさようならを言って 去って行った
私は呆然として花を見つめた
私の瞳に 静かに涙が溢れた
キバナコスモス花びらの 輪郭がなくなり
彼と共に 花は 涙の中にきえていった
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キバナコスモスの花言葉・誕生花の一覧
和名 黄花コスモス(キバナコスモス)
英名 Golden cosmos, Yellow cosmos, Sulfur Cosmos, Orange cosmos
キバナコスモスの花言葉 「野性的な美しさ」
キバナコスモスの誕生花 6月17日
キバナコスモスの開花時期 6月~11月
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私の一枚 青春の歌
日光キスゲの花言葉。
花の名前 ニッコウキスゲ
学名 Hemerocallis dumortieri var. esculenta
主な花言葉(日本)日々あらたに、心安らぐ人
主な花言葉(海外)喜び、新しいはじまり
誕生花 6月4日、7月24日
開花期 6月〜8月
花名は『栃木県の日光市に多く自生しており、花が黄色く葉が笠菅(かさすげ)に似ている』ことが由来です。
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私の一枚・秋田県田沢湖茜色の夕景
太陽の光が 茜色の夕日に変わり 空と雲と湖面を染める
太陽の光が いつの間にか 稜線の奥深く沈んでゆく
キャンバスには やがて一番星があらわれる
キャンバスには 空には宝石の空 天の川が描かれる
キャンバスには 流れ星が長い尾を引いて 消えていく
星の大空には 指切りげんまんをした 女の子シルエット
田沢湖のは 夕焼け小焼けの 自然のドラマがある
そのドラマが私は好きだ
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私の一枚【田沢湖夕焼け小焼け物語】
田沢湖
周囲長: 20 km
所在地: 日本, 秋田県仙北市
最大水深: 423.4 m
面積: 25.75 km²
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伊勢湾台風から今回の18号に思う
平成21年10月8日(木)午前4時7分、台風18号の激しい雨音で目覚めた。しばらく床の中でその風雨の激しい雨音を聞きながら目を閉じていた。
台風や低気圧特有の強弱が激しい雨音である。
その雨音に眠気をそがれて、今このパソコンに、私の過去における台風体験の思いをはせながらキーボードをたたいている。
台風18号の予報に関連して、室戸台風、枕崎台風 伊勢湾台風 とあわせて昭和の三大台風と匹敵する規模をもったこの18号だと報道されている。
私が過去伊勢湾台風を体験したのは、今日西暦2009年10月8日(平成21年10月8日)から遡って西暦1959年(昭和34年9月26日)までの年月は21年前にもなる。
私が21歳の時である。
当時の私の居住は三重県鈴鹿市であった。当時アルバイトで運送会社のトラック助手をして東京に来ていて伊勢湾と遭遇した。
無論当時はテレビもなく、トラックにはラジオの装備もなく、エアコンの装備もなく、冬は「いっとう缶(液体等を入れるブリキの四角い缶18リットル入る)」を横に輪切りにして、炭で暖をとっていた時代である。冬のニュースで、トラック運転席の換気が出来ず、一酸化中毒で死亡すると言った記事も珍しくはない時代である。
そのような時代であるから、交通規制もなく、台風情報もなく、国道1号線で静岡県駿河湾の海岸に差し掛かり、運転席の窓ガラスは大波をかぶり石で割れ、必死で名古屋までたどり着き、名古屋ではとうとう物理的に通行に不能に陥り、トラックを放棄して、徒歩で二日間を要し帰路についた。
当時の記録によれば、死者4,697人・行方不明者401人・負傷者38,921人とある。
台風一過後晴天である。
その晴天のなか、台風犠牲者の死体収容作業を何度となく目にした光景は忘れがたい。
それから51年間、意識的に心臓の鼓動を止めることもなく、私は生きていたことになる。私の人生設計に於ける未来への可能性はあったはずである。
しかし、当時の私は、己の人生設計と言う意識すらなかった。
意識があればまた違った人生もあるはずである。このブログにも巡り合わなかったであろう。
政治家になって自分のブログは秘書に書かせ、それを承認するだけと言う立場におかれていたかも知れない。
あるいは人生設計をして、その計画を実行していれば、素晴らしい現実が待っていたかも知れない。また計画実行の過程で、挫折の苦悩に直面し、自ら心臓の鼓動を止めていたかも知れない。
当時は、高校進学は10人に一人、大学進学は30人に一人と言う時代であった。人生の目的の大半は、喰っていくことが最大の目的であった。
伊勢湾台風を体験してから51年、私の生きてきた道のりは何だったのだろうか?
と思う。これで良かったのか? 悪かったのか? 今更過去に思いを巡らせ振り返ってえて見ても何の価値観があるのだろうか?・・・
台風18号の雨音は、今も激しく屋根たたく。
西暦2009年10月8日 平成21年10月8日(木)、岩魚太郎の日記である。
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伊勢湾台風(いせわんたいふう。昭和34年台風第15号、国際名:ヴェラ〔Vera〕)とは、1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島-東海地方に大きな被害を及ぼした台風である。
枕崎台風、室戸台風と並んで昭和の三大台風のひとつに数えられる。これらのうち、室戸台風は戦前に発生した台風である。
死者4,697人・行方不明者401人・負傷者38,921人(「消防白書」平成20年度版[1]より)[2]にのぼり、明治以来最大の被害を出した。3,000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風と呼ばれる。この犠牲者の数は、1995年1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生するまで、第二次世界大戦後の自然災害で最多のものであった。
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載
「ちょっとHな人類学」
「ちょっとHな人類学」
素朴な疑問?って貴方にはないですか?スカートは何故女性だけのもの?ある時猿の交尾に直面しました。猿の交尾期は10月〜12月頃までだそうです。動物は交尾期があるのに何故人には交尾期がないの?そんな疑問に挑戦しました。
題して「ちょっとHな人類学」という落語的学説?です。10日に1度のペースで公開してゆく予定です。
誤字・脱字・文書が意味不明?・ご感想・匿名で結構です。ご意見をお聞かせくだされば幸甚です。ご意見はメールで: iikeuchi@poplar.ocn.ne.jp
目次
01.序文 10月23日公開
●女の痴漢はなぜないのだろう?
02.人の雄と雌の誕生 10月23日公開
●318万年前に生存していた女性の「H」はくエクスタシーを感じた?
03.人のおしゃれの秘密
04.「生殖行為」
05.男「雄」のセックス
06.人の「H」と動物の「H」
07.結婚
08.婚の条件
09.哺乳類「人」の親離れ
10.「雄」と「雌」が存在する理由
11.性器とおっぱい
12.「H」の形は人以外はすべて後行為
13.プラトニックラブは成立するのか
14.子供は地球の中心
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