11月
2日,
2010年
喪中のハガキ
11月2日火曜日、岩魚太郎の自宅に届いたハガキである。
もうこのような季節になったのか・・・と、深夜暖をとりながらこのブログを記している。
人生は長い。そして短い。
何時自分自身がこのハガキの主人公になるやも知れぬ恐怖心が脳裏に浮かぶ。
自己の死を確認することは恐怖である。
地震が発生することを知らないで現場に車で向かう人・・・そして地震に遭遇する人・・・
そのことを人々は運命と定義する。
地震が発生すると分かっていればその人は決してそこに近づかない。
癌を告知され余命3ケ月と知らされた人・・・
私だったらどう自分に対処してよいのか対処の仕方が分からない。
自分自身では死を回避出来ない神の定めである。
命ある者は必ず死がある。
人も動物も生を受けて命の終焉に向かって生きている。
いずれ死ぬ。
死ぬ者の生きる価値観っていったいなんだろうと思う。
ライオンは食物連鎖の頂点にたっている。しかし死は訪れる。
ライオンの生きる目的はなんなんだろう?
ただ食って子孫を残すだけが唯一の目的なのか?
人は、命育む哺乳動物の中で最も優れた知的能力を有している。
しかし、必ず死は訪れる。
人の生きている価値観とはいったい何なんだろう?
ただ食って子孫を残すだけが唯一の目的なのか?
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喪中ハガキにふと感じた感情である。。
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