ナツメヤシの向こうは太平洋
反対側を望むと宿舎のコンド。
春休みのイベント第二弾はハワイ行きである。
長女を家内がヤキマからプログラム終了後に連れ出して帰宅させたのが日曜の晩。
翌日の早朝3時には起きだして5時半のシアトル発フライトに乗らねばならない。
シアトルからカウワイ島までの直行便はあるのだが、
サンフランシスコ、マウイの二つの中継地に立ち寄らねばならないところがさらに辛いところ。
家から宿泊地までの所要時間は15時間を超えてしまっている。
そんなフライトであるのは訳があって
クレジットカード会社が提携しているマイレージを利用しているから。
おかげでこの時期、日本行きよりも高額な航空料金は、ゼロ(^O^)
ただ不便な乗り換えの作業や時間を辛抱せねばならない。
私は一人、家にてお留守番。
彼らを空港へ送り出し、帰宅したらベットに潜り込んだ。
それからソファで寝そべりながら録画した日本のニュースやドキュメンタリーを見る。
すっかりくつろいで、そろそろ夕食でもと思っていると、家内からテキストメッセージが入る。
ようやくマウイ島からカウワイ島へのフライトに乗り込むところだという。
えー、この時間まで旅路の忍耐の中にいたのか!
ご苦労なこと。
一人留守番役となった幸いを改めて噛み締める。
夕食を終えてさらにTVを楽しんでいると、
ホテルにようやくチェックインした家内からフェイスタイムのビデオコール。
2時間の時差のあるハワイは黄昏時。
シアトルではすでに9時を過ぎていて真っ暗。
ビデオから眺めるハワイの風景は、
ココナツの木の続く海岸、水平線の上に伸びる夕日でグランデーション色に染まる空……
ああ、なぜ私は同行しなかったのか‼️
と、後悔の念がマグマの様に膨れ上がって来た。
同じ日に、安堵したり、後悔したり、自分の気持ちが乱高下してまとまらない。
しばらく日にちを置いて客観視してみると
その乱高下の原因も見えてきた。
「幸・不幸」を認知するカラクリは
他者の境遇と自分のそれとを比較するところから来るのものらしい。
エコノミーシートで寿司詰めにされるより、ベットに横になって寝られる方がシアワセ。
シアトルに残って良かったぁ!
いや、この時期雨の続く暗く冷たいシアトルよりも、暖かい開放感ある夕陽のビーチにいる方がシアワセ。
一緒にハワイへ行けば良かったぁ!
……というように……
他者との比較の世界は、相対世界である。
他者によって自らの幸・不幸が左右されることになる。
比較対象を水平の人間ではなく、
創造者との垂直関係に置いたらどうなるか?
そこには、どんな状況にあっても揺るがない絶対の世界が開かれてくる。
ローマ帝国の獄中に幽閉の身となりながら
湧き上がる喜びに耐えられないほどだったパウロは次のように書いている。
「私は、貧しさの中にいる道も知っており、
豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、
富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
ピリピ4章12ー13節
「どんな状況にあっても満ち足りている」
……まだまだ私には届かない境地であるのが露呈した家内とのフェイスタイムとなった。
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