天に凱旋された恩師
4月
11日
先週、私の卒業した神学校の元院長
蔦田公義(ただし)師が召天された報が届いた。
遠国ゆえ、葬儀に出席出来ないもどかしさ。
享年75歳は今の時代、早すぎるお別れでなかろうか。
約30年前、19歳で全寮制のインマヌエル聖宣神学院に入学が許された時、
元インド宣教師であった蔦田院長は、精鋭バリバリの40代半ばであられた。
何も分かっていないはな垂れ小僧を
忍耐の限りをもってご指導下さった私の恩師であられる。
教室ではギリシャ語、ヨハネ福音書、完全論などを教えていただいた。
クリスマス・ヴェスパーの神学生コーラス隊での情熱溢れる指揮のお姿も忘れられない。
祈りの人であり、かつビジョンの器であられた。
学究的でありながらも、全身からほとばしるような熱心さを保たれた説教者。
いつの間にか、当時の院長先生の年齢を超えてしまった自分が信じられない。
未だ遠く及ばないが、牧師としてばかりか信仰者としての模範であってくださった元院長。
ある日のチャペルでのメッセージで
ある召天された同僚の牧師のことに触れた際、
「いいなぁ、あの先生は。すでに天に凱旋されて……
今はイエス様とともにあられるのだから」
と実感を込めて語られたのを覚えている。
今振り返れば、
院長として、教会の主任牧師として、
さらに神学院の隣接する土地買収の複雑な戦いの中にあって、
激務の連続の中を通っておられたようだった。
激痛の伴った闘病生活だったとも聞く。
憧れていらっしゃった天に
ようやく凱旋された恩師。
これまでありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。