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つれづれなるままに

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試練からの脱出の道

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今朝、長男を小学校まで送る際のことでした。

家の鍵を持って出るように、
と家内が言いました。

「分かってるよ」

そう言って、近くにあったキーチェーンをポケットに押し込んで家を出たんです。 



学校近くになって
ポケットにある鍵を触った瞬間です。


「あっ!!!」
頭の先まで電流が流れたんです。

キーチェーンを取り上げて見ると、
やはり家の鍵だけはそのチェーンに付いていなかったんです。


それから、自宅までの全力疾走が始まりました。

間も無く、家内も出勤します。

その前に帰宅しなくては、、、


携帯電話を持っていない私は
その日の午後まで家から締め出されてしまう!


70メートルほどの直線コースに入った時、
無情な光景を目にすることに。

ドライブウエイから家内の車が発進して行ったんです。


腕を大きく振るも、大声を出すも、気が付いてくれません。

車はそのまま私の視界から消えて行きました。



"Never, never, never give up."

ナチスからロンドン空襲を受けたチャーチル首相が
ラジオで自国民に呼びかけたという
このフレーズが去来してきます。

裏の戸口へ回ったものの、もちろん施錠されてます。

スペアキーが隠されてあるはずの場所へ行くものの、
そんな時にかぎって置いてありません。



(家内が遠くへ行く前に、数秒でも早く連絡しなくては、、、)


自宅前の道に立ち、周囲の家々を見渡しますが、
どこも不在のように見えます。

"Never, never, never give up."

またまた、その言葉が思い出されました。


気持ちは焦る反面ですが何処かに救出の方法があるはずだ、
何となくですが、そんな確信を持てたのも確かです。


(通りかかる運転手を停めてまで携帯電話を借りるというのは行き過ぎだろうか?)

やがて配達業者の大きなトラックが見えてきました。

(仕事中の人は避けた方が良いかな?)



そのトラックが隣の家まできた時です。

ブシッ

何かを引きちぎる不気味な音を立てて停車しました。

垂れ下がっているケーブルに車体頭部が引っかかって
それを切断してしまったんです。


その物音を聞いて、
その隣の家の住人が出てきました。

(なーんだ、居たんだ)


その人から携帯電話を拝借できました。

数分後、Uターンして帰宅した家内にドアを開けてもらえました。



ピンチに陥った時、しばしば私たちはパニクってしまうんです。

山路で道に迷った時、、

試験で思わない難題に直面した時、、

少子高齢化社会ゆえに国として成長戦略への打つ手がない時、、



そんな時、ジッと耐える困難さよりも
直ぐにでも着手できる安易なことを確信のないまま、
取り敢えず行動することで不安をかき消そうとしてしまうことがあるのではないでしょうか。



日本近代史でのその最大の例は、真珠湾奇襲攻撃です。


資源供給をストップされて「窮鼠猫を噛む」暴挙に出てしまった、、、

当時、米国議会にはそこまで日本を追い詰めることに反対する親日派勢力も強かったんです。


石油ストップの恐怖に耐えられずに、
まんまと先制攻撃に誘導されてしまいました(~_~;)



では、どうやってその忍耐力を培うのか?



荒業や断食や瞑想の修行?

それらはどれも自分自身に根拠を置いている営みですね。


自分自身を超えたところからの大いなる助けを期待できるところから
忍耐へとつながる余裕が生まれるような気がします。





それでは、今日の聖書の一節です。

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、
耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
(1コリント 10:13)



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