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主のテーブル

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昨日の「聖書広場」では、先ず聖餐式と愛餐会とをもって始められた。

すでに新しい形態の「聖書広場」集会が始められて5回目となるが、そのように参加者で食事の機会を持ったのは初めてのこと。

愛餐会の冒頭で聖餐式に預かったのも、私にとっては初めての体験でもあった。

主イエスは黙示録3章20節でこう言われた。
「だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

信仰による人格的な結びつきを「食事をともにする」ことにたとえられている。

ともに会食するとは、そのように深い交友関係に入ることでもある。

聖餐式の意義も、主イエスの購いの業を記念することに加えて、主との交わりを深め、また信者同士の交わりを深めるところにある。それなら、愛餐の場において聖餐に預かるのはふさわしいことになる。

初代教会の信者たちが定期的に集まっては「パンを裂いていた」と使徒の働きに繰り返し言及されているが、これは聖餐式を意味している。
そして彼らもまた、食事の機会に聖餐に預かっていたと考えられる。

パンとぶどう酒は当時の彼らにとって日常の食事メニューであった。
その通常メニューをもちいて、主の死と復活を信仰のうちに再体現し、かつその信仰を他者と共有することで交わりを深めて行ったのだろう。

十分に腹ごしらえをした後、1時間20分にわたる学びも充実したものとなった。
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