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摂理と献身God’s Providence & Surrender 

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この日は、静香ちゃんの最後の礼... この日は、静香ちゃんの最後の礼拝。送別礼拝でした。証しをしてくれて、とても感謝でした。これからも神様の導きの中、歩んでいかれますように。。。
2018年6月24日日曜日礼拝音声は、


先週はゆきくんが、素晴らしい証しをしてくれました。今週は、しずかさんが最後で、神の摂理ということを考えさせられました。

エステル記2章5-17
シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。6 このキシュは、バビロンの王ネブカデネザルが捕らえ移したユダの王エコヌヤといっしょに捕らえ移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕らえ移された者であった。7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。10 エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。11 モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。12 おとめたちは、婦人の規則に従って、十二か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、入って行くことになっていた。これは、準備の期間が、六か月は没薬の油で、次の六か月は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。13 このようにして、おとめが王のところに入って行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。14 おとめは夕方入って行き、朝になると、ほかの婦人部屋に帰っていた。そこは、そばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。16 エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

今週の箇所は、エステル記です。一人の若い女性が歴史の中で大きく用いられる物語。

ちょっと世界史のお話し、みなさんバビロン捕囚the Babylonian captivity [exile]は良く知っていますね。聖書の中では、列王記と、歴代誌に書かれています。南ユダが捕囚され、70年後、バビロンがペルシャに破れ、ペルシャ王クロス(キュロス)は、ユダヤ人たちをエルサレムに帰しました。しかし、全員が帰ったのではなく、まだまだ多くのユダヤ人が各地に残っていたようです。聖書では、エズラが神殿建設、ネヘミヤがエルサレムの町の城壁を直しました。

この書は、ネヘミヤ記の後に書かれているが、年代的には、その事件がネヘミヤ記よりも約30年さかのぼっている。エステルは、おそらく相当な権力をもってエズラ、ネヘミヤの事業を支援しただろう。彼女の王との結婚はユダヤ人たちに非常な信仰と希望を与えたことだろう。
この書には、神と言う言葉は出てこないが、神様の不思議な摂理と守りと救いを見ることができる素晴らしい書です。

摂理とは…キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。1.(often initial capital letter) the foreseeing care and guidance of God or nature over the creatures of the earth. 2.(initial capital letter) God, especially when conceived as omnisciently directing the universe and the affairs of humankind with wise benevolence. 3. a manifestation of divine care or direction.
摂理とは、振り返るときに、それは、聖なる、永遠の神様の御手であったと気づく。その時は、分からない。

● 選ばれたエステル

退けられた王妃ワシュティの変わりに、新しく王妃の候補者を募ることになりました。ペルシャ全ての州から美しい娘たちがやってきました。私は、ふと思いました。はたして、エステルは、自分から進んで、ペルシャ王の妻になりたかったのでしょうかと。ユダヤ人は、昔から、外国人との結婚は良くないこととされていました。ましてや、異教の神を信じている王との結婚です。どんな、異教との関わりを持たされるか分かりませんし、清くない食べ物も口にしなければならないかもしれません。このストーリーは、なんだか、ビューティコンテストのような、シンデレラストーリーのように表面上は聞こえますが、エステルが自分から喜んでこの道を選んだのではないのです。
たとえ、自分で選んではいない道であっても、エステルは、その特質ゆえに頂点へと選ばれて行きます。

V7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。And Mordecai had brought up Hadassah, that is, Esther, his uncle’s daughter, for she had neither father nor mother. The young woman was lovely and beautiful. When her father and mother died, Mordecai took her as his own daughter.

〇外見の美しさ、

彼女には、もって生まれた特質、神が与えられた外見の美しさがあった。それが故に、白羽の矢がたったとも言えよう。これも、彼女の予期せぬ、摂理である。
賜物セミナーでも学びましたが、私たちは、生まれながらに持っている性質をあまりにも自然なため大したことと思わないが、神があなたにその賜物・特質を与えたには、理由が必ずあることを忘れてはならない。あなたの神の目的は何でしょうか?

〇内面の美しさ…砕かれた魂(柔和)、癒された魂
 
エステルは、若くして両親を失っていました。外国に捕囚された身であり、両親をなくし、いろいろと不自由があったことでしょう。しかし、外面の美しさゆえに彼女は、王妃候補nomineeとして宮殿に行くことになるのです。彼女は、また内面の美しさも供えていたと思われます。
人は、皆傷つきながら生きています。そして、その傷に振り回されて生きるのか、乗り越えて生きるのかでは大きな違いがあります。過去の傷に振り回されている人は、言葉の端々に苦々しさがで、また物の見方が歪んでいまするしかし、傷から癒され、乗り越えた人は、かえって、ひどいことが過去にあったとは、人に思わせないほどのすがすがしさがあります。
また、苦しみを乗り越えた人は、柔和であります。これは、イエス様に現されている素晴らしい特質です。
エステルは、王妃となるコンテストの前に、すでに神様にあって、試され、精錬された金のようであったのです。

〇従順と敬意

V10エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。Esther had not revealed her nationality and family background, because Mordecai had forbidden her to do so.

V15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところに入って行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。

イエス様も、父のしていることを見て物事をしていると言われました。従順さのない人は、神様の時にも従順になれません。

〇人格についてくる好意

V8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。

〇王の愛と、王の信頼

V17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。

★ 摂理の中で神に選ばれる人には、神の目的に向かえば向かうほど、好意が付いて回る。
私たちは、みな神や人に選ばれ、さまざまな役割を担い、様々な場所にいます。しかし、本当に神様の摂理の中で用いられる人には、その資質が伴うのです。

● 神の摂理と私たちの信仰が交わるとき

エステル4章13-16
13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」And Mordecai told them to answer Esther: “Do not think in your heart that you will escape in the king’s palace any more than all the other Jews. 14 For if you remain completely silent at this time, relief and deliverance will arise for the Jews from another place, but you and your father’s house will perish. Yet who knows whether you have come to the kingdom for such a time as this?”
15 Then Esther told them to reply to Mordecai: 16 “Go, gather all the Jews who are present in Shushan, and fast for me; neither eat nor drink for three days, night or day. My maids and I will fast likewise. And so I will go to the king, which is against the law; and if I perish, I perish!”

〇神に選ばれている理由を悟る 

神は、エステルをただ異国の王妃にするために王妃に成り上がらせたのではない。

〇神に第一の信頼を置く 「死ななければいけなのなら、死にます」

信仰とリスクは隣り合わせ。神の摂理の中で、自分の役割を悟り、それでも、私は神に信頼します。と、自分より、神を一番にする時に、神の目的が完成される。
イエス様もこういわれました。

ヨハネ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 Very truly I tell you, unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a single seed. But if it dies, it produces many seeds.

ヨハネ15:16
16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。You did not choose me, but I chose you and appointed you so that you might go and bear fruit—fruit that will last—and so that whatever you ask in my name the Father will give you. 17 This is my command: Love each other.

私たちも、みんな、神の摂理の中にいます。好まざると好もうと、今歩んでいる道に神様の配慮があります。私たち一人人が、摂理の中で、神に選ばれる人となり、神に自分をおいても従える人となることができましように。アーメン
#礼拝 #旧約聖書 #エステル記

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ホセア十章

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子供たちプラス、一人大人のアー... 子供たちプラス、一人大人のアート。テーマは犬です。みんな上手ですし、みんな絵とともに、ストーリーを持っています。とてもクリエイティブ。また、どんな人も、インスピレーションを感じたときには、それにともなうストーリーを持っているんだと思い。。感動しました。 この犬は、おうちの中にいて、お... この犬は、おうちの中にいて、お客さんが来たので、うおーーんと言っているそうです。家は自宅で、犬は、お友達の犬らしいです。
2017年12月3日日曜日礼拝メッセージ音声は、



★剪定のないぶどうの木、テストのない人生

ホセア10:1-1

イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。

良く茂った。。。。誰も剪定をすることのないぶどうの木。生い茂り、伸び広がり、実はもしかしたら短い間だけ、初めの年は、小さくてもたくさんつけれるのかもしれない。リサーチしてみたら、剪定してない木はろくなブドウができないと書いていました。また、伸びっぱなしのぶどうの木は病気にもなるそうで、どっちにしろ剪定なしでは木はだめになってしまうようです。

神は、愛しているものを懲らしめる。
へブル12:5-6
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

ダビデも、試練を通して学んだという。
詩篇119篇71節
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。It is good for me that I have been afflicted, That I may learn Your statutes.

イスラエルは、あまりのわがままさに、剪定されることもなくなり、ついに裁きがイスラエルに下っているということになります。。。。みなさん、神様の保護の中、剪定されるぐらい、なんですか。剪定の痛みは、裁きの痛みに比べたら小さなものです。

★二心

ホセア10:2-5
彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。4 彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。だから、さばきは畑のうねの毒草のように生いでる。5 サマリヤの住民は、ベテ・アベンの子牛のためにおののく。その民はこのために喪に服し、偶像に仕える祭司たちもこのために喪に服する。彼らは、その栄光のために悲しもう。栄光が子牛から去ったからだ。

〇二心になってしまったイスラエル。。。

信仰は聞くことから始まる。。イスラエルは神の言葉を聞くことをやめてしまった。すなわち、他の神々のいうことを聞くようになってしまった。
最初の人、アダムとエバの堕落は、どこから入ったか。それは、神の声を聞くことよりも、サタンの声に聞いた、そしてその声に従った。=自分の人生を支配する権利はあなたにありますというもの。

人は、同時に二人の神に仕えられないとある。
マタイの福音書6章24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

両方の声を同時に聞いて従うということはあり得ない。

★王が取り去られ、偶像が取り去られる

王がいない…イスラエルの王は、次々に内部からの反抗で変わっていきます。人は、王がいないと嘆きますが、もともと心が分かれ悪魔に聞き従っている人には、恋焦がれている完璧に王に見えても、すぐにその王も取って変えられるようになります。私たちも、神にそぐわない、偶像化した自分の利益のための王を求めるなら、それは、やってきてはまた去り、落ち着くことがないでしょう。

子牛の栄光は消えてなくなる。…イスラエルは、ベン・エベン= 悪の家の子牛と書いてありますが、これは、有名なヤコブが天への架け橋を見た、べテル=神の家のことです。イスラエルが神に出会ったその場所を、彼らは、偶像の祭壇にしてしまっていたのです。なんということでしょうか。そして、その姦淫の罪のために、もう敵がやってきて、いくら子牛にすがっても、無駄である。栄光は取り去られた。裁きが来るということを、言っているのです。
偶像の栄光は、一時的なものであり、永遠ではありません。また、それが幻想であることを私たちは覚えておきましょう。

★今は、誠実を養う時

ホセア10:12-13
12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行いや、多くの勇士に拠り頼んだからだ。

神様は、真の天の父です。イスラエルのしてしまった罪と悔い改めない心の結果として裁きは来ますが、神様は、まだ、道を示していらっしゃいます。それは、人生心を入れ替えてやり直すことです。一つ一つ、神の前に正しいことをし、誠実に生きる。神の言葉を聞き、神の言葉に従って行動すること。これを勧めておられます。

一からこつこつ誠実の種を蒔いていくこと。これが、何よりの近道です。。毎日、神の言葉を頼りに生きること。神のみ言葉に従うことを私たちもしていきましょう。
#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

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ホセア九章

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アメリカは、今週木曜日感謝祭で... アメリカは、今週木曜日感謝祭です。私たちの教会でも有志が集って感謝祭ディナーを食べることになりました。同じ建物で礼拝しているヒスパニック教会がみんなで今日感謝祭をしていました。大きな七面鳥です。あまりに大きくて写真を撮りました。 そして、ハム。右側。これも相当... そして、ハム。右側。これも相当大きいです。後ろのサラダボールは、とても大きくて、そうですね。。。。日本のたらいのようです。直径80センチくらいかな。すごいごちそうですーーーもちろん、それと南米料理がたくさんです。 日本人礼拝後、いろいろとおしゃ... 日本人礼拝後、いろいろとおしゃべりしたりなんかして遅くなってたら、なんと、私たちも感謝祭ディナーにご招待いただきました。えへっ。。。ちゃっかりいただいちゃいましたーー。
2017年11月19日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから、



続けてホセア書を読んでいます。このシリーズが終わると、「安息」シリーズを始めたいと思っています。そちらの方で何回もでてくると思いますが、人は、神様の栄光と喜びによって生きていると言っても過言ではありません。神様の栄光のエッセンスがその似姿である私たちのうちに秘められており、私たちが神の前に生きるときに喜びがあるのです。この喜びは、天国のお金、ご褒美でもあり、私たちの日々の生きる糧でもあります。みな、神を知っても知らずしても、何らかの喜びを探して生きているのです。

1. 喜び楽しむな No joy, no pleasure

ホセアHos 9:1-4
1 イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべて麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。2 麦打ち場も酒ぶねも彼らを養わない。新しいぶどう酒も欺く。3 彼らは主の地にとどまらず、エフライムはエジプトに帰り、アッシリヤで汚れた物を食べよう。4 彼らは主にぶどう酒を注がず、彼らのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、すべてこれを食べる者は汚れた者になる。彼らのパンは彼ら自身のためだけであって、主の宮に持ち込むことはできない。

〇喜び楽しむな

麦打ち場、酒ぶねも、新しいぶどう酒も欺きである。本来、ルツ記でも読んだように、収穫後の麦打ち場は楽しいものであり、祭であり、お祝いでありました。ぶどう酒を作るワインプレスは楽しみでした。またぶどう酒は喜びの象徴でありました。しかし、アッシリアに移されてから、ますます偽の神々を礼拝していたイスラエルの民には、「姦淫の報酬を愛した」と書いてあるように、真の喜びではなく、自分勝手に頭で描いた喜びを追いかけてそれを楽しんでいるというのです。

よく、イエス様に出会う前の人生を、白黒テレビのようだったがイエス様に出会ってカラーになったように違う。と言い表したり、救われる前は、砂をかむような喜びだったが、今は、フルコースのごちそうを食べているような喜びだと表現する方があります。私も、例外ではありません。罪の中で、自分の思い描いた喜びを追いかけても、ひとっつも私を満足させるものはありませんでした。栄華を極めたソロモン王だってそう言っています。だから、若い日にあなたの創造主を知りなさいと彼は勧めました。その父、ダビデは、神に愛されている神の心近くを歩んだ人でしたが、罪を犯しました。その罪を犯して赦されるまでの日々の苦しみを詩編に書いています。

詩編Psalms38篇
v3 あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。 6私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。7 私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。8 私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。

罪を持ったまま生きるのは、自分の頭では、自分の思い描いた喜びを追いかけてるようですが、本当はとてもストレスです。骨骨も干からびるほどの疲れ、体には炎症が起きている。何も完全でない。心がずっと乱れていると。。。

2. エジプトでのこらしめpunishment in Egypt

ホセアHos 9:5-9
5 あなたがたは例祭の日、主の祭りの日に何をしようとするのか。6 見よ。彼らが破壊をのがれても、エジプトは彼らを集め、モフが彼らを葬る。彼らの宝としている銀は、いらくさが勝ち取り、あざみが彼らの天幕に生える。7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルは知るがよい。預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。これはあなたのひどい不義のため、ひどい憎しみのためである。8 エフライムの見張り人は、私の神とともにある。しかし、預言者は、すべての道にしかけるわなだ。彼の神の家には憎しみがある。9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。

〇エジプト--- エジプトとはメタファーとしての引用なのか、その後にバビロンがやって来ることについてなのかは定かではないですが、この世の象徴、そして、かつてエジプトで奴隷の身であったことから解放された身であるにも関わらず、またエジプトにやられるという屈辱を示している。モフ-- エジプトの首都

〇預言者--- 預言者は、イスラエルにとった耳障りのいいことを言わないので、狂ったものと言われていた。はっきりと、神からの警告を語り、神の御心を語っているのに、うっとおしいと感じる、言うことを聞かなかった。私の恩師は、「誉め言葉は悪魔からの言葉と思い、注意をありがたく聞きなさい」と言われました。私のような性格にはもう少し緩い方がいいのかもしれませんが、これには一理あります。

〇ギブアの日のように--- ギブアの日というのは、イスラエル人にとっては忘れることのできない残虐なことが起きた日です。士師記19-20章 レビ族一人が、ベニアミン族の人の家に泊まっている時に、その家のそばめが悪い男に死ぬまで乱暴されました。レビ人はこんなひどいことがあってはならないと死体を12に切り刻んで各部族に送ったという話しのことです。結局、ベニアミンの罪により、同国民が戦い、相手を滅ぼしそうになるという悲惨な結果になりました。その時の罪ほどに、イスラエルの罪は根深いというのです。。

3. 実りがない、子孫がない God sends barrenness

ホセアHos 9:10-14
10 わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、恥ずべきものに身をゆだね、彼らの愛している者と同じように、彼ら自身、忌むべきものとなった。11 エフライムの栄光は鳥のように飛び去り、もう産むことも、みごもることも、はらむこともない。12 たとい彼らが子を育てても、わたしはひとり残らずその子を失わせる。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。

〇イスラエルは神のブドウの木、実り期待されている木であった

イスラエルはよく神のブドウ畑とか、ブドウの木に例えられますが、ぶどうはぶどう酒を作る大切なフルーツで、喜びを表すものです。神は、どれほどに、イスラエルが神のために実を結び、そして美味しいぶどう酒のような喜びを神にもたらせ、互いに楽しみ喜ぶ関係を夢見ていたことでしょう。初なりのいちぢくとありますが、果物の木を植えたら実がなるのが待ち遠しいですね。初なりの実は、待ちに待った美味しい実です。神の御心は、産めよ増えよです。それは、神の栄光が増え広がり、地を覆うためです。それは、神の喜びが満ち溢れるからです。しかし、神の栄光の現れである性交が実りのないものとなる。私たちに与えられて委ねられている栄光から、栄光をもう産み出すことができなくなる、というのです。

みなさん、私たちの思いは、行動を産み、行動はその実を産むものです。私たちは、その人のならせる実を見て、いろいろと判断することができます。神様の好意、いつも証しがあるか、無いのか、あるいは、いつも平安と喜びがあるのかないのか。周りにいる人々が成長しているのか、救われてきているのかなどと、実を見ることで、信仰の在り方をも見ることができるのです。

4. さすらい人になる Becoming wanderers

ホセアHos 9:17

17 私の神は彼らを退ける。それは、彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは諸国の民のうちに、さすらい人となる。

イスラエルの民は、エジプトから四十年もかけて神と共に定住せず約束の地に行きました。神と共にいたので、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれました。しかし、わが罪のために今度は、ほんとうのさすらい人になるのです。本当の迷子です。
神は、私たちを今日も美味しい実のなるぶどうの木とみておられ、実がなるのを楽しみにしておられます。罪から悔い改め、神に従いましょう。
#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

ワオ!と言っているユーザー

ホセア八章 

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Facebook AZAMI ... Facebook AZAMI さんの写真をお借りしました。うちの近所からみえる風景です。シアトルは、寒いですーー

2017年11月12日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから


ホセア8:1-14 誰に信頼するのか?

引き続き、ホセア書を読んでいます。毎週毎週ここのところは、神の裁きの言葉と憂いの言葉ばかりで、なんだかうんざりしてきます。みなさんもそうでしょうか。そう思うときに、それでも、まだ神は、忍耐して、イスラエルの民が立ち帰ることを待っている。裁きはあるが、それは、立ち直るための懲らしめであることも見ることができます。私たちならば、すぐに立ち去る、あきらめるようなことでも、神様は忍耐強く待つて下さっているということが分かります。

1. 角笛を口に当てよ Trumpet; Calling for War

v1-6
1 角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。2 彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、3 イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。4 彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たれるために。5 サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。6 彼らはイスラエルの出。それは職人が造ったもの。それは神ではない。サマリヤの子牛は粉々に砕かれる。

〇角笛は、戦いのための Trumpet; Calling for War

 神は、戦いのための招集を呼び掛けています。角笛は、戦いのために人々に喚起を呼び掛けるものです。とうとう、アッシリヤが鷹のように襲ってくるというのです。
主の宮というのは、イスラエルのことであり、今や金の子牛のヤロブアムの宗教の宮と化した宮です。
民は、勝手に王を自分たちのために立てていました。しかし、王も助けることはできず、敵が来るというので、民は、「私の主、私は主を知っている」というというのです。。。
しかし金の子牛、イスラエルが拝んでいるにせの神は、粉々に壊されるというのです。

〇ファンタシーと自分の思い Fantasy & Your desire

想像力はイマジネーションは神様からの賜物。人は、心に思うことを行動に移すものです。
 人は、窮地に追い込まれると、必ずファンタシーを持ちます。辛さに直面し続けることが成因的に耐えられないからです。空想の世界に休みを見出すことは、自然なことです。しかし、本当の休みがファンタシーの中にはないのです。人は、自分の思いと願いと人間的な知恵によって実現しようと必死になります。イスラエルの民は、金の子牛にその思いを託したわけですが、人は、自分の神を作り出す。また、ここで神に指摘されているように、自分にとって神に導かれていない人間・リーダーについていく。神様に選ばれていない人についていく。神の導きでなく、自分が良かれと思う人についていく。。。ということが起きます。すべての根っこは、偶像礼拝です。

〇偶像礼拝は、恐れからくるマニピュレーションであります。恐れは信仰の反対。

偶像礼拝の反対は、信頼です。苦しみの中にあるとき、祈りの課題があるときに、何に信頼するのか、空想を持つとき、ビジョンを持つとき、願いを持つとき、計画を持つときに、その都度神を信頼しましょう。神に導かれていくことを選びましょう。前回話したように、神に導かれて行くことは、時には、全てを壊されることかもしれない。しかし、信頼しているならば、必ず勝利を見ることになるでしょう。

神は、本物ではないもの、神から来ていないもは、粉々にすると、ここでも語られていますね。

2. 裁きを受けるイスラエル Judgment on Israel

v7-10
7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉も作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす。8 イスラエルはのみこまれた。今、彼らは諸国の民の間にあって、だれにも喜ばれない器のようだ。9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。エフライムは愛の贈り物をした。10 彼らが諸国の民の間で物を贈っても、今、わたしは彼らを寄せ集める。しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。

〇風をまくようなもの、

すなわち、種をまいたら刈り取りができるが、彼らは、神にあって何も種をまかず、風を撒くようなものであった。すると、つむじ風が来て、全部滅ぼしてしまう。アッシリアのことを言っている。

〇誰にも喜ばれない器、ひとりぼっちの野ロバ。――

器もロバも、用いられるためにあります。誰にも喜ばれない器とは、何も入れることができない、使うことができない壊れた器のこと。器が伝えなければ、器の意味がない。ロバも、交通や労働の大切な人間のパートナー。一人ぼっちの野ロバとは、労働のための人の役に立つものではない。ということ。

本来イスラエルとは、神に選ばれた民であるから、世界中の国々、人々に神を指し示す、神を紹介する役目を持っていたはず。。。

私たちも「用いられる」とは、ということを考えてみると分かる。自己実現の道ではないのです。弘法筆を選ばず、という言葉がありますが、弘法さんはどんな筆を使っても素晴らしい作品を書かれる。あなたがどんな立派な筆か知らないが、書く人がへたっびなら、いい作品はできない。私たちを用いられるのは、神です。
神に用いていただかないのなら、いい実はならない、いい作品は出てこないのです。
自分という器を、神に差し出すことがなければ、いいものができないのです。

イスラエルは、自分のわがままと、繁栄を求め、偶像と人によりたのんだので、いいものができなかったのです。ここにも、誰に信頼するのか。。。と神さまに問われているようです。

3. 神はイスラエルの捧げものを受け取られない Unaccepted Sacrifice

v11-14
11 エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。13 彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰るであろう。14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。

〇祭壇は、神に捧げているようで、金の子牛に捧げていた。
 多くの祭壇を作ったが。。。真の神へのものではなかった。。。

〇神の言葉をないがしろにしている。――神の教えを持っていることは、イスラエル人の誇りであり特権であったのに、自分の心の赴くままに行動し、神の言葉を無視することとなった。

〇いけにえ、宗教行事は、いけにえの肉を食べる会と変化し、いけにえの意味は踏みにじられてしまった。

〇神の存在を忘れているイスラエルに安息はない。

神の存在を全てにおいて認める。信頼する。

箴言Proverbs 3:5, 6

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。rust in the Lord with all your heart, And lean not on your own understanding; 6 In all your ways acknowledge Him, And He shall direct your paths.


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ホセア七章

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今日は、英語の礼拝で子供たちの... 今日は、英語の礼拝で子供たちの表彰がありました。なんと、小さいねずみちゃんが、新約聖書のタイトルを全部そらで順番通りに言えました。みなさんの前で披露しました。すごいーーー。えらかったわー 日本人礼拝後は、エリックとブロ... 日本人礼拝後は、エリックとブロック遊び、男同志で遊ぶのはいいよねーーーって感じ。いろいろと作っていましたよ。エリック、ありがとう。 秋です。。。家の近所はこんな感... 秋です。。。家の近所はこんな感じです。
2017年10月29日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


今週も引き続きホセア書です。今週もイスラエルの罪とその結果についてと続いています。ホセア書のテーマをもう一度おさらいしておきたいと思います。預言者ホセアの言葉、ホセアの意味は、「主は救い」という意味です。また、彼自身が不誠実な自分の妻との間を神様に導かれて、何度も愛するようにしめされながら、並行して、神のイスラエルへの言葉を語っています。結婚関係に現されいる通りに、神と人との間のテーマは、契約に基づく愛であり、また、それに反してイスラエルのしていることは、姦淫であるというキーワードがありましたね。
さて、戦争になり、神に頼るのではなく、他国の王に頼るイスラエルの民、どうなるのでしょうか。

★主の癒しのあるところにカオスあり。

ホセア7:1 わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。彼らは偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

一節では、神は、イスラエルを癒す時、と始まります。すなわち、神の御心は、神の民が癒されることです。私たちは、みな、神に従いたいと思っているのです。が、そうできない。それは、私たちのうちに霊的な病気があるからです。神の側では、それを癒したいというご意思がはっきりしていることを見ることがでます。また、できる、できないで裁かれるのではなく、できない理由を癒してあげようとする神の優しさを読み取ることができます。しかし、癒されるときには、私たちの不義と悪があらわにされなければならないというのです。癒されるためには、自分のありのままの姿が露呈されなければ、自分自身でさえも認めることができないのが、人の恥の仕組みであり、人の高慢、欺瞞であります。あなたは、神に癒していただきたいですか? 神の前に、あるいは、人の前にもありのままの姿をさらしてまでも、神の前に正しく生きて行きたいという、意思と覚悟があるでしょうか?

★中途半端は、ゼロと一緒

ホセア7:8-10 エフライムは国々の民の中に入り混じり、エフライムは生焼けのパン菓子となる。9 他国人が彼の力を食い尽くすが、彼はそれに気づかない。しらがが生えても、彼はそれに気づかない。10 イスラエルの高慢はその顔に現れ、彼らは、彼らの神、主に立ち返らず、こうなっても、主を尋ね求めない。

イスラエルとは、そもそも、神に選ばれた民であり、全世界が神と共にある彼らをみて、神を知るようになることが彼らの使命であり、特権でありました。しかし、今や、他国の民の中に入り交じり、神の民としてのなんの塩気も特徴もなく生きているというのです。新約にも、塩が塩気をなくしたらなんの意味がありましょう。という箇所がありますね。エフライムは生焼けのパンだと言われています。半分は焼けて半分はできてない。神の言葉を聞いても、従わない。神の民のようで、そうでない、中途半端な状態であるというのです。そして、何よりも、その生焼けのパンのようである自分自身の姿に気が付いてないとうのです。みなさん、自分の姿に気が付くというのは、簡単なことではないですよね。まず、他者がいないと、自分の姿に気が付くことができませんし、他者に反映している自分を受け入れてこそ、気づきになります。受け入れることも簡単ではありません。しかし、塩気を持つためには、半分神様に従い、半分自分の思いを通すということではできないのです。

★自ら罠にかかるナイーブさ

ホセア7:11-13
エフライムは、愚かで思慮のない鳩のようになった。彼らはエジプトを呼び立て、アッシリヤへ行く。12 彼らが行くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き落とし、その群れが騒々しくなるとき、わたしはこれを懲らす。13 ああ、彼らは。彼らは私から逃げ去ったからだ。彼らは踏みにじられよ。彼らはわたしにそむいたからだ。私は彼らを贖おうとするが彼らはわたしにまやかしを言う。

箴言16:1-3
人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。3 あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

愚かで思慮のない鳩のようだと言われた民は、大きな外国に頼ることが得策だと思い、そうするが、その大国は、敵国であり、飛んで火にいる夏の虫状態であることを盲目的に理解できないという状態でした。私たちも、自分の思いに頼ると、罠に陥ります。しかし、箴言にあるように、神に委ねるときに、私たちの道はゆるがないものになります。ある人が言いました、神に委ねるというこは、自分の計画、思い事、全部、ぽーんと神様の方に投げ捨てることです。自分の手元にも何にもない状態。私たちも神様に委ねることができるでしょうか。委ねるとは、それがたとえその通りにならなくても、取り去られても大丈夫という精神状態です。ある意味、計画に対しての自我の死です。

★この世の満たしにご注意

ホセア7:14
彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。

人々は、食べるもの、すなわち、生活、新しいぶどう酒、一時的な喜びにひかれて行って、神に心から叫ばず、一時しのぎの満たしのために神から離れてるということです。私たちも、その点でよくよく考えなければなりません。イエス様も、マモンに仕えるか、主に仕えるか? 同時に二人の主人には仕えられないとおっしゃいました。

★的外れ

ホセア7:15-16わたしが訓戒し、わたしが彼らの腕を強くしたのに、彼らはわたしに対して悪事をたくらむ。16 彼らはむなしいものに立ち返る。彼らはたるんだ弓のようだ。彼らの首長たちは、神をののしったために、剣に倒れる。これはエジプトの国であざけりとなる。

最後に、イスラエルはたるんだ弓のようだといいます。どんなに的を得ようとしても、たるんだ弓では、的をまっすぐにいることはできません。的外れは、罪を表す言葉です。弓がたるんでいては、正しいことをしようとしても、必ず間違うのです。弓とは、なんでしようか。それは、神様との関係ではないでしょうか。癒す神が、今日、あなたの弓を正しくしてあげようと招いておられます。今日、神様に立ち返りましょう。


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ホセア六章

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10月のお誕生日祝い、三人でふ... 10月のお誕生日祝い、三人でふーー。みんな大人なので、すぐにろうそくは消えました。。。お誕生日おめでとうございますーーー
2017年10月22日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから、


ホセア6:1-11

1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り離し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現れる。6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。10 イスラエルの家にわたしは恐るべきことを見た。エフライムは姦淫をし、イスラエルは身を汚している。11 ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。

★民の悔い改めの呼びかけ v1-2

この箇所は、ついに民が、「神を知ることを求めよう」と、悔い改めを呼び掛ける声から始まります。状況は。。。。四章、五章であったとおりに、時は、アッシリヤ、エフライム戦争、神に頼ればいいのに、神の民は外国に頼った。前回五章で話しました通りです。そして、民は、「悔い改めよう。」を始めます。主は、私たちを打ったけど、立ち返ったら、きっと赦してくれる。。。と。
いよいよ、神様に心が向いたのだろうか。。。と、読み手の私たちの心は期待します。

★何事もイエスのよみがえりの力頼み?  V2

主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。After two days He will revive us; On the third day He will raise us up, That we may live in His sight.

仏教の中でも、日本に来て他力本願という考え方・言葉がありますが、これは、お経を唱えるだけで、とか、観音様によって。。。とかいうことですが、キリスト教で言えば、救いは他力本願以外の何物でもありません。しかし、一つ、日本仏教との違いがあります。それは、心根が変わることが要求されるところです。

〇心根が変わるのは、悔い改めから来るわけですが。悔い改めとは、180度生き方が変わること。

悔い改めは、真の神との個人的な出会いによってはじめて起こるものでもあります。頭で、いけないことだと認識して、悔い改めます。というのも、いいことですし、スタートラインとして素晴らしいことです。でも、遅かれ早かれ、もしその心が本気なら、神様とばちっと目が合う体験をするのです。もうそうなったら、古い生き方でいられないのです。自分が神に見られる=自分がどういう人間かはっきりわかる。神の瞳に映る自分を見る。自分を知って初めて神の偉大さが分かる。。。

〇この箇所は、諸説あります。キリストの十字架の死と葬りと復活の三日間のよみがえりを預言的に暗示していて、神の赦しを強調しているのではとも取れますし、また、民が、早く私たちの現状を変えてください。神様なら、一瞬で私たちを赦して何とかしてくれるはずだという何ともお気軽な、他力本願で言っているも取れるわけです。

私たち、クリスチャン生活もこの二つの狭間を行ったり来たりすることもあるのではないでしょうか。

神様の赦しとそこからくる回復を当たり前のように、くださいくださいと叫んでいる。神様には確かに、なんでもおできになります。祈りはどんな祈りでも必ず聞かれます。クリスチャンの祈りでなくても、神様に祈るなら、聞かれます。神様は、そのようにとっても忠実、誠実な方です。

その神様が求めているのは、私たちの心です。

★エフライムの朝もやのような誠実 v4-6 

4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り離し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現れる。6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。

神の誠実さにマッチする誠実さは、この民にはなかったようですね。朝もやのようだとあります。朝湧き上がるけど、すぐに消えてなくなってしまようなものだというのです。口先だけの悔い改めとはそのようなものです。

何か、かなえて欲しい願い事があるときに、妙に熱心に教会に足を運んだり断食祈祷院に行ったりすることがあります。私も、その経験はあります。道が閉ざされている時、道が見えない時、よく断食祈祷院に行きました。一週間、祈り詰めました。しかし、いつもいつも教えられることがありました。それは、形ではなく、心だということでした。そして、その心があるなら、何がなくても大丈夫だということでした。

〇神の誠実Mercy -- ヘブル語の「ヘセッド」checedの本来の用法は、「契約の両当事者が互いに他方に対して守るべき忠誠と誠実の態度をあらわすこと」にあります。
日本語では、憐れみとありますが、契約に基づく誠実さというのが、本当の意味でした。私たちも結婚の時に誓いの言葉を交わし、結婚関係に入ります、毎日、その時の言葉通りに行うことで、約束を互いに果たしています。ちょうどそのような誠実さを神様は、私たちに求めているのであって、宗教儀式を求めていないというのです。約束は、行動がなければ、意味がない。。。のです。

〇信仰のなさ…神は、契約を必ず守られる誠実な方であるということを信じること、ここに私たちの力があります。たとえ、道が見えなくても、例え、道が閉ざされていても、神は生きていて、神は信じる者には必ず答えてくださる方だと揺るがない信仰を持つこと、これが、いけにえにまさる、私たちの誠実なのです。わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。For I desire mercy and not sacrifice, And the knowledge of God more than burnt offerings.
宗教的になることでも、善行を積むことでも、なく、私たちの神の契約に基づく信仰が神を何よりも喜ばせるのです。

★悔い改めの実のない民 v7-11   忍耐のなさ

7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。10 イスラエルの家にわたしは恐るべきことを見た。エフライムは姦淫をし、イスラエルは身を汚している。11 ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。

神ご自身を信じないで、「一瞬で神によって状況が変わることを信じて」いた民は、口の根の乾かないうちに、もう、契約をやぶり、うらぎり、人殺し、姦淫をし、身を汚しているというのです。
口先だけきれいなことを言って、行動が伴っていない民。みなさん、私たちの信仰には、必ず行動が伴います。信仰と誠実は行いに現れることを私たちは忘れてはいけない。私たちは、心で信じているとおりに行動をするのです。

〇忍耐のなさ
イエスラエルの民は、神の手の下でしつけられる忍耐がありませんでした。みなさん、人は変わるには、体に染みついた癖と自分が戦ってその都度、神を選んでいくというプロセスが必要ではありませんか。この民は、そのプロセスの元で、じっと自分の罪深い心根に忍耐することができなかったのです。自分の汚さとエンゲージして押し問答して、毎回神に勝利していただく、という忍耐がなかったのです。「一瞬で神によって楽な状態にしていただけることを信じていた」のですから。
本当に悔い改めた人には、行動が伴います。心根が変わるので行動が変わるのです。しかし、行動を通して周りに分かってもらえるには、時間がかかるものです。みなさん、このプロセスを大切にしましょう。家族や、友人、親しい人に神様のすばらしさが伝わるのは、悔い改めの実を通してです。時間がかかろうと、神様を信じて、実を結ぶことを目指しましょう。

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ホセア五章

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シアトルの秋のそらです。とても... シアトルの秋のそらです。とても、さわやか。朝晩は、寒いですが、その冷たい空気もさわやかで、大好きです。紅葉で山もきれいです。日本の紅葉には勝てませんけどねー。こちらは、常緑樹が多いので。。。
2017年10月8日日曜日礼拝メッセージ音声は、


ホセア5:1-15

祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ。心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパでわなとなり、タボルの上に張られた網となったからだ。2 まがった者たちは落とし穴を深くした。わたしは彼らをことごとく懲らしめる。3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。7 彼らは主を裏切り、他国の男の子を生んだ。今や、新月が彼らとその地所を食い尽くす。8 ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖となる。わたしはイスラエルの部族に、確かに起こることを知らせる。10 ユダの首長たちは地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。11 エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。14 わたしは、エフライムには、獅子のように、ユダの家には、若い獅子のようになるからだ。このわたしが引き裂いて去る。わたしがかすめ去るが、だれも助け出す者はいない。15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。

歴史的背景
ホセアのイスラエルに対する預言、この預言は、アッシリアの侵略によって生じたパレスチナにおける、前733年いわゆるシリア・エフライム戦争を示していする。
敵に打ちのめされるという状況の中で。。

○神には知られているが、自分は隠れているつもり—恥 

V3-4 3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。

神は、知っていた。私たちが罪を犯している時も、どんな時も、私たちは神に知られている。Gaze 神のまなざしについて、以前話しましたが、私たちは、神のまなざしから離れるといいことがないのです。私たちは苦しみ、寂しく、むなしくなります。しかし、私たちは、神のまなざしから逃げてしまうのです。それは、罪から来る私たちの自動的な行動です。罪が入ると、罪悪感が入り、そして、恥が入り、恐れが入り私たちは神の目から隠れようとします。最初の人、アダムとエバが罪を犯して真っ先にしたことは、隠れることでした。物理的だけではなく、心理的にも、実は、脳科学的にも恥は、私たちを隠そう、または、人目に見えないようにしよう、まなざしを避けるようにするのです。恥と、脳について。

V4「彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。」とありますが、なぜでしょうか。

ここでも、恥が貢献しています。アディクションもワークホリックも仕組みが同じです。恥から恥へと私たちは導かれるようにサイクルの中にはまります。聖書は、御霊の働きによって栄光から栄光から栄光へと書いてあるのに、まるで真逆ですね。恥にとっては、感じることが恐怖です。見つかりたくないから、自分の脳や心の中でさえも、恥は、自分の存在を隠して、影武者のように人生を支配していきます。恥の存在に向き合わないために人は、自分の感覚を麻痺するようにするように行動します。ある人は、お酒によって自分を麻痺させ、この箇所では姦淫によって、また働きすぎでも自分の感覚を麻痺させることができます。その結果、どうなるでしょうか。また恥に導かれます。飲みすぎた、仕事でトラブル、また恥の恥になりまたくるくるサイクルに入っ行きます。

ブリネー・ブラウンは、人は喜びに耐えられない。と言いました。恥は、喜びという栄光ある感情に耐えられないというのです。これは真理をついてます。栄光が本当に欲しいなら、隠れないで神の前に出てこなければいけません。喜びをつかむには、ボルナラビリティがなくてはなりません。(隠さず神の前に裸になること。)

○躓きは、躓きをうみ、霊的な目が曇る、神が余計に見えない

v5-6 5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。

先のみ言葉に続いて、恥のサイクルの中にいては、主を見つけることは難しいとあります。躓く人は、何度も躓きます。不思議なことです。それは、一つの躓きが次の躓きを産み、躓けば躓くほど、霊的な目がくもり、心が麻痺していくからです。躓きを避ける最大の攻略は、いつも神様の前にボルナボル裸になれるかということにかかっています。神様に正されても、それに従う勇気があるか。神様の忠告を受ける勇気を持っているかということです。

○目に見える人/国に希望を見出そうとする、助けを求めても無駄だ

v12-13 12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。

人は、自分の問題に気が付き始めたとき、行動を起こそうとします。神様は、この預言の中で、イスラエルは、神をないがしろにし、神を役立たずのようにみなし、自分の問題を直すために、大国に助けを求めたというのです。しかし、この大国でさえ、イスラエルの病をいやすことはできなかったのです。

人に頼ると罠に陥ると箴言にも書いてあります。何か問題が起きたときに、自分の問題が見えたとき、私たちは、人でなく、神に向かうべきです。今、何か、物事がうまく行かない、自分の腫物を見たなら、神に行くべきです。無駄な時間を過ごさず、神様を腐れにせず、そんな時こそ、神様に聞くべきです。

○罪を認め、神の臨在を求めること

v15 15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう

  罪を知ることは、解放。罪を認めることは、自由。顔=臨在 神と共にいること
勝利の入り口は、ありのままの自分の状態に目が開かれることです。これは、簡単なことではありせん。自分を客観的に見れることは、成熟を意味しています。何も恥ずかしいことではありません。本当の自分を隠して、自分を美化して美化された自分を信じるのではなく、ありのままの自分を知り、そんなありのままの自分が神に受け入れられている、神に知られていることを理解するところに解放と成長があります。

自分が分かったら、もう癒しが90%なされたと言っていもいいくらいなのです。そういう意味では、人は、自分自身をもGaze することが難しい存在なのかも知れませんね。自分を見つめることを避けて、自分の美化した理想像を追いかけているのでは、それはそれで偶像礼拝のようになってしまいます。
自分を見つめること、そして、神の御顔を求める、つまり、神のまなざしの中に入ることは、私たちの解放と癒しであります。

#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア四章

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ねずみちゃんの五歳の誕生日のお... ねずみちゃんの五歳の誕生日のお祝いをしました。 正面からこんな感じ。。。 今日... 正面からこんな感じ。。。
今日は、ママがケーキー作ってくれました。とっても美味しかったです。。。お誕生日おめでとう。元気に育ってね。
2017年9月24日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから。。。
今回は、時間が無くて、一番初めのポイントしか語れませんでした。残りは、書いたものからどうぞ。。。。



先週に続いてホセア書を読みますが、第四章は、はじめの10節は神様がイスラエルの罪の本質をついて示している言葉、そして、11節から最後までは、姦淫の霊について語られています。今日は、特に前半、イスラエルの罪の本質についてみていきたいと思います。

ホセア4:1-10

1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまづく。わたしはあなたの母を滅ぼす。
6 わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう。7 彼らはふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。8 彼らはわたしの民の罪を食いものにし、彼らの咎に望みをかけている。9 だから、民も祭司も同じようになる。わたしはその行いに報い、そのわざの仕返しをする。10 彼らは食べても、満たされず、姦淫しても、ふえることはない。彼らは主を捨てて、姦淫を続けるからだ。

★ 神を知ることもない v1   There is no knowledge of God.

一節目に重大なことが書かれています。1 イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。Hear the word of the LORD, You children of Israel, For the LORD brings a charge against the inhabitants of the land: “There is no truth or mercy Or knowledge of God in the land.

①まず、「主の言葉を聞きなさい。」

シェマーイスラエル。。。申命記。神の言葉を聞くことは、何にもまして一番大前提、大重要な事柄です。ヨハネの福音書でも、イエス様が、「羊は羊飼いの声を知っている」と言われています。誰に聞くかということが人生のかじ取りの中心であります。最初の人、アダムとエバは、神の声を聞いていたのですが、途中からサタンの声に聞き、それに従いました。そこからが、全ていのちの番狂わせが始まったわけです。

②「この地には真実がなく、誠実がなく」 No truth and mercy
聖書の箇所に次のような言葉があります。

箴言1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。The fear of the Lord is the beginning of knowledge,
But fools despise wisdom and instruction.

知識は、第三の神を知ることですが、まず、主を恐れることがなければ、神を知ることができません。主を恐れるとは、真実と誠実によります。まごころから神の愛することを愛し、神の嫌うことを嫌うことであります。これがなしに、ここなしに、神に近づくことはできません。そこを飛び越えて、神を知ることはできません。

③「神を知ることもないからだ」

神を知ることは、最大の武器でありますし、守りでありますし、私たちの成熟であります。先ほど、なつこさん証しがありましたが、いろいろと辛いなかを通りながらも、何が残っているでしょうか。それは、主を知ること、主の知識が最も大きく彼女に与えられたものではないでしょうか。物事がうまく行く、危険が避けられる、以上に、それをなさった主を知ることが最大の祝福です。またそのことによって、彼女が成長し、聞いた私たちも主への知識が深まります。
みなさん、知ることは、愛することです。以前から言っていますが。祈りによって、主に知っていただく、主にこのように介入していただいて主を知る。これが私たちの愛の関係です。苦しみも、罪も、分からないことも、悩みも、全ていいんです。恥ずかしくない。すべて、主に知っていただきましょう。主を知っていく機会にしましょう。

★ 地は喪に服す-- 自然界・環境への影響 v2, 3 The land will mourn

2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。2 By swearing and lying, Killing and stealing and committing adultery, They break all restraint, With bloodshed upon bloodshed. 3 Therefore the land will mourn; And everyone who dwells there will waste away With the beasts of the field And the birds of the air; Even the fish of the sea will be taken away.

皆さん、90年代後半のフィジーのリバイバルのお話しを知っているでしょうか。ユーチューブでもあるのでぜひご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=AmvYQ-Zp79A

愛がさめ分裂が起こり、犯罪が増え、漁業の町から魚がいなくなり、国が傾きました。クリスチャンたちが教派を越えて集まり、悔い改めの祈りの日々が続きました。国を挙げて神様の前に悔い改めて祈りだしたのです。すると、町に魚が返ってき、地が栄え、犯罪が消えた。最初の人アダムとエバの堕落以降、土地が呪われたように、私たちの罪の結果により、私たちの環境も祝福を受けることができないのです。ホセアの時にも同じでした。
私たち、アメリカに住んでいる人は何をするべきでしょうか。そうですね。愛がさめています、分裂が起きています。今、悔い改めて祈る時です。

★ フェイク宗教 v4, 5 Fake religion

4 だれもとがめてはならない。だれも責めてはならない。しかし祭司よ。わたしはあなたをなじる。5 あなたは昼つまずき、預言者もまた、あなたとともに夜つまづく。わたしはあなたの母を滅ぼす。4 “Now let no man contend, or rebuke another; For your people are like those who contend with the priest. 5 Therefore you shall stumble in the day; The prophet also shall stumble with you in the night; And I will destroy your mother.

外見がどうであれ、本質が神に従っていない。すなわち、宗教的ではあるが神を知らない。宗教的行事はすべてするし、見た目宗教人だけど、神の声を聞かず、サタンの声に聞き従っている状態。

白昼どうどうと罪を犯し、罪に鈍く、平気である様を言っている。また、夜に、隠れて罪を犯す。これは、隠れて犯しているから、人目に触れてないから罪が薄まるのでないですね。むしろ、確信犯。だめなこと知っててやるから、隠れてやる。人に隠れてグレーゾーンをすることは、白昼どうどうよりの場合は、躓いちゃったかもしれませんが、夜隠れての方が心の闇が深いかも知れません。
神は、宗教を商売化し、生きてゆく糧を得るすべにしている祭司たちを真っ先に指しています。

キリスト教は、誰の声を聞いているか? その声に従っている時に、良い実がなり、それによって周りの人が神を知るようになるものなのです。形じゃない。本質です。本質は、思想じゃない。哲学じゃない。行いが必ず伴います。

間の節は、また主を知ることに戻りますので飛ばします。

★ 罪によって満たされことは永遠にない v10 There is no fulfillment by sins forever

10 彼らは食べても、満たされず、姦淫しても、ふえることはない。彼らは主を捨てて、姦淫を続けるからだ。10 For they shall eat, but not have enough; They shall commit harlotry, but not increase; Because they have ceased obeying the LORD.

彼らは食べても食べても満たされず、姦淫してもそれによる繁栄はない。とあります。私たちは、罪を愛しているから、罪はやめられないのですが、それを続ければ続けるほど、満たされるどころか、もっとはらぺこになります。もっと渇きます。なのにやめられません。まるで奴隷のようです。
その奴隷状態から解放することができるのが、イエス・キリストです。

主を恐れることは、知識のはじめ。。。
イスラエルの罪の本質は、主を知らないこと、それは、主に聞かないことからくるのです。
今日、神の声を聞きましょう。今日、神の声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけませんと、聖書にもあります。主を知ることを求めましょう。

#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア三章

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八月末から、大学院二年目、始ま... 八月末から、大学院二年目、始まっております。最近、にわかに課題の多さに気が付きまして。。。。焦って、ブレイク中にスタバで必死でキャッチアップ。。。。専門的になってきました。今学期は、心理病理学、人間発達学、性的障害、安息日と霊性という科目を取ってますが、明らか取りすぎやな。。。。溜息
2017年9月17日日曜日礼拝メッセージ音声は、


先週に続き、ホセア書三章です。先週は、裁きの預言に続き、神が再びイスラエルを追い求めるという預言と方法が書いてありました。ここでは、実際に、神は、預言者ホセアの人生を用いて、その愛のメッセージをホセアに体現させています。

ホセア3:1-5

1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。
3 私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」
4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。
5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。

★ 恥を癒すoffered gaze v1
恥の結果の反対  反対のスピリットで神は近ずかれる 
1 主は私に仰せられた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」

今、日本でもいろいろ不倫の話題が多いようですが、なかなか第三者からは手厳しい裁きを読んでいます。誰も、不倫をしている人の味方はいません。不倫をされた側からみると、きっと力が抜けるほど腹がたつことだと思います。どうして? 先週、顔と顔と合わせる、親密さ。Gaze の話しを少ししました。また、先月には、顔と顔と合わせるところに、その会話の中に栄光があるという話しもしました。神に背くことを、背を向けるとも表現する通りに、人を裏切る時には、このgaze がどこかを違う方向に向くのです。

この夫がありながら、ほかの男と姦通する妻は、恥さらしです。本当なら、この恥から目を背けたいのが人間です。そうですね、例えば、道に落ちている汚いものをじっとまじかで見つめたい人なんていないですよね。それと同じです。みな、顔を背けたいのです。
また、罪を犯している本人だって、その恥から目をそらし、心の中では、自分自身に向き合うことなんてできないのです。恥とは、そのようなものです。

干しブドウ二個分が、売春婦の一回の価格だった。また、バアル礼拝の儀式に用いられているものでもあった。姦淫のシンボルである。

★ 払う必要のない犠牲を払ってまで v2 Unnecessary sacrifice
2 そこで、私は銀十五シェケルと大麦一ホメル半で彼女を買い取った。

ホセアは、売春婦を初めて自分のものにするためにお金を払うのではありません。自分の妻を買い戻すためにお金を払ったのです。なんということでしょうか。。。妻を買うためにお金を出さないといけないとは。。。
出エジプト記によると、奴隷の一人の買い取り価格が、銀30シュケルでした。ゴメルは、ホセアの妻でありながら、売りに出ていたのです。なんというこでしょう。ホセアは、銀15シュケルと足りない分は、大麦を集めてそれを足して、ゴメルを買い取り自分のものにすることができました。この部分だけを読んでも、ゴメルを奴隷状態から買い戻すのは、簡単ではないことが分かりますね。いろいろと工面しなければいけなかった。
文字通り、贖いの行為です。
私たちは、みな神に造られたものたち。しかも、神の似姿に造られたものたちです。みな、霊を持ち、賜物が与えられている。しかし、神から離れているがゆえに、買い戻されなければいけなかった。。。
イエス様の十字架、誰もが目を背けるほどのむごさであり、恥の集約でした。それを体験している、その気持ちの分かる神。
目をそむけたくなる、恥にまみれたゴメルを代価を払って買ったホセアでした。

★ 再び結婚の誓い v3 Marriage Vow again
私は彼女に言った。「これから長く、私のところにとどまって、もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。私も、あなたにそうしよう。」And I said to her, “You shall stay with me many days; you shall not play the harlot, nor shall you have a man—so, too, will I be toward you.”

ホセアの一方的な赦しがあってこその誓いの言葉であり、新しく交わされた契約であった。洗礼式の時に、みなさんお気づきかと思いますが、「死に至るまで忠実でありなさい。」と祈ります。神の救いは、永遠に至る救いです。ですから、私たちは、命の限り、誠実であるべきだからです。結婚式の時にも、誓いの言葉を交わします。死が二人を分かつまで、忠誠を誓うのです。ホセアは、永遠の愛をゴメルにオファーしているのです。

○赦しと悔い改めの実について


★ 究極の王の訪れと真の救いの希望を示す  V4, 5 Ultimate King and hope of salvation

4 それは、イスラエル人は長い間、王もなく、首長もなく、いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなく過ごすからだ。
5 その後、イスラエル人は帰って来て、彼らの神、主と、彼らの王ダビデを尋ね求め、終わりの日に、おののきながら主とその恵みに来よう。4 For the children of Israel shall abide many days without king or prince, without sacrifice or sacred pillar, without ephod or teraphim. 5 Afterward the children of Israel shall return and seek the Lord their God and David their king. They shall fear the Lord and His goodness in the latter days.

アッシリヤに征服されてから、イスラエルに王が立てらることは実際にありませんでした。王は、ただ一人、イエス・キリストのみとなります。長い間。。。とあります。神は、目に見えるものによりたのむのではなく、目に見える王でなく、やがて来られる真の王、霊の王、イエス・キリストのおとずれを示唆しているのです。
いけにえも、石の柱も、エポデも、テラフィムもなくwithout sacrifice or sacred pillar, without ephod or teraphim
とは、様々な異教的な文化をさしています。カナン文化とも言えますが、石の柱は、バアル神の象徴。エボデは祭司が占いを行うときに着けるベスト。テラフィムは人の形の像で、家の守り神的な像、サムエル記、さかのぼって創世記にも出てきますよね。

やがて、人間的な王、この世の宗教ではなく真の神、王イエス・キリストに出会う日が来る。という、終末的預言に至っています。



#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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ホセア二章

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ホセア二章
2017年9月10日日曜日礼拝メッセージ音声は、


イスラエルの民の名前が変わってく過程についての預言。鍵は、神の愛。
ホセア2:2-23

先週に続いてホセア書の第二章です。一章の終わりに名前が変えられるということが出てきました。ホセアの子供たちの名前を文字通り使っての預言です。さて、どのようにして名前が変えられるのでしょうか。

●裁き・罪の結果 v2-13 Judgement and Consequence of sins

まず、前半裁きの言葉です。裁きというのは、ただ、自由気ままに神様が怒るのが裁きではありません。裁きは、罪の結果によるものであり、自分の行動の結果とも言えます。

☆偶像と手を切るように Leave the Idols

V2-4「あなたがたの母をとがめよ。とがめよ。彼女はわたしの妻ではなく、わたしは彼女の夫ではないからだ。彼女の顔から姦淫を取り除き、その乳房の間から姦通を取り除け。3 そうでなければ、わたしは、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにして彼女をさらし、彼女を荒野のようにし、砂漠のようにし、渇きで彼女を死なせよう。4 わたしは彼女の子らを愛さない。彼らは姦淫の子らであるから。

まず、偶像と手を切るようにと神様は言われます。イエス様も、「二人の主人に同時に仕えることはできない。」また、「わたしに仕えるのか、マモンに仕えるのか」ともおっしゃいました。私たちは、決して、二人の主人には仕えられないのです。どちらかを愛して、どちらかをおろそかに必ずするからです。ですから、神様よりも大事なものを持つことは、偶像礼拝です。何を失っても、神様がいれば大丈夫。これが信仰です。
彼女の顔から、胸の間から姦通を取り除け。私たちの顔の向く方が私たちの求めているものではないでしようか。愛する人がいたら、女性は、顔と顔を合わせて見つめ合いたいのではないでしょうか。また、心のうちに大切に、親密な思いは、胸においておくのではないでしょうか。完全に異なる神、偶像から自分自身を取り除くようにと神様は言われます。

☆罪の結果 The Consequence of Sins

そうでなければ、彼女の着物をはいで裸にし、生まれた日のようにさらし、砂漠のようにし、渇きで死なせる。。。と。私たち、キリストに出会っている者たちは、分かります。恵みのクッションの大きさが。私たちを覆う覆いでキリストにより罪が隠されていることを。しかし、そのようなものもなく、罪の恥をさらし、まっぱだかで、しかも、潤いもなく、神の恵みも憐れみも感じず、飢え渇き過ぎて死なせると。。。。この状態、私たちも味わったことがある感覚ではないでしょうか。そう、救われる前。何をしても砂をかむような、白黒写真のような。。。でも、神様に出会ってから、渇くことのない泉のように、神様に頼れば頼るほど、恵みがあふれてくる。。。その反対になるというのです。そうです、神様に背を向けては、真のいのちがなくなってしまうのです。

☆偶像礼拝には理由がある The Reason of Idol Worshipping

V5-9 5 彼らの母は姦淫をし、彼らをはらんで恥をさらし、そして言った。『私は恋人たちのあとを追う。彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる』と。6 それゆえ、わたしは、いばらで彼女の道に垣を立て、彼女が通い路を見いださないように、石垣を立てよう。7 彼女は恋人たちのあとを追って行こう。しかし、彼らに追いつくことはない。彼らを捜し求めよう。しかし、見つけ出すことはない。彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私はしあわせだったから。』8 彼女に穀物と新しいぶどう酒と油とを与えた者、かた、バアルのために使った銀と金とを多く与えた者が、わたしであるのを、彼女は知らなかった。9 それゆえ、わたしは、その時になって、わたしの穀物を、その季節になって、わたしの新しいぶどう酒を取り戻し、また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。

罪から離れられない最大の理由は、罪を愛していことです。罪は嫌わないとやめられません。母たち、イスラエルの民全体のこと。国。偶像礼拝には理由があります。それは、「彼らは私にパンと水、羊毛と麻、油と飲み物を与えてくれる」とあるとおりです。今、私が欲しいものをくれる。自分の思うとおりになることが、偶像礼拝の根っこです。偶像礼拝の反対は、では何でしょうか。そうです。信頼と信仰です。みなさん、気を付けてください。信頼と信仰がないところには神様はおられないです。今欲しいものが与えれないことを悲しみとするなら、それは偶像礼拝なのです。神は、バアルを通してでも物事を与えたのさえも真の神であるとおっしゃいます。それさえ、知らないのか。。。と。それが分からないものには、すべて新しい葡萄酒も取り戻すし、羊毛も麻も剥ぎ取り、恥をさらすと。

☆礼拝も取り上げられる Religion was taken away

V10-13 10 今、わたしは彼女の恥を、恋人たちの目の前にあばく。だれも彼女をわたしの手から救い出せる者はない。11 わたしは彼女のすべてを喜び、祭り、新月の祭り、安息日、すべての例祭を、やめさせる。12 それから、わたしは彼女が『これは私の恋人たちが払ってくれた報酬』と言っていた彼女のぶどうの木と、いちじくの木とを荒れすたらせ、これを林にして、野の獣にこれを食べさせる。13 わたしは、彼女がバアルに香をたき、耳輪や飾りを身につけて、恋人たちを慕って行き、わたしを忘れてバアルに仕えた日々に報いる。—主の御告げ—

二人の主人には仕えられません。しかし、当時のイスラエルの民は、教理も何も偶像とごっちゃにし、ユダヤの神を拝む体で、偶像礼拝をしていました。みなさん、これ、怖いと思いませんか。私は、真の神を信じているといいながら、実は、心の奥底では異なる神を拝んでいるとは。。。しかし、当時のようにバアルなどはっきりしているものと違って、今の教会に置き換えるなら、本当にはっとさせられます。私は、どなたを礼拝しているのか。。。

●再び主がイスラエルを追い求める v14-23 God pursues Israel again

☆主とのエンカウンター Encounter with God

14 それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。15 わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。

主は、ご自身に背いているイスラエルに近づいてくどき、優しく語ってくれる。何ということでしょうか。顔に泥を塗られるようなことをされて、まだ、優しく説得してくれる神。私たちは、その神の声に気が付くようでありたいですね。そして、何も実を結ぶことも取り上げられていたところをブドウ畑にし、アコルの谷を希望の門、入り口とする。と。アコルの谷は、ヨシュア記でてきますが、昔、アイに攻め入ったときに、アカンが完全に聖絶せよという神の命令に背いて、欲がでて、自分のために金の延べ棒などを自分のぽっけにないないしました。そのことで、アカンは殺されました。その場所がアコルの谷です。そうです。アカンの心には偶像礼拝の心がありました。自己中心のあまり、神の声に従えませんでした。神に従っては戦うけど、自分のためにこれは取っておこうという心が偶像礼拝の心です。しかし、この箇所で、そのアコルの谷を希望の入って来る門にすると預言されているのです。二心のイスラエル、しかし、その二心さえも、それに気がつくことで変革とそれに伴う祝福が来るように、そこは、希望の入り口になると。。。そして、奴隷だったエジプトから救われてきた日のように、神に救われ、神に出会うだろうと。。。

☆主と契りMake a Covenant with God

16 その日、—主の御告げ—あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。
17 わたしはバアルたちの名を彼女の口から取り除く。その名はもう覚えられることはない。18 その日、わたしは彼らのために、野の獣、空の鳥、地をはうものと契約を結び、弓と剣と戦いを地から絶やし、彼らを安らかに休ませる。19 わたしはあなたと永遠の契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。
20 わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。

私たちも主に立ち変える時が、人生のうち、一度ではなく何度となくその時が訪れるものです。私はバアルの名をイスラエルの口から取り除く。と。その口は、主を告白するようになるからです。そして、契りを結ぶ。主と再び結ばれ、そして、主を深く知るようになる。私たちは、神と結ばれなければ、主を知ることはありません。こっちに足を突っ込み、あっちにも足を突っ込んでいる状態では、主を知ることはできないのです。信仰は、あるかないかであって、大きいか小さいかではありません。少しの信仰があったらいいのかな、ではなく、主以外のものによりたのんでいたら、信仰ではないので、信仰はないということになります。

☆アイデンティティの変革 The Transformation of Identity

21 その日、わたしは答える。—主の御告げ—わたしは天に答え、天は地に答える。
22 地は穀物と新しいぶどう酒と油に答え、それらはイズレエルに答える。
23 わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う。彼は『あなたは私の神』と言おう」

名前が変わるということは、アイデンティティが変わるということです。イズレエルは、散らすものから集めるものとなり、愛されないものは、愛され、私の民ではない者は、あなたは私の民と変えられます。私たちは、心の中心に何を持っているかで、生き方が変わり、アイデンティティが変わります。二章の預言は、どのようにして名前が変わるのかというプロセスでしたが、簡単に言うと、偶像と手を切る。そして、優しく語り掛けてくれる神の声に耳をまず傾けるということです。

今日聖霊様が、私たちのうちに働いてくださり、私たちのうちに隠された偶像を明らかにしてくださいますように。これだけは私から取らないでという、神様よりも大事なものがあるならば、手放しましょう。そして、神の声が聞こえるようになりますように。。。神様に新たに出会うことができますように。
#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

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