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ぼくしのめがね

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芳しいナルド油 Fragrant oil of Spikenard

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木曜日の子どもとお母さんのクラ... 木曜日の子どもとお母さんのクラス、ロバの子クラスのおやつタイムにて。。。写ってない子達は走り回っとります。笑
元気が一番!
日曜日礼拝前。。。 子どもたち... 日曜日礼拝前。。。
子どもたちの興味とは、エンドレスです。
このエネルギー。。。私たちも、昔はあったんだよねぇ。。。。笑
2016年3月6日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/lRJNFjzP5UQ

マルコ14:3-9

イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。7 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。8 この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」3 And being in Bethany at the house of Simon the leper, as He sat at the table, a woman came having an alabaster flask of very costly oil of spikenard. Then she broke the flask and poured it on His head. 4 But there were some who were indignant among themselves, and said, “Why was this fragrant oil wasted? 5 For it might have been sold for more than three hundred denarii and given to the poor.” And they criticized her sharply.6 But Jesus said, “Let her alone. Why do you trouble her? She has done a good work for Me. 7 For you have the poor with you always, and whenever you wish you may do them good; but Me you do not have always. 8 She has done what she could. She has come beforehand to anoint My body for burial. 9 Assuredly, I say to you, wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.”

二週間ほど前から、ずっと神様にこの場所を話すように示されていました。
この世の中は、物を買ったり売ったりすることで成り立っています。神の国はどうかと言うと、与えることと、受け取ることでなりたっています。Buying & Selling vs Giving & Receiving

この箇所でも、イエス様は、らい病人シモンの家を訪問し、神の愛、そしてあらゆる意味での癒しを与えておられました。しかも、もうイエス様は、いつとらえられてころされるか分からない、危険な時にでも、与えて折られたのです。
今日は、また、ナルドの香油をイエス様に与えた女性のお話しです。神の国のお話しです。

今日読んだ最後に、このような言葉がありました。「世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.

この女性のしたことは、イエス様の救いの良い知らせである福音とは切っても切り離せないこととなりました。イエス様に大変誉められただけではなく、世界中で語られるほどすばらしいことをしたというのです。
私たちは、立派なことをした人は、きつと立派で社会的にも賞賛されるような人なんだろうと思うことでしょう。

しかし、今日のお話しは、まさか、この人が神様を喜ばせることはできないだろう人々が思うような、二人の人物が中心になっているのです。このシーンの舞台となっている家は、らい病人シモンの家です。らい病人というのは、当時の社会の敗者であり、どうしてもそこから這い上がることはできない立場でした。また、この名も記されていない女性は、イエス様に七つの悪霊を追い出された売春婦だとも言われていたり、またベタニヤのマリアであるとも言われています。いずれにしても、女性というのは、当時まったく身分の無い存在でしたから、まさか、この人が偉大なことをするとは考えられないことだったのです。

イエス様は、うわべや、社会的位置のある人だけに目を留めているのではありません。たとえあなたが、人生のどん底にいようと、過去の悪い選択によって今の状況が悪くても、イエス様はあなたを一人の人として尊重し、そして心の内側を見ておられるのです。聖書に、「人はうわべを見るが、神はその心を見られる」People look at the outward appearance, but the LORD looks at the heart.と書かれています。

この女性の内側には、何があったのでしょうか。

この女性がなぜこのようなことをしたのかは、はっきり書かれてはいません。しかし、イエス様はりっぱだと誉められました。イエス様がりっぱだと誉められた人は、あまりいませんでした。百人隊長とカナン人の女くらいだった。

★ナルドの香油 

シーンに戻って。。。らい病人シモンの家で、イエス様が食卓についているとき、一人の女が入ってきました。非常に高価なナルド油のつぼを持っていました。彼女は、それを割って、イエス様の頭に注ぎました。
非常に高価な香油costly oil of spikenard … この香油は、三百デナリするものでした。人が一年働いた分くらいの金額です。
他の聖書の箇所では、この香りが家中に充満したとあります。このナルドの香油は、

★ 感謝の表れであった

贈り物と愛… 贈り物というのは、相手を想って捧げられるもの。贈り物を見たら、送り手がど れほど相手を想っているか、また相手を知っているかが良く分かる。また贈り物は、相手にふさ わしいものを送ります。誰も天皇陛下にプレゼントするのに、その辺のお菓子をプレゼントする 人はいません。値段も高くて良い品物を選ぶはずです。 この女性は、最高級の香油をイエス様に 捧げました。なぜなら、彼女の人生が救われたからです。劇的に良いように変革したからです。 これは、イエス様への愛の現れであり、言葉にし尽くせないほどの感謝の表れでした。

★ 献身の表れであった

彼女は、香油のビンを割って、イエス様に注ぎました。どうして、ビンを割らなければならなかったのでしょうか。ナルドの香油のビンというのは、高価な香水を入れるのに相応しく頑丈に出来ています。そして、高価で非常に強く良い香りのするものなので、一滴づつしかでてこないような作りになっいました。
彼女は、初めから、この香水の全てを全部イエス様に捧げることに心に決めていたのでした。ふたを取ってちょぼちょぼやりながら、油の出具合を見ながら捧げるのではなく、はじめから全部、捧げるためにらい病人シモンの家に来たのです。
このビンは、彼女の心を表しています。ビンを割るという行為は、全部を捧げ尽くすという行為です。この、今ですれば、三百万も五百万もする高価なものには、彼女の人生が掛かっていたのではないでしょうか。彼女の財産であり、今までの労苦であり、生き方であり、これを元手に夢をかなえるためのものだったかも知れません。。。彼女がビンと一緒に割ったのは、自分の心、自我、夢、計画、やり方、考えだったのです。自我、自分と言うものがあっては、完全な献身というのは、ありえないのです。

私たちが、神様に従うと決心する時に、一番の邪魔になるのは、自分自身の自我です。私は、日本の神学校でこの部分を一番学びました。人と、付き合い、一致してチームで物事をするにも、メッセージを作るにも、主に仕え、従うには、自分が一番邪魔だ。どうして、「はい」と言うのに、そんなに時間がかかるのか。。。それは、自分のやり方にこだわりがあり、こっちのやり方が良いに決まっているという、自分の考えがあり、また、自分がかわいいという心、怠け心、わがままな心があるからでした。。。。痛いほど学ばされました。。。。

私たちの、心のつぼである自我を割らなければ、全てを神様にお任せすることはできないのです。

この女性は、全てをイエス様にお任せすることに決めたのです。

★ メッセージへの応答であった

イエス様は、ご自分が捕らえられ殺されることを三回は弟子たちに話している。弟子たちには、全くこのメッセージが心に入っていなかった。彼らの心は、自分たちのことでいっぱいであったからです。誰が一番出世するか、イエス様が政治的にイスラエルを治めてくれるのかなどといったことで頭がいっぱい。
しかし、この女性にとっては、もうすぐ捕らえられて殺されるイエス様に最高のものを捧げたかったという愛があったのです。

★ イエス様の十字架への任職の油そそぎとなった

この行為は、埋葬の準備となり、また救い主である、彼女の心の王として認める油注ぎであった。キリストというのは、油そそがれた者と言う意味がある。神様の御用のために、神様から任職されたものという。旧約の時代には、油すなわち神様の霊がそそがれることを象徴して、任職のときに油をそそいだのでした。
だれも、イエス様のメッセージを受けて、私たちの罪を取り除く贖罪の時が近づいているとはきずきませんでした。図らずも、この名もない一人の女が、イエス様に任職の油注ぎをすることとなったのです。
この香油は非常に高価な香油であるため、少しだけを使ってもよい香りがするものである。彼女は、つぼごと割って注いだので、その香りは、家全体に広がり、また、イエス様がゲッセマネで血の汗を流して祈られた時も、十字架を背負って歩かされた時も、十字架にかかられたその時もきっと香っていたに違いない。この女の捧げものが、イエス様の心をいかに慰めることとなっただろうか。

★ うわべのことだけを気にした弟子たち Buying & Selling Mentality

4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。5 この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。4 But there were some who were indignant among themselves, and said, “Why was this fragrant oil wasted? 5 For it might have been sold for more than three hundred denarii and given to the poor.” And they criticized her sharply

弟子たちは、憤慨しました。「何のために」とさえ言いました。そして、「無駄にした」といい、この女を責めたのです。
私たち、人間社会は、効率や、結果、またインスタント、早くに結果を見ることを求めます。一人のイエス様に高価な油を全部使うよりも、たくさんの人に施した方がいいと弟子たちは考えたのでしょう。
しかし、イエス様は、弟子たちをいさめました。この女は、できることの最善をイエス様にしたのです。と、そして、それは、福音が行くところでは、どこでも、語られるだろうと。

★福音の行くところどこにでも 

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでし ょう。」9 Assuredly, I say to you, wherever this gospel is preached in the whole world, what this woman has done will also be told as a memorial to her.

イエス様は、教えられたのです、無駄に思えることが神の国では大いに役立つこと。わたしも、いつも、葛藤があります。集会をするために、たくさんの食べ物を買ったりするときに、こんなに買っても、あまったらどうしようなど。。。また、時間を費やしたりする場合に、こんなにしても、この人がわたしを利用するだけして成長しなかったらどうしようなど。。。確かに、神に仕えるために、人に仕えていくときに、傷つくことは、たくさんあります。無駄に終わったのではないかという労苦もたくさんあります。

しかし、神の国は、Giving & Receiving与え、受けるということで成り立っています。この世と違います。Buying & Selling の考えだと、損得を基準に決断をしようとします。。。だからこそ、そのような心に疑いがくる時に、心の自我のつぼを割らなければなりません。そうして、もう一度、神様に全部かけて、捧げてみようと思いなおさなければならないのです。

不思議ですが、この女のように惜しげもなく、捧げきるときに、Lavish (大胆なほどに気前良く)に神に捧げる時に、福音というのは、人に伝わるものなのです。。。




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量産型水野
量産型水野さんからコメント
投稿日 2016-03-10 21:17

私はキリスト教徒ではないですが毒麦のたとえは好きですよ、一応聖書は全部読みました

私は愛する人がいたらメズマライズできたらいいと思っています

ワオ!と言っているユーザー

bokushi
bokushiさんからコメント
投稿日 2016-03-11 02:12

水野さん、こんにちは。コメントありがとうございます。すごいですねー。分厚い聖書、全部読まれたんですね!  毒麦は、最後に刈り取りましょう、毒じゃないのも一緒に刈り取ってはいけないからってやつですね。そうですね、最後の最後まで、裁きを伸ばす、神様の愛ですね。
これからもよろしくお願いします!

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