クリスチャン生活の基本シリーズ④人に仕える
2月
16日
私が、初めてキリストの赦しの大きさを体験し、聖霊に満たされた時。。。私の人生が完全に変わりました。目に見える全てのものがきらきらして美しく見え、そして、私の周りにいる人が愛おしく感じ、道行く人であれ、全ての人をハグしたい衝動に駆られました。。。
神の愛に触れ、浸される時、私たちは、神様の愛と同化するのです。その愛を人に分かち合いたくて仕方がなくなるのです。
聖書の中に、「多くを赦された者は多く愛する」 ルカによる福音書 7章36節~50節とあります。47 Therefore I say to you, her sins, which are many, are forgiven, for she loved much. But to whom little is forgiven, the same loves little.”とある様に、
イエス様にたくさん赦されたと自覚するものは、もっともっとイエス様を愛してたくさんのことをしたくなるのです。
クリスチャン生活というのは、まず、イエス様の愛に感動し、礼拝し、捧げ、そして、自分がイエス様に良くしていただいているとおりに、人にもしたくなり、そうするという生活なのです。自分から出たことではありません。神の愛がそうさせるのです。
★ 愛することについて あなた自身のように。。。同化の始まり
次の箇所はルカの福音書にも引用されていますが、聖書の教えを短く言うならば、「神を愛し、人を愛する」ということに尽きます。そして、人を愛する場合には、次のようにするのだと言います。
レビ19:18 あなたの隣人を自分自身のように愛せよ。You shall not take vengeance, nor bear any grudge against the children of your people, but you shall love your neighbor as yourself: I am the Lord.
人を愛する時には、自分自身のように愛せと。。。短い言葉ですが、深遠な言葉であります。一つに、自分を正しい意味で愛せない人は、人を愛することも難しいこと。。。傷ついている人は、人の愛を受け入れるのが難しい。しかし、自分を愛される存在として認め、自己受容するときに人の愛を受け入れられるようになり、人を愛することが出来るようになるのです。ですから、礼拝と同じように。私たちは、人の愛を受け入れられてこそ、自分を認め、自分を愛することができ、そして、次ぎに人を愛することができるようになるのです。
神を愛し、人を愛するという順序も忘れてはいけません。まず神を愛するところに、神からの愛を受けることができ、その愛が原動力となり始めて自分を愛し、そして、人を愛することができるようになるのです。
そして、第二番目に、「自分自身のように」とあります。これも深いことです。イエス様のされたことを思い出してみてください。イエス様は、私たち人間の姿にまでくだり、わたし達と同化し、私たちの苦しみ、そして、悲しみ、そして恥、罪の罰をかぶせられ死を私たちと同化して体験してくださいました。完全な共感Empathy ですね。「自分自身のように」というところに、相手と自分との境を取り除いて、同化して、愛するということを考えされられます。
★ 誰が隣人でしょうかという問い
聖書の中に、有名な隣人のストーリーがあります。神を愛し、隣人を愛すならば永遠のいのちに至ると言われた青年は、じゃ、隣人とは誰なのかと質問します。
ストーリーを読む前に、あなたに質問します。あなたの愛すべき隣人とは誰でしょうか?
ルカ10:29-37
29 しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。31 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。35 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」37 彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
誰が、隣人となったかというと、サマリヤ人でしたね。
ここに大切なメッセージがあります。
サマリヤ人とユダヤ人は互いに憎みあって、口も聞きませんでした。宗教的な違いもありました。けれども、同胞の宗教的リーダーたちは、全て、傷ついたユダヤ人を見捨てましたが、サマリヤ人だけは、立ち止まり、危険をかえりみず、自分のお金もはたいて、このユダヤ人を介抱してやりました。
この、サマリヤ人は、Offence という壁を乗り越えてまで、互いに口を利かないというような前提条件や偏見を乗り越えて、助けたのです。
これが、本当の同化であり、愛であります。
ちょうど、イエス様がされたことのようです。イエス様は、私たちの一番の隣人になってくださいました。
私たちは、いろいろと理由をつけて、愛しません。これが難しいから、あれが難しいからと。。愛しやすい人を愛することは、誰かの隣人となることではありません。
私たちがまだ罪人であったとき、イエス様は、大きなリスクをとって、私たちのために十字架に掛かってくださったのです。私たちが、彼を信じるかどうか分からない時に。。。このサマリヤ人だって、助けているユダヤ人に否まれるかもしれない、迷惑かもしれない、けれども、この人の命を助けなければならないと、Offence の壁を乗り越えて助けたのです。
そして、サマリヤ人は、自分からこのユダヤ人の隣人となることを選んだのです。
隣人となることは、自発的なことであり、愛すべき隣人が通りかかるのを待つことではありません。
愛するという言葉は、もともと一方通行のものです。わたしから発するものなのです。
さあ、あなたの隣人は誰でしょうか?
★ 人に仕えることは、イエス様に仕えること?
マタイ25:40
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりのしたのは、わたしにしたのです。」And the King will answer and say to them, ‘Assuredly, I say to you, inasmuch as you did it to one of the least of these My brethren, you did it to Me.’
イエス様の深い愛と、私たちへの関心を覚えます。「この一人にしたことは、わたしにした りです。。。」イエス様は、すでに、苦しんでいる人たちの心と共にあるというこてとでは ないでしょうか。いつも、傷つき、恥を負い、もがいている人に目を注がれて、心を引き裂 かれているのです。その一人を助けるとは、イエス様に仕えているのと同じことなのです。
イエス様は、その人の痛みに同化されているからです。
★ 行いをもって神の愛をあらわしましょう
ヤコブ書は、私たちの行いの大切さをこう書き表しています。
ヤコブ2:14-17
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。もし、兄弟または姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったら、それだけでは、死んだものです。4 What does it profit, my brethren, if someone says he has faith but does not have works? Can faith save him? 15 If a brother or sister is naked and destitute of daily food, 16 and one of you says to them, “Depart in peace, be warmed and filled,” but you do not give them the things which are needed for the body, what does it profit? 17 Thus also faith by itself, if it does not have works, is dead.
Ⅰヨハネ3:17-18
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。But whoever has this world’s goods, and sees his brother in need, and shuts up his heart from him, how does the love of God abide in him? 18 My little children, let us not love in word or in tongue, but in deed and in truth.
私たちは、みな善人のよいクリスチャンです。神を信じている善良な市民です。
しかし、気持ちだけでは、何も伝わらないのです。
愛は、行動を伴います。
そして、私たちの信仰は、行動が伴ってこそ、初めてそれが本物だと立証されるのです。(ヘブル11)
★ What would Jesus do?
What would Jesus do? WWJD とかというスティカーを良く見かけませんか? 10年ほど前にキリスト教界で流行った言葉です。「イエス様だったら、どうするだろう? 」という問いかけです。
人に仕えるということは、必ずしも簡単なことではありません。忍耐もいります、逆に傷つけられることもあります。
でも、大切なことは、一つです。
神様に忠実であることです。空回りしてもいい、伝わらなかったとしても、あなたが、神の愛に応答し、そして、仕えるために行動したということが大事なのです。
神様は、きっと、良くやった忠実なしもべだと誉めてくださいます。
誰が見ていなくても、イエス様だったらどうしただろうか? ということをもとに行動したいものです。
ぼ
投稿日 2016-02-17 20:05
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投稿日 2016-02-18 04:13
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投稿日 2016-02-19 11:31
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投稿日 2016-02-20 09:14
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投稿日 2016-02-22 09:15
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投稿日 2016-02-23 07:12
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