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ボンビーでもしあわせのカタチはあります

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気まぐれに更新するブログなので、コメント・友だち・メール機能はオフにしています。無礼をお許しください。

■お米5Kgと野菜■無料■5名★終了しました。773人からアクセス。

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■お米5Kgと野菜■無料■5名...
学生の時、トイレも風呂もない3畳の部屋に下宿していました。
 
廊下は落とし便所の匂いが漂っていました。
 
「神田川」の世界そのものでした。
 
といっても、今はいい思い出。
 
ラーメン一袋と玉子1個を近くの商店で買おうとしたら
 
「え~」というような目で見られました。
 
今も、年金暮らしです。
 
野菜と米を提供するのは、「ほどこし」をして優越感を得るためではありません。
 
「これから、いろいろあると思うけど、がんばっていこうや」というメッセージを渡したいというだけです。 

ワオ!と言っているユーザー

本棚の横に置かれた人形は、子どもたちとの楽しい時間を封じ込めた小さな宇宙だ

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(イメージ画像) 私たちを取り... (イメージ画像)
私たちを取り巻く物は、単なる物質ではない。

それらは私たちの感情を映し出す鏡であり、

記憶を留める器でもある。

本棚の横に置かれた人形は、

子どもたちとの楽しい時間を封じ込めた小さな宇宙だ。

それを見るたびに、懐かしさと幸福感が胸に広がる。
確かに、物への執着は時として重荷になる。
 
「持たない暮らし」の魅力は、そこからの解放にある。
 
しかし、すべてを捨てることが解決策ではない。
 
大切なのは、物との適切な距離感を見出すこと。
 
必要以上に執着せず、かといって軽々しく手放さない。
 
そのバランスを取ることが、
 
豊かな人生を送る鍵となるのではないだろうか。

ワオ!と言っているユーザー

どの災害でも「口座名は同じ」なのはなぜですか。という理由も書いてあったが・・・・・

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(産経新聞)?マークで報じてい... (産経新聞)?マークで報じているが・・・・ どの災害でも「口座名は同じ」な...
■共産党赤旗の「反論」記事
 
熊本地震の際、党の小選挙区候補者が寄せられた募金について「被災地救援とともに党活動に使わせてもらう」と誤った発信をし、ただちに撤回・謝罪をしたことがあります。
 
被災地支援と党活動支援という性格の異なる募金を同じ一つの袋で集めたのは、党の方針からの逸脱でした。
 
この時集まった37万円は、その後、全額を被災地に届けています。
 

ワオ!と言っているユーザー

募金って気を付けたほうがいいかも。行方を確かめよう。どこに行っているの?! 確かめてから募金しよう!

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募金って気を付けたほうがいいか...

ワオ!と言っているユーザー

物と共に生きることは、時間と共に生きること。そして、それは自分自身と向き合うことでもある。

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人形は育ち盛りの子供と家族を見... 人形は育ち盛りの子供と家族を見つめてきただろう。

「幸せの日々」の証言者となるだろう。
物と共に生きることは、時間と共...
「持たない暮らし」の魅力は理解できる。
 
確かに、物への執着から解放されることで、心の自由を得られるかもしれない。
 
しかし、それと引き換えに失うものも大きい。
 
私たちの記憶は時に曖昧で不確かだ。
 
だからこそ、物という具体的な存在が
 
必要なのではないだろうか。
 
妻の言葉「人生の最終章に責任を持ってね」「残された者は、困ることも」
 
に、一瞬戸惑いを覚えつつも、
 
それがきっかけとなって自分の価値観を見つめ直す。
 
すべての物に意味があるわけではない。
 
しかし、真に大切な物は、私たちの人生の道標となり、
 
アイデンティティを形作る。
 
それは決して「ガラクタ」ではなく、
 
かけがえのない宝物なのだ。

ワオ!と言っているユーザー

「コーナーベンチ」って、独特の雰囲気を楽しめる。歳をとって足をぶつけて「痛い!」■大切にしてくれそうな人に、差し上げた。

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「コーナーベンチ」って、独特の... 「コーナーベンチ」って、独特の...

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「人生の最終章に責任を持ちなさい・・・」と言われているような気がして。

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昭和初期、戦前・戦中のものだと... 昭和初期、戦前・戦中のものだと思われる。

庶民が煮物でも盛り付けた器である。

もちろん、骨董的価値はない。

興味のある人に差し上げることにした。
「人生の最終章に責任を持ちなさ... コーナーベンチも差し上げた。 ... コーナーベンチも差し上げた。

1円でもお金をもらうと、責任が生じる。

ネットに出すと数十人から連絡。

自分の思いを大切にしてくれそうな人にもっていってもらった。

「まだありますか。ください!」

的な人には、渡っていません。

ワオ!と言っているユーザー

我が家の「愛着のあるモノ」人生の物語を内包している・・・時の重みを感じる。

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我が家の「愛着のあるモノ」人生...
人生は時間の積み重ねである。
 
そして、私たちの周りにある物は、その時間の重みを
 
静かに背負っている。
 
戸棚に眠る人形は、単なる布と詰め物ではない。
 
それは、子どもたちの成長を見守り、
 
家族の喜びや悲しみを共有してきた無言の証人なのだ。

ワオ!と言っているユーザー

私たちの人生は物語であり、 その物語を紡ぐためには、愛着のあるモノも必要。

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物への執着は時に重荷になること... 物への執着は時に重荷になることもある。

しかし、私たちの人生は物語であり、

その物語を紡ぐためには、時に「愛着のあるガラクタ」

と呼ばれるものが必要なのだ。
それらは私たちの歩みを記録し、喜びや悲しみ、成長の証となる。
 
大切なのは、物と自分との関係を見つめ直すこと。
 
すべてを捨てる必要はない。
 
ただ、本当に大切なものを選び抜き、
 
それらと共に生きる勇気を持つことだ。
 
そうすることで、私たちの人生はより豊かになり、
 
深みを増すのではないだろうか。

ワオ!と言っているユーザー

忘れかけていた思い出の重要性を再認識

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忘れかけていた思い出の重要性を...
物への執着は時に重荷になることもある。
 
ミニマリストの「持たない暮らし」には確かに魅力がある。
 
しかし、私たちの人生は物語であり、
 
その物語を紡ぐためには、時に「ガラクタ」と呼ばれるものが
 
必要なのだ。
 
それらは私たちの歩みを記録し、
 
喜びや悲しみ、成長の証となる。

ワオ!と言っているユーザー

物は単なる無機質な存在ではない。それは私たちの人生の一部であり、記憶の宝箱だ。

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物は単なる無機質な存在ではない...
物は単なる無機質な存在ではない。
 
それは私たちの人生の一部であり、記憶の宝箱。
 
本棚の横に置かれた人形は、
 
子どもたちの笑い声が響いていた
 
幸せな日々を静かに語り続ける。
 
妻の「処分したら?」という言葉に、一瞬戸惑いを覚える。
 
しかし、その言葉によって、
 
忘れかけていた思い出の重要性を再認識させられる。
 
(つづく)

ワオ!と言っているユーザー

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