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昨日も書きましたが、朝鮮動乱に伴う外貨の獲得は日本に好景気をもたらすきっかけとなり、昭和29年からは神武景気と呼ばれる好況な状況が作り出され、貨物・旅客ともに需要は増えていく状態でした。 そんな中で、国鉄では積極的に輸送力の増強に努めるとともに、ディゼルカーによる地方ローカル線の輸送改善なども本格...
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今回は、オリジナル記事として神武景気と鍋底不況と国鉄と言うことで書かせていただきます。 日本史で聞かれたことはあるかと思いますが、神武景気は昭和29(1954)年 12月から 昭和32(1957)年6月まで 31ヵ月間続いた好景気の俗称ですが、国鉄も、好景気を受けて第1次5か年計画がスタートするのは...
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「もはや戦後ではない」が合言葉となった昭和30年代、昭和33年に初めて特急電車「こだま号」により6時間半で東京~大阪間を走破するようになりました。 昭和30年代という時代を総括しますと、なべ底不況と言われた景気調整局面は有ったものに、昭和29年から昭和36年12月まで右肩上がりの経済成長を遂げた時代...
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昨日は、地方納付金の話にお話がずれたのですが、その辺のお話はまた改めてお話をさせていただくことになるかと思います。 再び第一次5か年計画のお話に話題を戻したいと思います。 第一次5か年計画は、老朽資産の取替という目的だけは100%達成し、動力近代化(蒸気機関車を1975年までに全廃し、電気もしく...
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元々国鉄は非課税組織であった。 国鉄は、元々は国の機関である運輸省から派生したもので、その公共性から、国鉄法第六条では左記のように非課税が明記されていました。 第六条 日本国有鉄道には、所得税及び法人税を課さない。 2 都道府県、市町村その他これらに準ずるものは、日本国有鉄道に対しては、地方税を課す...
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今日からは、戦後の老朽資産取替と電化・複線化等による輸送力増強のお話を中心に進めて行きたいと思います。 昭和30年代とはどんな時代だったのか? さて、ここで技術的な話から少し外れて、昭和30年代のお話をしてみたいと思います。 昭和25年の朝鮮戦争を契機として、日本は本格的に復興の道を歩み始め、昭和...
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〇交流電化のメリット 交流電化のメリットは、地上設備(変電所)の削減、直流では数キロ置きに設置される変電所が数十キロと長くなるほか、高い電圧を流せるので電流量が減少するため饋電線を細くすることが可能となり、その結果電柱などの構造物も軽くなると言うメリットがあると言われました。 〇デメリット 実際には...
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北陸本線は、昭和32年10月1日、田村駅~近江塩津駅~敦賀駅間が交流電化されましたが、米原~田村間は、その区間を非電化として蒸気機関車(E10)で連絡したことは前述しましたが、昭和昭和38(1963)年12月28日、米原駅~田村駅間が直流電化され、田村駅の米原寄りにデッドセクションが設置されることと...
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このとき導入されたのが、交流整流子式電動機を採用した直接式機関車ED44(ED90)形と水銀整流器を用いたED45(ED91)形であり、当時はその性能が未知数であったこともあり、両方式が比較検討されることになりました。 当時の資料などを参照しますと、技術陣は当初は直接式を本命としていたようです、ただ...
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終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。 海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決して...