-
世界的観光地日光 現在でこそ、JR東との相互乗り入れが行われていますが、かつて国鉄時代は国鉄と東武双方が競争していました。 昭和31年、東武が1700系特急車と呼ばれるロマンスカーを導入、国鉄も負けじと同年10月10日から、準急用気動車として開発したキハ55を投入します。 160PSのエンジンを2基...
-
東海道新幹線は、十河総裁と島技師長が推進する形でスタートを切ることになりましたが。 車両限界等の建設基準等は、昭和36年4月から国鉄部内に設けられた、新幹線建設基準調査委員会で検討されました。 昭和36年8月には最終決定がなされ、その記事が「交通技術昭和36年10月号」にアップされていましたので、当...
-
今回から、何回かに分けて新幹線開業までのお話をさせていただこうと思います。 新幹線に関しては、戦前の弾丸列車計画まで遡ることができます。 実際に、丹那トンネルなど一部の区間は建設に着手していましたし、日本坂トンネルのように戦前には完成し、一時期は在来東海道線で利用された区間もあったと言われています。...
-
昨日は、151系電車は大人気で、急きょ増備することになったと言うお話をさせていただきましたが、実は昭和33年10月の、「こだま」運転開始前から検討はされていたそうです、そこで問題になったのは、「こだま」は、2・3等車のみの編成でありながら冷暖房完備であるのに対し、「つばめ・はと」は1等展望車並びに食...
-
昨日は、小田急の車両を借り入れて高速試験を行ったと言うお話をさせていただきましたが、実は3000系の設計には国鉄の技術研究所がかなり設計に関しては技術協力をしたそうですが、小田急としてもかなり部内で物議は有ったそうです。 特に、運転台が低くなることが万が一の事故の場合どうするのかとか、見通しが悪くな...
-
本日は、小田急が開発したSE車が、国鉄線を走った頃のお話をしてみたいと思います。 1)国鉄技術研究所の協力で始まったSE車 小田急のSE車は、ご存じのとおり小田急が最初に開発した特急専用電車であり、現在も1編成が海老名車両基地(神奈川県海老名市)の専用保管庫に保存されています。 当初は、鉄道技術研究...
-
引続き、101系のお話を少しだけさせていただく前に、中央線に最初に101系が投入されたのかという経緯を知る必要があるかと思います。 中央線沿線は、戦後の人口増加が大きかったと言われています。 いささか乱暴な話ですが、中央線が通過する八王子市の人口を八王子市の統計で見てみますと、上記のグラフに有るよう...
-
本日から、新性能電車の幕開けとということで何回かに分けてお話をさせていただこうと思います。 しばしお付き合いくださいませ。 1)今までの常識を変えた湘南電車 昭和25年に「運行を開始した湘南電車は、今までの電車の常識を覆すこととなりました。 それまで、電車は振動も多く長距離の移動には向かないのでせい...
-
本日から、高速鉄道の可能性についてと言う話題でお話を進めて行きたいと思います。 戦後の輸送量は飛躍的に増加し、経済成長率は戦前の水準を越えたと思われ、昭和32年当時、輸送申込みの60%しか輸送できなかったと、国鉄線の記事では出てきますが、当時は他の輸送機関が殆ど発達しておらず、(飛行機も60人程度の...
-
昭和31年に、「特急あさかぜ」は旧形客車を連ねた編成で誕生します。 荷物・3等合造車 3等寝台車3両、3等座席車2両、食堂車、2等座席車、2等AB寝台車(個室&開放室)2等C寝台(開放室非冷房)の編成でした。 当初案では、大阪を無視する列車(実際には停車・客扱を行う)として計画され物議をかもしたもの...