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寝台電車誕生の背景 昭和42年10月の改正で、世界初の寝台電車が誕生した。 これは、寝台車が昼間は遊んでしまう状態であった、高速道路も東名・名神以外は高速道路も整備されておらず、陸上輸送の基本は国鉄に委ねられている状況であり、効率的な運用行える夜行列車の存在が検討されていた。 また、国鉄側の問題とし...
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みどりの窓口は、昭和40年10月のダイヤ改正で拠点駅152駅及び、交通公社(JTB)拠点83営業所に設置されたそうですが、全ての駅並びに、交通公社に端末機が配置されたそうでは無いそうです。 交通公社は81営業所に、108駅に端末が設置されたものの、44駅は窓口はあっても従来通り電話で近隣の端末がある...
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現在でも駅で指定券を購入する場合「みどりの窓口」というカウンターがあります。(JR東海は、「きっぷうりば」としており、みどりの窓口自体がJR東日本の登録商標であることが関係していると言われています。 それ以外のJR各社及び、JRから第3セクター鉄道に変更された鉄道等で「みどりの窓口」という名称が使わ...
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本日は、東海道新幹線開業の様子ということで、部内誌、国鉄線という雑誌の記事の中から参照していこうと思います。 開業1ヶ月の通信簿は下記の通りでした。 ただし、東京オリンピックの開催もあったので、この数字が全てでは無いということで、割り引いて考える必要があるとしています。 1)新幹線の予約は低調だった...
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気がつけば2ヶ月も更新しないままになっていました、さて今回も引き続き新幹線開業前後のお話から始めさせていただこうと思います。 少し当時雑誌などから拾った記事と言うことで、新幹線開業前の世論はどのようなものだったのでしょうか。 これによりますと、新幹線開業前に、京都で新幹線を撮影しようとしたのか否かは...
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東海道新幹線は、東海道線の別線として計画され、また国鉄部内でもあくまでも東海道本線の線増部分であるという認識をなされていたようで、新幹線開業前の昭和39年4月までは新幹線局という一部局に過ぎなかったようですが、4月に入って、東海道新幹線支局が誕生しています、その理由について、昭和39年6月の交通技術...
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新幹線1000系は2種類が試作されました。 これは、すれ違い試験の確認を行うためのものであり、最小編成として2+4両で計画されました。 本日は、この2両が製造され前に検討された仕様書について当時の資料を参照しながら説明を加えていこうと思います。 新幹線車両の概要 なお、車両の製作には下記のような条件...
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モデル線の建設 東海道新幹線の建設に際しては、初めてのケースであり十分な安全性や問題点を洗い出すために、一部区間を早期に完成させる必要がありました。 モデル線区とされた区間は、神奈川県綾瀬市~小田原市鴨宮の間であり、昭和35年4月に路盤工事に着手し、鋭意工事が進められたそうで、一部家屋の移転が遅れた...
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長らく、更新が滞ってしまいました。 申し訳ございませんでした。 本日も、新幹線建設に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。 古い資料などを参照していますと、面白い記事を発見することが出来ます。 複数の停車駅候補があった東京 新幹線の始終着駅について、もちろん検討されているのですが、当時の資...
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新幹線の技術開発 昭和35年交通技術に資料を参照しますと、新幹線開発に際して色々な技術開発が行われたようです。 その中で、個人的には知らなかった試験等がありましたので、少し書きだしてみたいと思います。 1)猫耳実験が新幹線開発で行われていた。 猫耳新幹線と言えば、E954形電車(愛称・ASTECH ...