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2か月ほど放置状態になってしまいました、こうして改めて記述をしようと色々と調べていきますと、私の無知を改めて知らされることとなります。まぁ、その都度blog等は修正していくことになりますが。色々と面白いことが見えてきました。国鉄では、新幹線整備計画が昭和46年1月に決定しますが、国鉄の赤字は引き続き継続しており、国鉄再建問題は待ったなしとなってきていました。国鉄としては、抜本的な再建を目指すため、部内的には生産性運動が行われ、外部的には、国鉄再建法案を国会に提出することになり、昭和46年3月12日に提出を試みますが、提出は見送りとなりましたその内容は以下のとおりでした。弊サイト国鉄があった時代...
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全国に新幹線を敷設しようとする膨大な計画全国新幹線鉄道整備法は、日本全国に高速鉄道(新幹線を建設しようという構想で、現在の整備新幹線構想の基礎となっているものです。決定までの流れ当時の政府が掲げていた、「経済社会発展計画」に呼応して国鉄が太平洋岸縦断新幹線(盛岡~博多間〉を提案したのが始まりで、その後以下の時系列に示すように、計画が修正、肥大化して行きました。昭和41年9月 経済社会発展計画(目標年次昭和47年)に対応して、経済審議会社会資本分科会に国鉄は「太平洋縦断新幹線(盛岡~博多間〉」ならびに「首都圏高速鉄道網」の構想を提案し、その計画に織り込まれた昭和42年9月 国鉄は、自民党都市政策...
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前回は、宿泊でお寺に泊まることが出来ると書かせていただきました。改めて、もう少し詳しく書かせていただこうと思います。2年目のキャンペーンと言うことで、かなり新しゅう取組が行われていることが窺えます。丁度、国鉄ではマル生運動も始まった頃であり、若手の国鉄職員を中心に国鉄を変えようという意識があった飲も...
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万博輸送その後の計画されたキャンペーン国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始されましたこのキャンペーンの目的は、経済成長により可処分所得が増えたことや、万国博覧会を経て、個人旅行の機会が増えたこと等から更なる旅行者の誘発を目的...
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首都圏から蒸気機関車引退新鶴見操車場から横浜港を結んでいた、高島貨物線が電化されるのに伴い、それまで使用されていた蒸気機関車が廃止になることに伴い、昭和45年10月10日、11日、18日に東京駅~横浜港間をD51形蒸気機関車が牽引する旅客列車が走りました。東京駅に、蒸気機関車が入線するのは、13年ぶりだそうで、客車6両を牽引してD51791号機が走ったのでした。夏期の当日の記録を残した貴重な写真が上がっておりましたので、リンクを貼らせていただきます。東京でサヨナラ蒸気機関車上記動画:引用 NHKアーカイブスこの運転を最後に首都圏では一足早く蒸気機関車が姿を消すことになりますが、むしろ昭和45(...
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万博輸送後のダイヤ改正大阪府吹田市千里丘丘陵で開催された、日本万国博覧会(Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会として開催されました。期間中の入場者数は、6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)であり、当初目標が3000万人であったので大成功を収めました。国鉄も、輸送力増強で応えた他、茨木駅を万博東口として、バス輸送を行ったほか、新幹線の16両化、12系客車に見られる、波動用客車の増備などが行われました。12系客車の話はまた別の機会に詳しくさせていただき...
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ユニークな臨時列車万国博覧会向けに、ユニークな列車が運転されました、大鉄管内だけで見ますと、「万博号」の運転と言うのがあります。国鉄線という部内雑誌に出ていたのですが、大阪鉄道管理局管内の小・中学校生徒を中心に計画輸送を行なうため、河瀬・姫路間に毎日三往復の臨時モデル電車(快速型)を運転となっています当時の時刻表を参照しますと、愛称は、「万博号」となっています。時刻表を参照してみますと、河瀬始発の快速電車が万博1号として、河瀬7:39に出発、新大阪9:16着という列車が運転されています。同じく、姫路方面からの列車としては、姫路発7:50 茨木9:42着の万博2号が運転されています。これ以外にも...
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日本万国博覧会とは日本万国博覧会、大阪府吹田市の千里丘陵で1970年3月15日から9月13日までの183日間開催された国際博覧会であり、現在はその跡地の多くが万博公園として残されているのは御存じの通りかと思います。輸送計画の概要万博輸送の概要について、当時の部内誌などを参考にしながら述べてみたいと思います。当時の資料を参照しますと、万国博覧会の訪問者は国内日本人 48,980,000人 近畿 27,500,000人 近畿圏以外 21,480,000人 外国人 1,020,000人 うち訪日外国人 740,000人 在日外国人 280,000人...
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ヨンサントウ改正では、波動輸送について特に注意が払われました。それまでの臨時列車は、いわゆる、「盛りスジ」と呼ばれるもので、既に出来上がったダイヤの隙に押し込む形で臨時列車を設定するようになっていました。この方式だと、同じ急行列車であっても、途中駅で後続の定期急行列車に抜かれたり、単線区間では普通列車を交換待ちすると言ったことも起こりえるわけで、列車としての価値は低くなるのでした。そこで、ヨンサントウ改正では、当初から波動輸送が見込まれる線区には当初から定期列車と同じように設定しておくことで、臨時列車の質を高める工夫がなされました。以下は、紀勢本線のダイヤですが、臨時列車が予定臨として、定期列...
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国鉄の部内誌などを参考にして、ヨンサントウ改正の記述を見ていきたいと思います。ヨンサントウの改正で、もう一つの目玉はやはり東北本線でしょう。東海道線と比べると、近代化も遅れ気味でしたが、盛岡~青森間が複線化・電化開業で近代化は一気に進み、昭和42年に月光がたでデビューした583系電車が東北路を走ることとなりました。電車化により、キハ81で運転されていた「はつかり」は、上野~青森間は8時間30分と大幅に短縮されることとなり、現行の「はつかり」と比べると1時間54分の短縮でした。これは、電車化の高速化以上に、複線化による待避等の時間がなくなったことも大きいと思われます。ちなみに、昭和33年に「はつ...