実はカーシェアリングに未来を感じている。 CO2排出量の少ない、「豊かな小国」を築くための絶対条件は、「高効率であること」だ。 行政・民間企業・一般生活に至るまで、徹底して効率化を図り、人口の少ない国が大国と渡りあえるレベルを維持する。 これはかつて、GMやクライスラーを打ち負かした日本車メーカーの手法によく似ている。 一般生活に着目してみよう。 家の中は、モノで溢れている。 その中には、少量のいつも使うモノと、大量のめったに使わないモノがある。 そのめったに使わないものを共有する事に着目したものの一つが、カーシェアリングだ。 モノの本質は、利用価値である。 要するに、必要な時に必要なクオリティのモノを「使う」事が出来れば、「所有する」事にこだわる必要はない。 いや、むしろ「所有する」ために費やすお金や労力を考えたとき、そこにこだわる理由はほとんどないと言える。 例えば、こんな世の中を想像してもらいたい。 カーシェアリング無料! お店は近所に3店以上もあり、いつでも充分な在庫がある。 価格はフェラーリでもロールスロイスでもプリウスでもなんでも無料だ。 このような状況であれば、車を「所有する」人は激減する。 この方法は、何も車だけではない。 クルーザーや、宝石、高級腕時計、ブランドバッグ、洋服etc・・・。 なんだって考えられる。 これにより何が起こるかと言うと、無駄なモノの生産をしなくなるのだ。 使用する資源やエネルギーは大幅に削減される。 しかも、今のコンビニのように便利で、必要なモノがいつでも安価に借りる事が出来るのだ。 そうなると、モノを所有したいなどという気持ちすら失せる。 かなり社会主義的ではあるが、高効率の社会とはそういうものだ。 経済は大幅に縮小するが、生活はむしろ豊かになる。 それが「豊かな小国だ」。 余談ではあるが、先ほどのカーシェアリングの例では、全員が高級車ばかりを借りて、高級車があっという間に足りなくなると考える人もいるだろう。 しかし、無料であるがゆえに、利用価値による価値判断が働くのだ。 近所へ買い物に行くのに最適な車は? 「スーパーの駐車場のスロープは、フェラーリではスポイラーを擦って上がれない。」 「ロールスロイスはぶつけたときに、補償金が高そうだ。」 「そうだ! 燃費のいい小型車で、荷物がたくさん積める車にしよう!」・・・と、こうなるわけだ。 誰でも乗れるのであれば、車で見栄を張る人はいなくなる。 利用価値の低い高級車は、一度乗れば充分なのだ。 ところで、社会の効率を上げると「失業者が増えるだろ!」・・という人もいるだろうが、心配はいらない。 人口は今の1/3まで減少させる。 土地は広い! 空気はうまい! それが「豊かな小国だ」。 そこまで社会の効率を上げるとなると、僕らIT屋は相当頑張らなくてはいけない。 それにしても、カーシェアリングという言葉一つで、こんなに遊べてしまうなんて・・・。