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ボンビーでもしあわせのカタチはあります

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生活の質を維持するための現実的で優しいプランを立てます。(1)

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生活の質を維持するための現実的...
末永く自立して歩き続けたいですね。
 
このプランは、週に数回のゆったりとした水泳と、自宅で短時間に行える簡単な筋力トレーニングを組み合わせて構成されています。
 
高い身体能力を目指すのではなく、生活の質を維持するための現実的で優しいプランを立てます。
 
 

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比べないこと。 欲張らないこと。 今ここにある時間を、そのまま味わうこと。(パート2)

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比べないこと。 欲張らないこと。 今ここにある時間を、そのま...

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比べないこと。 欲張らないこと。 今ここにある時間を、そのまま味わうこと。(パート1)

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比べないこと。 欲張らないこと。 今ここにある時間を、そのま...

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2026年のビジョンボード■雑なつくりだけど、とりあえず仕上げた。

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2026年のビジョンボード■雑...
今年の目標
 
①水泳 2ビートクロール ゆっくり美しく
 1週間に月・火・水・金・(土)4~5日
 
②ドラム 歯切れのよいリズム テクニックの向上
 スタジオ練習 隔週金曜日 月に2回
 
③窓辺の「な~んちゃってカフェ」設営に工夫を
 
④小さな旅 「ボロクソ」スワーゲンとともに
 近くの高原や道の駅
 
⑤ブログの毎日更新
 
⑥歴史の勉強・読書
 
⑦「な~んちゃって自給自足」の健康野菜
 
⑧チンチラ猫のあそび友達に

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戦前、アメリカから人形が日本の子どもたちに贈られたエピソード。日本人の移民が勤勉で他の労働者と摩擦が起きて、問題に。

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戦前、アメリカから人形が日本の... 19世紀末~20世紀初頭、日本... 19世紀末~20世紀初頭、日本人はハワイや米国西海岸へ移住し、砂糖プランテーション・農場・鉄道・漁業・缶詰工場などで長時間労働と低賃金を受け入れつつ頭角を現しました。


白人労働者や労働組合は、日本人を「低気温で仕事を奪う存在」と見なし、「クーリー労働」と蔑称で呼び掛け、アジア人排斥を組織的に了承するようになる。


1905年には労働団体を中心に「日朝排斥同盟(後のアジア排斥同盟)」が結成され、日本人排斥の政治運動を闘いました。
■前回の写真を「シャープ」にし... ■前回の写真を「シャープ」にしてもらいました。うちから出てきた最古のアルバムより。

長年日本で活動したアメリカ人宣教師シドニー・ギューリックは、この冷えた空気を「子どものレベルの交流」で考えようと考え、「児童世界親善委員会」を組織します。


一方日本側では、実業家であり民間外交に熱心だった渋沢栄一らが呼応し、子ども同士の親善によって「太平洋にたなびく暗雲を晴らそう」とする構想を支えました。


アメリカから贈られた「青い目の人形」
ギューリックラは社内の学校にいて、私たちの小さな人形を「友情の使い手」として日本の子どもに贈ろう、と運動を展開しました。
1927年、12,000体以上... 1927年、12,000体以上(約1万2,700体~1万2,739体とされる)のアメリカ製人形が「青い目の人形」として日本に送られ、各人形にはパスポートや手紙、贈り物が添えられました。
 
 
 
日本からの応答「友情人形」・「親善人形」
アメリカからの人形に託された形で、日本側では渋沢栄一らの主導で、高価で精巧な日本形を「親善大使」としてアメリカへ贈る計画が立てられました。​
進歩や市民から募金を集め、職人が一点ずつ衣装や持ち物にこだわった人形を制作し、1927年末から28年にかけて約58体の「友情人形(日本側は『答礼人形』『大使人形』など)」がアメリカ各地へ送られました。​
 
■この情報を得ようと「オハイオ郡図書館」にアクセスしましたが、「申し訳ありませんが、ブロックされています。ohiocountylibrary.orgにアクセスできません」という結果でした。
 

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"裏山のお稲荷さんと日本の信仰のゆくえ"■日本人の心にある「稲荷信仰」を考える。

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"裏山のお稲荷さんと日本の信仰...
今度の2月1日の公民館掃除のとき、「神主さんに相談」を決めます。
 
この村の伝統行事である「裏山のお稲荷さんの掃除」は、現在、実施が困難になり行事が途絶えかねない危機的な状況にあります。
 
例年恒例だった掃除が今年は延期されたまま年を越す見通しとなっており、山道には落ち葉が積もり、鳥居の傷みも激しくなるなど、信仰の場が荒廃の危機にさらされている現状があります。
 
この背景には、日本の地方が抱える深刻な社会問題が存在しています。
 
• 過疎化(人口減少): 村の住人はわずか12人ほどにまで減少しており、伝統を維持するための組織的な力が弱まっています。
 
• 高齢化: 残された村人の高齢化が進んでおり、山道を登るという物理的な作業に対して、年々足取りが重くなるほど身体的な負担が増大しています。
 
このように、人口減少と高齢化が同時に進行していることで、長年守られてきた地域の伝統行事を維持するための「担い手」が決定的に不足していることが、問題の本質であると言えます。

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1万2,739体もの「青い目の人形」が日本の子どもたちに贈られたエピソード■昭和2年(1927)、日米親善を目的

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我が家で一番古いアルバムの裏表... 我が家で一番古いアルバムの裏表紙に、貼り付けられて大きな写真。
(先日の写真を拡大しました)
antique blue eyed doll_100 yea... antique blue eyed doll_100 years ago, it was sent from the United States to promote goodwill between Japan and the United States.
昭和2年(1927)、日米親善を目的として、1万2,739体もの「青い目の人形」が日本の子どもたちに贈られたエピソードがある。
 
 当時32歳で教職に合った祖父の○○○○が所蔵していたものと考えられる。日本各地の小学校でこのような行事が催された。
 
我が家で一番古いアルバムの裏表紙に、貼り付けられて大きな写真。100年前のエピソードは、何を語るのか。
 
その当時の時代背景は、「日本の経済状態は悪化していたので、職業を求めて多くの日本人が渡米したが、日本人移民とアメリカ人の間で、労働をめぐる摩擦が起こった」とある。
 
やがて1941年12月の日米開戦に至る訳だが、戦争の世紀を生き続けた先祖の苦労が想像できる。
 
We live in a time of growing nationalism and militarism. The world is rife with prejudice and discrimination. What can we do to promote peace?
 
One way is to look to the past and learn from individuals who have worked for international understanding. A good example is the U.S.-Japan doll exchange of 1927.
 
The 1920s was a decade of growing tension between Japan and the United States. Japanese and Americans eyed each other with fear and distrust.
 
To counter this, two individuals decided to take action: Sidney Gulick, an American missionary, and Eiichi Shibusawa, a Japanese industrialist. Together, they came up with the idea of an international doll exchange to promote goodwill between Japanese and American children.
 
The project began when Gulick sent out a call to American schools to send dolls of friendship to Japan. Children throughout the United States responded enthusiastically to his appeal. By 1927, Gulick had collected over 12,000 dolls!
 
These were sent to Japan by ship from San Francisco. Each doll was accompanied by a passport, gifts and a letter of friendship.
 
When these "blue-eyed" American dolls arrived, they became a media sensation. A national ceremony was held to welcome them. Then, the dolls were distributed to every city, town and village as a gift of friendship from children in America.
 
In return, Shibusawa launched a national campaign to send Japanese dolls to the United States. Children throughout Japan donated money. Over 50 "ambassador dolls" — including one from each prefecture — were sent: Miss Nagasaki to New York, Miss Toyama to Kentucky, Miss Kochi to Pennsylvania, and so on.
 
The wave of goodwill lasted over a decade. Unfortunately, the forces of nationalism and militarism became stronger.
 
When war broke out in 1941, the American friendship dolls suddenly became "enemy" dolls. Teachers and students were instructed to kick, stab or burn them. Government officials ordered them to be destroyed.
 
World War II ended in 1945 and the "blue-eyed" dolls, it seemed, were lost to history. Amazingly, in the 1970s, several dolls were discovered. During the war, some brave Japanese teachers and students had disobeyed orders and hidden them away. At present, 300 have been found so far throughout Japan.
 
This 1927 doll exchange took place 90 years ago. It was a courageous attempt by two individuals — one American, one Japanese — to fight against the hatred and prejudice of their time. The surviving dolls are treasured as symbols of peace and international understanding. Each has a unique story to tell. How many are there in your prefecture?

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立憲民主の安保政策転換と党内対立(新聞論調)

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立憲民主の安保政策転換と党内対...
立憲民主党と公明党による新党「中道改革連合」が、安全保障関連法を合憲と位置づけ、原発再稼働も認める方針を打ち出したとされています。これは立憲民主党がこれまで掲げてきた「安保法制違憲論」や「原発ゼロ」からの大きな政策転換を意味します。
 
党内の反応の分裂
 
容認派: 小西洋之参院議員が、かつて安保法制を強く批判していたにもかかわらず、中道の方針を「憲法や立憲主義に適合する」として容認
 
■慎重派:
有田芳生衆院議員が「求同存異」(違いを一旦横に置く)の立場を示しつつも、自身の「非同盟・中立外交」「原発ゼロ」の立場は維持すると表明
 
■反対派:
原口一博氏が「違憲であるという根幹部分を譲る気は全くない」として中道への参加を拒否
 
■外部からの批判
山尾志桜里元衆院議員は、有田氏の「国共合作」の例えを引用した投稿に対し、「選挙時だけの連携」であり「選挙後に左派がぞろり出てくる『トロイの木馬』」になりかねないと警鐘を鳴らしています。
 
この政治的再編は、政策の一貫性と選挙協力の実利性という、政党が常に直面するジレンマを浮き彫りにしています。特に安全保障政策のような根本的な争点での方針転換は、党の支持基盤や理念との整合性が問われることになります。

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我が家の古いアルバムにあった■アメリカから贈られた「青い目の人形」のエピソード

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(アルバム1ページを占める大き... (アルバム1ページを占める大きな写真)
日本人移民と「勤勉さ」が生じた摩擦
 
19世紀末~20世紀初頭、日本人はハワイや米国西海岸へ移住し、砂糖プランテーション・農場・鉄道・漁業・缶詰工場などで長時間労働と低賃金を受け入れつつ頭角を現しました。​
 
白人労働者や労働組合は、日本人を「低気温で仕事を奪う存在」と見なし、「クーリー労働」と蔑称で呼び掛け、アジア人排斥を組織的に了承するようになる。​
 
1905年には労働団体を中心に「日朝排斥同盟(後のアジア排斥同盟)」が結成され、日本人排斥の政治運動を闘いました。​
 
1907~08年の「紳士協約」で日本政府が新規労働移民を自制し、1913年のカリフォルニア外国人土地法や1920年代の追加立法で、日本人を含む「市民権取得資格のない外国人」に伝承すべてを守るなど、制度上の差別が強まりました。​
 
最終的に1924年移民法では「日本人移民の全面禁止」が注目され、日本政府と日本世論にとって屈辱的な「排日移民法」として強い対米不信の象徴となりました。

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「今日は何もなかった」 それすら、カードの上では立派な記録になる。

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「今日は何もなかった」 それすら、カードの上では立派な記録に...
カードは小さい。
だから、心の負担も小さい。
 
書けない自分を責めずに、
「今日はここまで」と区切れる。
 
言葉にならない日常を、
無理に言葉にしなくていい——
その逃げ場として、
この小さなカードはとても優しい。

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