心の旅の「愛していたのに」のフレーズに、 恋とは続かないものなのかと、少しだけ大人びた気持ちになったりもしました。 それでも彼女と並んで歩く帰り道、口に出せなかった。 結婚しようよ。 私は卒業しても社会に出て行く勇気はなかった。 当時流行っていた「モラトリアム人間だった」 彼女は静かに去っていった。「経済力のない人」は、しあわせをもたらさない・・・・
冬の下宿。狭い六畳間。 石油ストーブの上にやかんを乗せ、白い湯気を眺めながら聴いた 神田川。 「あなたは もう忘れたかしら」 あの一節を聴くたび、なぜか胸が少し痛んだものです。 まだ何も失っていないはずなのに、失う予感だけは、やけに敏感でした。 共同トイレに、風呂なしの間借り。 キッチンはないので学食と 定食屋のおばちゃんの手料理 彼女はよく弁当を作ってくれていた。
白い上げ下げ窓は、まるで時間の額縁です。そこに映るのは、季節だけでなく、これまでの自分の姿。 失敗も、遠回りも、すべてが今の静かな暮らしにつながっています。 若い日の焦りがあったからこそ、今の落ち着きがある。 窓辺でコーヒーを飲みながら、私は思います。 人生は成功の数ではなく、安らぎを感じる瞬間の深さで決まるのだと。
N.S.P「弥生 つめたい風」を聴きながら、学生時代の自分と今の自分が、静かに向き合っている 桜の季節になると、決まってあのイントロが胸の奥で鳴り出します。 学生だったあの頃、まだ人生の重さも知らずに聴いていたはずの「弥生 つめたい風」が、今では自分の半生をそっとなぞるような歌に変わりました。 舞い散る桜の下で交わしたはずの、照れくさい言葉や、不器用な沈黙、言わずに飲み込んでしまった気持ち── それらが歌の一行一行に重なって、若かった自分の姿を呼び戻してきます。 あの頃は「別れ」という言葉も、どこか遠い出来事のように思っていたのに、今振り返れば、出会いも別れもすべてが自分をつくってきた、かけがえのない時間だったのだと痛感します。
屋根裏部屋は、家の中でいちばん空に近い場所。 窓の向こうには、季節の空が広がり、 雲の流れや光の色が、静かに部屋へ入り込んできます。 ここにいると、世界が少しだけ広く感じられるようです。 考えごとをしたり、夢を思い描いたりするのに、 これほど似合う場所はないのかもしれません。 屋根裏部屋とは、 心を空へ近づけてくれる、小さな部屋なのでしょう。
屋根裏部屋は、まるで秘密の隠れ家のようです。 子どものころ、押し入れや屋根裏に入り込んで、 自分だけの世界を作ったことを思い出します。 大人になっても、人は心のどこかで そんな場所を求めているのかもしれません。 静かに座っていると、 時間が少しだけ昔に戻ったような気がすることでしょう。 屋根裏部屋は、 大人の心の中に残っている「子どもの夢」を、そっと守ってくれる場所です。