日米開戦の目前、文化的摩擦を超えようと青い目の人形が送られてきた。我が家の古いアルバムの裏表紙に貼ってあったもの。
1月
25日
(上記はイメージ画像です)日本からは1927年の交流で、全国の府県・主要都市・植民地などを代表する人形58体が「Japanese Friendship Dolls(Japanese Friendship Ambassador Dolls)」としてアメリカに送られました。
その後の調査で、58体のうち最も多い46体は所在が確認されており、38体ほどが博物館や図書館などの公共機関に所蔵・展示されています。
逆に言えば、十数人は所在不明、あるいは戦災害・自然災害・廃棄などで忘れられています。
代表的な現存人形としては、次のようなものが公的機関所蔵で確認されています。
人形名の例 現在の主な所在地(代表例)
ミス大阪(大阪)など デトロイト美術館(デトロイト美術館、ミシガン州)にミス大阪、ミス広島、ミス秋田など複数の友情人形が所蔵されていると紹介されています。
ミス・ミエ(三重) ネブラスカ州立大学付属モリル・ホール(ネブラスカ州立大学博物館)に所蔵。保存修復のため日本へ里帰りした後、再び同館に蔵収されています。
(※「ミス・兵庫」「ミス・京都」など、個別の対応関係は、ビル・ゴードン氏の一覧や各館の解説ページに詳しくありますが、同名人形の「取り間違い」や名称変更の事例もあり、一見一対一で単純に対応していないケースもあります。)
「ミス・東京府(Miss Tokyo-fu)」の現状
「Miss Tokyo-fu(ミス東京府)」は、当初バージニア州リッチモンドに送られたと記録されています。
具体的には、「リッチモンドの公共図書館に配属される予定だったが、図書館建設中はYWCAが一時保管した」といった経緯が指摘されている。
しかし、現在の所在は各種リストで「不明(不明)」とされており、日本側・米側の研究者の調査でも現状は確認されていません。
アトランタ日本総領事館の紹介ページでも、「ミス東京府はリッチモンド(バージニア州)に送られたが、現在の所在は不明」と確信されており、公的にも「未発見」という扱いである。
昭和初期の日米関係の歴史を物語る貴重な資料。昭和2年(1927年)にアメリカから日本の子どもたちへ贈られた1万2,739体の「青い目の人形」は、日米間の緊張が高まる中で行われた平和親善の証でした。
背景には、大正14年(1925年)の「新移民法」成立による日本人移民の排斥と、それに伴う日米国民感情の悪化がありました。
そのような状況を憂えたギューリック博士らの尽力により、子どもたちを通じた未来への希望として、この人形交流が実現しました。
画像に写っているのは正に「青い目の人形」です。
日本各地の小学校で歓迎された写真です。
当時教職にあった祖父が所蔵。
教育現場でも日米親善の象徴として大切に扱われていたことがうかがえます。
その後、1941年の日米開戦へと至る激動の時代、「戦争の世紀」を生き抜いてきたこれらの人形は、当時の人々の平和への願いと、その後の苦難の歴史を静かに伝える証人と言えるでしょう。
祖父様をはじめとする先人たちの苦労に思いを馳せ、歴史の重みを感じさせる貴重な記録だとおっもいます。
我が家で一番古いアルバムの裏表紙に、貼り付けられて大きな写真。
昭和2年(1927)、日米親善を目的として、1万2,739体もの「青い目の人形」が日本の子どもたちに贈られたエピソードがある。
当時32歳で教職に在った祖父が所蔵していたものと考えられる。日本各地の小学校でこのような行事が催された。
その当時の時代背景は、「日本の経済状態は悪化していたので、職業を求めて多くの日本人が渡米したが、日本人移民とアメリカ人の間で、労働をめぐる摩擦が起こった」とある。
■引用文献
大正14年(1925年)の日本移民を締め出す「新移民法」の成立をめぐり、日米間の国民感情が悪化したのを憂えて、子供同士の「人形交流」を契機として、将来の日米の親善友好を育てたいとの、ギューリック等の念願と努力が実ったものです。【山武市教育委員会】
やがて1941年12月の日米開戦に至る訳だが、戦争の世紀を生き続けた先祖の苦労が想像できる。
Japanese friendship dolls or Japanese ambassador dolls and the American blue-eyed dolls were programs of goodwill between Japan and the United States. American Sidney Gulick, a missionary in Japan, initiated an exchange of dolls between children as a way to ease cultural tensions in 1920s. Japanese Viscount Eiichi Shibusawa responded by initiating a program to send 58 dolls to American museums and libraries. Here is a list of the ones located in our jurisdiction. In addition, Miss Tokyo-fu was sent to Richmond, Virginia but the present location is unknown.










