村上春樹 自慢するわけじゃないけれど、僕は昔かなり貧乏だったことがある。結婚したばかりの頃で、我々は家具も何もない部屋でひっそりと生きていた。 ストーブさえなくて、寒い夜には猫を抱いて暖を取った。 (中略)町を歩いていて喉が渇いても喫茶店になんて入ったこともなかった。 旅行もしなかったし、服も買わなかった。 ただただ働いていた。 でもそれで不幸だと思ったことは一度もなかった。 金があればなあとはもちろん思ったけれど、ないものはないんだからまあしょうがないやと思っていた。
昔の家計簿を見ると、いかに貧乏だったかが、手にとるようにわかる。 私は世田谷の玉電松原のボロ屋に住んでいたが、今でも感謝しているのは旧玉川電車駅にちかい商店の人たちだ。 電器屋さんは私が「出世払い」ということでテレビもおいてくれたし、魚屋さんは「これでお宅の先生に栄養つけさせてよ」とただで魚をわけてくれた。 日中、丹前をきて家の前を徘徊している私を商店の人たちは最初、奇怪に思ったらしいが、まだ芽の出ない小説家だと知ると、そのような形で助けてくれたのだ。 まだ東京の街に人情が残っていた時代である。 家内が保存している家計簿を見ると、その頃の生活の一こま、一こまが甦ってくる。 私の手帳のほうを見るとその頃の原稿のことが思い出されてくる。
文学・芸術家は一括りに貧乏ではありませんでした。 むしろ昭和の銀座を支えたのは、貧乏な天才だけでなく、収入のある文士・記者・編集者・実業家・文化人が同じ空間に集まり、互いに刺激し合う仕組みだった、と見るのが自然です 。
彼らが魅力的なのは、単に金があったからではなく、酒席や喫茶店、バー、料亭を舞台にして、語り・批評・交友・紹介が循環する文化を作ったからです。 銀座は「消費の場」であると同時に、作品や企画や人脈が生まれる「交差点」でもありました 。 なので、銀座の粋人たちは「みんな貧乏なのに無理して飲んでいた」というより、稼ぐ人は稼ぎ、使う人は使い、無理をする人は借金もしながら、その混ざり合いの中で文化を作っていた、というのが実像に近いようです 。 しつこく、「粋人」が好みそうな記事をアップしています。
勝手な想像で粋人好みの生地をアップ。 銀座で夜を明かすような暮らしができた人は、原稿料や印税だけでなく、勤務先の給料、家の資産、パトロン的なつながり、人脈による“ツケ”や融通など、複数の収入源や支えを持っていたことが多いでようす。 とくに昭和前期の文壇や画壇では、完全な「純粋専業」より、会社・新聞社・官公庁・大学などに属している人のほうが生活は安定していましたとか 。
粋人好みの生地ですよね。 文筆家、 新聞記者、 編集者、 画家、 作曲家、 映画人 、実業家 など、昭和の銀座に集った「粋人」憧れますが、そんなに銀座で朝まで飲む収入があったのでしょうか。 文学・芸術家は貧乏じゃなかったのですか。