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「パクリ上等」の政治学 ― ドイツに学ぶ現実主義

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「パクリ上等」の政治学 ― ドイツに学ぶ現実主義...
ドイツで「AfD(ドイツのための選択肢)」という右派政党が勢いづいたときの話だ。
 
既存の与党は焦った。だが、取った戦略が実に潔い。「敵の看板メニューを丸ごと自分の店で出す」――つまり、AfDの政策を大胆に“パクった”のだ。結果、風向きは変わった。
 
これを「居酒屋戦略」と呼びたい。
 
相手の人気料理が評判なら、メニューにそっと加えてみる。味付けを少し変えて、「うちの秘伝です」と出す。客が喜べば、それでいい。政治もまた、究極的には“顧客満足業”である。
 
さて、日本の永田町を見渡せば――
国民民主が「減税」で人気を集め、参政党が「日本人ファースト」で共感を広げている。
自民党さん、このメニュー、ちょっと味見してみませんか?
 
もちろん、プライドの高い老舗ほど“パクリ”を嫌う。
だが、今のまま「高級料亭の伝統味」に固執していては、若い客(=有権者)は離れていく一方だ。
ドイツの与党は、時代の舌に合わせてレシピを変えた。だから生き延びた。
 
さて、日本の政権与党は――
「敵の料理を盗む勇気」より、「店をたたむ覚悟」のほうが先に来てはいないか。

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大気中に放出される「げっぷ」や「おなら」は環境に悪い・・・・

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大気中に放出される「げっぷ」や... 大気中に放出される「げっぷ」や...
あなたのおっしゃる「環境左翼(環境主義者的な人々)」がメガソーラー(大規模太陽光発電所)にはあまり反対しないのに、牛のげっぷについては強く騒ぐ、という主張には、「選択的な注目」や「焦点のずれ」といった構図が含まれているように思います。
 
だってさ。

ワオ!と言っているユーザー

「牛のげっぷ」と環境問題■「ある問題にだけ過剰に注目して、他の問題には無関心・甘い

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メガソーラー、「環境左翼」の皆... メガソーラー、「環境左翼」の皆さんは、騒ぎませんね。「牛のげっぷ」を検索してみてください。
牛などの反すう動物(複数の胃を持つ動物)は、第一胃(ルーメン)などで微生物が飼料を分解発酵する過程で メタン(CH₄) を生成し、それがげっぷやおならとして大気中に放出される。

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「牛のげっぷ」は確かに温室効果ガスの一因だが、地球温暖化の主犯は圧倒的に化石燃料由来のCO₂。

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「牛のげっぷ」は確かに温室効果...

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「環境左翼」の皆さんは、騒ぎませんね。「牛のげっぷ」を検索してみてください。メタンガスが環境に悪いと騒いでいます。

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「環境左翼」の皆さんは、騒ぎま... 「環境左翼」の皆さんは、騒ぎま... 「環境左翼」の皆さんは、騒ぎま...
 牛などの反すう動物によるメタン排出は、全体の約4~6%前後を占めるにすぎません。
一方で、化石燃料燃焼由来のCO₂は7割以上を占めています。
(出典:IPCC第6次報告書、FAO “Livestock’s Long Shadow” など)

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上達はぜんぜんですが楽しんでいます

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上達はぜんぜんですが楽しんでい...
 
 
このところ、野菜の播種、ジャガイモの芽欠き、土寄せ、追肥と追いかけられていました。
 
年々、外仕事がきつくなります。
今日は歯医者で、近々「がん検査」に行きます。
彼は散歩もしているし、次のステップに進めそうだね。
 
明日は月に2回の、友人のエレキギターと音合わせ。
 
彼は少し若いのでチェッカーズや「そんなヒロシに騙されて」とか入ってきます。
 
手足を動かす脳トレなので曲目はなんでもいいです。

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これがイスラム教です。傲慢、自己中心的、自分の妻にさえ愛情の欠片もない。

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男はイスラム教の金曜礼拝へ行くために、水で身を清めようとしたが水道管が壊れていた。
 
彼の妻は、遠くの水汲み場まで水を汲みに行ったが、帰りが少し遅くなった。
 
そのことで、彼は激怒する。「金曜礼拝に行くんだ!どうしてもっと早く水を持ってこなかったんだ?」 彼は彼女を殴った。

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破壊されるキリスト教会 なぜそんなに憎しみ合うのか。■そうかもしれない■「イスラム教徒だから教会を破壊する」という単純な図式は誤りかも。

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過激主義・イデオロギーの動員
 
一部の過激派・原理主義運動は、宗教を「正義の戦い」の旗印に用い、異教徒を「敵」「脅威」とみなす論理を展開します。
 
こうした運動では、象徴性の強い教会を破壊することが、自らの権威を示す行為とされることがあります。
 
このような極端な行動は、宗教全体の教えや多数派信者の立場とは無関係なことが多いです(むしろ多数派・主流派はこうした行動を非難することもしばしばあります)。
 
「なぜそんなに憎しみ合うのか」という問いに対して、次のように整理できます:
 
宗教的憎悪そのものというより、歴史・政治・権力闘争・文化摩擦・過激主義など複合的要因が、宗教間の対立を象徴化させている。
 
多くの場合、教会破壊や迫害は過激勢力や権力者による戦略的行為であり、宗教多数派・普通の信者全体がそのような行動を取るわけではない。
 
宗教教義とその実際の運用は乖離することがあり、宗教を名目にした行動が、むしろ宗教の精神とは逆行することもある。

よって、「イスラム教徒だから教会を破壊する」という単純な図式は誤りであり、個別事例を慎重に分析する必要がある。

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キルケゴール: 「人間は“絶望する存在”である。だが、神に向かって“自分を超える”ことで、本当の自分になれる」

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キルケゴール: 「人間は“絶望する存在”である。だが、神に向... キルケゴール: 「人間は“絶望する存在”である。だが、神に向... キルケゴール: 「人間は“絶望する存在”である。だが、神に向...
キリスト教がもたらした“人間観”
 
中世になると、「人間は神に似せて造られた存在」と考えられました。
 
でも、同時に「罪深く、弱い存在」でもあります。
 
プロテスタントとカトリックでは、人間のあり方の捉え方が違います。
 
カトリック:人間は努力や善行によって神に近づける
プロテスタント:人間は神の恵み(恩寵)によって救われる
 
→ この違いは、**「人は自力で変われるのか」「神に委ねるのか」**という、深い問いにつながります。
 
 
🕊️第6章〜第8章:近代と「自己超越」の問題
 
近代になると、人間は「理性」と「自由」を武器に進歩を信じました。
科学が発達し、「神」よりも「自分の力」を信じるようになります。
 
しかし著者は、ここで警鐘を鳴らします。
 
「人間が自分中心になりすぎた結果、空虚さと孤独が増した」と。
 
そんな中で紹介されるのが、キルケゴールとカール・バルトです。
 
キルケゴール:
 
「人間は“絶望する存在”である。だが、神に向かって“自分を超える”ことで、本当の自分になれる」

→ 「信仰」とは、自分を超えるジャンプ。
カール・バルト:
「人間の努力では神に届かない。だが、神が人に手を差し伸べる」
→ 「人間は神の呼びかけに応答する存在」。

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「人間とは何か?」という問いを、哲学と信仰を通じて考える。

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「人間とは何か?」という問いを... 「人間とは何か?」という問いを... 「人間とは何か?」という問いを...
第1章〜第3章:古代から続く“人間の不思議”
 
古代の人々は、自然や宇宙と人間を切り離して考えませんでした。
「人は宇宙の一部」であり、神話の中では神々や自然と共に生きています。
 
→ しかし、ソクラテスやプラトンが登場すると、
「人間とは何か」「善く生きるとは何か」と、自分自身に目を向ける哲学が始まります。
 
つまり、
 
神や運命に支配される存在から、
自ら考え、選ぶ存在へ。

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