7/9/2016 母は周囲の人達をよく観察する。 これは昔からそうだった。が、最近(といってもここ10年ほどか)は、躊躇うことなくじぃーっと「眺める」。あまりにもあからさまなその様子は、こどもがじーっと見つめるそれに似ている。純粋な視線? そんな母に、わたしはよじゅ尋ねる。 何見かた? うむぐとぅなー? 母は、え?という表情をした後、あんちゅぬよ〜、などと話し始める。一昨日だかには、患者さんのご家族のひとりだろうか、某女性を見てこう言った。 脚ば組んで うなぐぬ はちかしゃん ーふひゃぁ〜 いつの時代の話じゃぁ〜、、、 外界への興味がある母を見るのは嬉しい。だが、そんな母は自分の姿がわからない。 少し前に、最近撮影した母の写真を見せたところ、 これは あんまだろがー あんま=母 つまり、自分の母(或いは祖母か?なぜなら、母の母は若いうちに亡くなっているので)と思ったらしい。笑った! そこで、そうだと思いつき、iPhoneをセルフィーモードにして見せた。わかりやすいように、わたしもその隣に見えるように座った。 これは、わん!? これは、ぃやぁー!? ー大笑い。 自撮りというのは、こっぱずかしくてなかなか出来ない。若い子たちがじゃんじゃん撮っているのを見るだけでも恥ずかしくなる。 だけど、母と一緒にだと恥ずかしくない。恥ずかしくなかった。 わたしの横で笑っている母と一緒に写真におさまる。こんな素敵なことはない。 最初に撮った一枚を見て、姉3は言った。 歯ぁなんか入れてから撮らんばー そうだった。そうだった。せっかくの笑顔の母なのに、入れ歯が入ってなかった。残念。 そこで昨日は入れ歯の入った状態でまたセルフィー。 2度目だからだろうか。母はそんなに驚く様子はなく、笑ってよーというわたしに向かって はっけれー、と言いながらきゅっと口を結んでいた。 結果、大笑いするわたしと、しの隣ではにかむ母との連写3枚となった。 写真を姉3に送ると、「母ちゃん、歯ぁなんか見せらんばー」 そうなんです、それがなかなか難しかったんす。 また挑戦しなくっちゃ、だわ。笑
7/8/2016 一昨日、姉と一緒に母のリハビリ担当PTと会った。 やはり、母をベッドから連れ出すのに苦戦されている様子、も、わたしたちがいたおかげで母を離床させリハビリルームまで行くことが出来た。 担当のPTは理学療法士としてのスキルはあると思う。母の下肢を重点として筋肉をほぐしながら筋力度を測りつつ、筋力アップへの運動を施してくれた。しかし、いかんせん、話術が、、、、コミュニケーションスキルに欠ける。もうちょっと母にわかるような言葉がけが出来たら、、、、と、願う。 だが、同行して見学させていただいたおかげで、久しぶりに母の歩く姿が見れた。介助バーを使って、おそるおそる歩く母。姉は嬉しくてそんな母の様子をパチパチと撮影していた。 リハビリ後、母は驚くくらいにゴクゴクとジュースや高カロリードリンクを飲んだ。喉が渇いたのだろう、かなり頑張って訓練に励んだのでね。 ホールで母とお茶を飲みながら、先の「とっちぶる」の歌の話になった。母の歌声を聴きながら、歌詞を書き留めた。 とっちぶる とっちぶる たっか泣かしゃん しぶりが 泣かさんば たっか泣かしゃん よぉねや わきゃちゃんが くびらしゅっと 泣くぅな 泣ぁくな とっちぶる ネットで検索にかけて引っかかった歌詞と若干違う。それは徳之島の方がお母さんだかおばあちゃんだかが歌っていたのを思い出して書いたものだった。島によって替え歌の歌詞も変わってくるのだろう。 が、ここで姉が母に訊いた。「とっちぶるっち、誰のことかい? 貧乏人のことかい?しぶりはぶぎんしゃちゅうことじゃや」 驚いたことに、この歌はただの替え歌ではなかった。とっちぶるとは、母の言葉を借りると、「ガサガサしち」人から蔑まれるニンギン、しぶりは「つるつるしちきょらきょらしゅん」ニンギン。 姉によると、島には古代からの奴隷制度が根強く残っていたらしい。この歌は、そういった身分の低い人たちが子どもをあやすのに歌われていたのだろう、と。 うわーーーーーー 深い、、、、、、! 思いがけず、とっちぶるの歌にまつわる、とっても興味深い発見であった。
7/6/2016 昨日の母。 3:10頃に到着。母はベッドで横になっていた。 わたしが来たのを気配で感じたのか、声をかける前に目を開けた。 はくー たるよ? なまが、きぃな? 前日、お風呂の後に着させてくれたパジャマは、ズボン丈がやや短く、エアコンの効いた病院内では少し冷えるようだったので、新しいパジャマに着替えよう、と声をかけた。母は、そんなことが可能なのかというようなことを呟き、大丈夫、手伝うから、と勧めた。 ベッドから起こす、ベッドサイドに座ってもらう。 このステップに移るためには、色々な手段というか動機付けというかー工夫が必要だ。どうも、その部分がリハビリチームには出来ていないらしい。 そら、母は難しい人かもしれない。でも、プロでしょう。なんとか手立てを考えて欲しいものだ。。。 話が逸れた。 母のところへ行ってまずするのが、離床。ベッドから起き上がってもらい、車椅子に移乗させる。わたしが面会に行かないと、悲しいかな、これがなされないのだ。 なんだかんだ言って、母はこちらの促しにのってくる。嫌がる時は、何かしらの理由があるのだと思う。少し時間をおいて再度促すと、うまく行ったりもする。それは、その理由を忘れたからかもしれないし、自分の中で消化出来たからかもしれない、或いは、こちらが母の気持ちを尊重することで落ち着くのかもしれない。 新しいパジャマに着替えさせ、わたしがベッド周りを整理してる間、(3:00に届く)高カロリードリンクを飲みながら待ってて貰った。母は、飲め飲め、と言われると、強制される気持ちになるのか、飲まなくなってしまう。だから、さりげなく、勧める。これ、大事。 食堂へと移り、お茶を目の前へ。わたしも持って行ったペットボトルのお茶をいただく。それから、母の好きなプリンを勧めた。 だいばん〜 大きいと驚く母に、じゃぁ半分どうぞ、と促した。 母は、遠慮してか?律儀に半分をわたしに寄こすので、わたしはこのお菓子にする、と言って別に準備しておいたお菓子を食べて見せた。母にも一口あげると、食感が好きではなかったようだ、それ以上は欲しがらなかった。 母はその後にもわたしにプリンを勧めてきた。わたしは、ごめん、もう食べられん、と断った。 ちゅぼしてー 母にそう言って謝ると、母は自分で手を伸ばし、残りのプリンを食べてくれた。ありがさま〜。 それからトイレへ行き、夕食。メニューにかぼちゃの煮たものがあった。母は、 とっちぶる!? と、喜んでいた。厳密にいうと、とっちぶる(=島南瓜)ではなく、普通のかぼちゃだったのだが。 久しぶりに母が積極的に食事に手を伸ばす様子が見れてとても嬉しかった。近くにいた看護師さんが、 ♪とっちぶる とっちぶる と歌い出した。驚いたことに、母がそれに続き一緒に合唱。周囲にいた他の患者さんがたも数名歌い出した。残念なことに、わたしはこの歌を知らず一緒に歌えない。でもメロディは知ってる。ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた♪ってやつだ。 ♪なくぅな なぁくな とっちぶる 驚いた。母がこんな歌を知ってたなんて。 今日は姉2が午後から年休をとり、母のリハビリチームと面談予定。 母の「拒否」を怖がらずに介入していって欲しいこと、わたしが時間を合わせて離床の手伝いが可能であることを伝えたい。とにかく、リハビリ目的の入院なのだと、念を押す予定。
7/5/2016 昨夜、友達が家に来てくれた。島滞在最後の夜に。 友は、東京から遅れて来たという友達を連れて来た。こう見えて人見知りするわたしである。最初にそのことを告げられた時には、ちょい躊躇った。が、いいよいいよ、一緒においでよー。かの「崖から飛び降りる」気持ちでお誘いした。 人との出会いとか繋がりとか、自分はこれまでそういうことに尻込みする傾向にあった。というか、現在進行形だが。 でも、思った。 色々面倒がらずに、顔突っ込むのも良いモンだ、って。 とても良い出会いとなった。そして、素敵な時間だった。 突然決まった宴だったので、たいした料理も出せなかったのが唯一の後悔。 そんなに飲んだつもりもなかったのだが、いやはや今朝はフツカヨイ。 久しぶり〜の、hangover であーる。 だるっ
7/4/2016 昨日は思い切って出かけてみた。 姉2は、日曜日なのに奉仕作業があると早朝から出て行った。わたしは、7:30からミサに授かり、その後、犬たちと散歩。洗濯をしてからシャワー、着替え。 そして、出かけた。 犬たちの食餌が少なくなっていたのも良い理由になった。フードを買うために行くお店は、わりと遠いのだ。なので、以前から行きたかった、某自然公園へ。 この場所は亡くなった兄が最後に手がけたところ。娘や甥っ子姪っ子たちを連れて良く行ったところだ。ずっと行きたかったのだが、ハブがいそうで延期していた。 が、梅雨が明けてもう2週間、そろそろ大丈夫かなぁと、奮起。 「自然観察の森」 正面に、ハブ注意!の看板があり、ビビること数分。長靴を履いて来るべきだったと大後悔のわたしは、ショートパンツに素足+サンダル。ううううう、、、 でも、せっかく来たのだからと森の中へ。懐かしい展望台に到着した時には、目前に拡がる景色にすべての心配が吹っ飛んだ。そして、これまでの色んな思い出が蘇った。若かったわたし、幼かった娘、姪っ子や甥っ子たち。 次は夕陽の時間に来たいな〜。
7/3/2016 昨日、姉3とLINE電話で話した。 最初はメッセージで、も、途中に姉の方から電話をくれた。わたしはすももジャムを作っているところだった。わたしの返事が遅いので心配したのかも? ジャム作っとる。 と言うと、 暇じゃないがな。 と、姉。 暇〜! というメッセージを送ったのを忘れてたよ。 長い休暇を使って実家へ帰って来た。母の介護のため、期間限定の介護の手伝い。 それは重々承知の助である。 が、入院中の母の面会は午後3:00から。1日の中で決まっているスケジュールはそれだけ。毎日暑くて、外へ出るのもキツイ。まして、1人だと、そういう気分にもなかなかならない。姉2は仕事があるので、毎日忙しい。疲れていても、ゆっくりする時間がなくても、決められた時間に家を出て、仕事して、部活のコーチをして、帰って来る。 なぜか、置いてけぼりというか、なんというか。 役立たずのような? 妙な気持ち。 そんなことを姉3に話した。愚痴。だなぁ。 後味悪っ!!! いかんいかん。 愚痴っても気分転換にはならんなぁと、実感。 昨日の母。 リハビリパンツではなく、オムツ着用。なぜだ? 排泄表を見ると、午前中に1回排尿となっている。排便なし。ということは、オムツにする理由なし。はぁ、、、、ちょっと憤りを覚える。 しばらくして、看護助手さん来訪。オムツ交換はいいですか?と訊かれたので、オムツになっている理由を尋ねてみた。が、意味がわからない様子。 脱力。 日中はリハビリパンツを着用するようお願いしてあることを伝えた。入院してもう2週間経つのにね。がっかりしてしまう。 母を車椅子に移動させ、ジュースを飲ませていると、トイレへ行きたいと言うので連れて行った。ついでにリハビリパンツに交換。動きはまぁまぁ。その後、食堂へ行って、買って来たプリンも食べてくれた。嬉しい〜。 既に亡くなった人のことをまだ生きているように話す、ということを、姉3は、「死んだ」という概念が残っているからそういうのだろう、と言っていた。それもそうだな、と思い、昨日は母に亡くなったという事実を伝えた。母は、混乱することもなく、そうなの、と、受け入れていた。というか、思い出したのかも? 姉3は、長いこと母の介護をしていただけあって、よくわかっている。 母に認知障害があるからと言って、何でもかんでも母の話に合わせるのは良くないな、と思った。混乱させないように、と思ってそうしていたのだが、介護者の怠けだったのかも。母の気持ち、心に寄り添うということ。もっとよく感じていきたい。
7/1/2016 友達が島に帰って来ているという連絡があり、2人でランチへと出かけた。 思いがけず遠出。彼女が家まで迎えに来てくれ、島の北部、海岸線沿いをドライブ。おおおおおおお〜!と、声をあげてしまった程の景色。天気も良くて、空と雲、海の青、碧、あお!! お互いの、親の介護状況の話も出て、良い気分転換となった。 ひとりだとなかなか遠出しないから楽しかった! と、友から言われ、あー同じ気持ちだなぁ。。。と、しみじみ。 感謝、感謝である。
6/30/2016 昨日の母。 「フジコおばの ぬっちん いしきゅんかなよ ぐわいの悪さんだろやー ち うむいかた」 「フジコおばっちば わきゃ のの おるん さばくりしゅんちゅ 駐在のむこうぼて」 栄養士さん来訪。先日、看護師を通して依頼していた件は伝わっていなかった様子。も、メイバランスとなんとかポチ(高カロリードリンク)を毎日午後3:00頃、交互に送ってくださるとのこと。 栄養士さん曰く、母はNさんのことを覚えていたらしい。喜んでおられた。やはり、馴染みの顔には反応が良いのだろう。 父ちゃんの名前と霊名は書きたくないと拒否。 「紐っかば腰じ巻き、やーが先行き、右っか曲がるとぅきや 右どーち紐っか引っ張ればいっちゃんばん ち うむりかた」 「ちゅや 滑稽だろや 出ろっちっても でらんもんや」 と言って下腹部をさする母。 トイレへ行きたいのか訊くと、いや今は大丈夫と言う。 「やきゃんじ難儀しみゅんあなんかいち心配しかた」 今朝、排便多量にあったことを伝え、だから大丈夫よと話すと、そうなの、と答える。 排泄で汚染があったことを気にしているのだなぁ、と思う。 母は看護師の言動をしっかりと聞いている。 「心にもないことは いくら丁寧な言葉で言っても わかるのよ」 ごもっとも。 な 母の言葉。 「こんなが一等どー」 と、わたしを指して言う。何がどう一等かと訊くと、 「こんななれば苦しいの」 と、自分のことを言う。 どこが難儀ね?と訊くと、 「トイレちいじ 出そうちしても時間ぬかかてぃ 悪いやーち 気になるの」 純粋な方言に標準語的な言い回しが多く混じった。 母の回路がまだ外界に繋がっている証拠だ。 ・・・ 昨夜、姉3に母の言葉を伝えると、先の「フジコおば」というのは、フジコという名前のおばさんではなく、フジ工場(フジコーバ)であることが判明。 まちぶっているのはわたしの方だった。
6/28/2916 日曜日はファチマ祭だった(らしい)。 我が教会は、ファチマの聖母D教会となっている。 幼い頃、そのお祝いがあったような気がするのだが、良く覚えていない。大人になって、メキシコのマリア祭を知った時、なんとも懐かしい気持ちになったのは、自分の中に残っている記憶なのか、それとも??? 今日、母に字を書いて貰った。 母は、 マリヤ様 イエズスさま ワタシタチヲ マモッテクダサイ と、書いてくれた。 その後、母と 「みもたまも」を歌った。