<横綱・稀勢の里>
1月
26日
昨年、<豪栄道>が初優勝した時に・・新聞の投稿で<稀勢の里>は、横綱を断念して<名大関・・魁皇2世>を。読んだ。
多くのファンがいて今一歩・体系などもがよく似ている・・
悔しいけれど・・良く見てるな‥感心した記憶が蘇った。
<優勝の内容>で一部<クレーム>が付いたようだが<無事名馬~年間最多勝>が、雑音を葬ったようだ・・
<日頃の行い>と言われるが・・大勢の人が見ていたようだ・・
小生が、彼<萩原が関取り>になったころから注目していた。
<茨城県牛久市出身>が、頭に残った・・
小生は、30年代前半の若輩でしたが・・昭和47年<牛久町・宮本町長>に直談判して<第3セクター方式>で、工業団地予定地(90万坪)の買収をきめた。
残念ながら<オイルショック>に巻き込まれ<10数万坪>の買収で断念・・<県公社>に肩代わり・・<奥野工業団地>になった。
亡くなった先代の<鳴門親方>は、二子山部屋に所属・・
二子山親方(初代・若乃花)は、花篭部屋(大ノ海)出身・・どちらの部屋も<阿佐ヶ谷>にあった。
小生の自宅には、若乃花の弟弟子(若椿~大の浦?)の奥さんたちが時々来ていた。
そのような縁で早くから<稀勢の里>の応援団になった。