世界には詩に関わる方がこんなにいるのだ! しかも熱い。 コミュニケーションできなくても 閲覧するだけでも楽しみを共有できることに 喜びを感じてしまう。 ツイッター、芸能人がやるアレだな、なんて思っていたが、 呟きが各々を結びつける繋ぎとなり、癒しアンド胸を躍らせる。 自分だけの詩 から ネット詩誌への投稿 から ツイッター から…… 詩の世界は広く狭い これを活かさなくては、もったいない!
公園の鉄棒は歩き出し 夢に縛られた僕は手も出せず ズルズルと涙を流せば どこまでも繋がってゆく他所の川 おい待てよ 準備体操は念入りにして 一等賞で両手を振ろうとしたのに ブラブラテープは飛んでゆく 乗っ取られた公園は斜めに傾き ブランコはどこで止まればよいのか 困ってしまいクルクル回って 鎖は僕の首に絡まってしまう だんだん気持ちよくなるのは 使い切る快感を教える先生 自由な時間を音符にして さっさと授業を終えて伝書鳩に ご馳走を与えようと砂場が風になる 空からは大きな燃えるゴミ用の袋 パコンっと公園を丸めて 僕の頭の中に捨てて 滑り台がリボンになり デパートの店頭に並んだ 僕を買ってください お安くしますから そう叫けぶことのできた僕は おどおどしながら溶けて雛形に流れ 滑稽な顔が仕上がりました
僕らは生まれ時から 戦う法則のもとに飛ぼうとする 重力を知ることから戦いは始まる 情緒の浮き沈みという繋がりから離れ 個として得体の知れない世界で両手をバタバタさせて 必死に飛ぼうとしなければ 地球の重力に吸い込まれてしまう すでに今の僕は 膝あたりまでアスファルトに埋もれ 僕らは反骨遺伝子に正直であり 吸い込みの流動に抵抗 自分の中にある違和感を払拭し続ける生き物 さあ 叫べ さあ 飛べ 忘れてはいけない 最後まで戦うことを 僕らは重力に勝つために生まれて来た カラダが地球に埋もれ アスファルトから唇だけを出していても 空に向かって笑え 僕らは生まれた時から 戦う法則のもとに飛ぼうとする
地球が回っても 僕らは振り飛ばされることなく 特殊相対性理論に則り ズレズレの時間に踊っている とは言うものの 僕らは踊らされているのかも だって、マーフィーの法則に従い ズッコケて生きてしまうから 可能性のあるところ 数パーセントの確率があれば 轍にだって嵌ってしまうんだから どうしよう ああ、どうしよう なんて思うものなら 嫌な可能性は両手を広げ始める 惨めな結果を見たいように 漏斗に滑り落ちるように 僕の非社会的な隠れた価値観に ああ、反応してしまって 轍は円柱に 抜けれない不安を維持 外にある大きな拒絶の存在を知る まあ、それでもヘナヘナ笑って 違和感を楽しんでしまう やはり僕の脳みそは 特殊存在性理論のへばり付きが ズバ抜けて素晴らしくなっている
世間からしてみれば 小さいことであろうとも 自分にとって喜ばしいことがあれば 朝起きたときの体の重さが違う 昨日の朝はどうしようもなく やる気のない重みを引きずって 最悪だ、なんて呟き 膝をカックンカックンさせ 歩いているようだった それに比べてどうなんだい今朝は 間に合いそうもない電車へ走り 乗ってしまうんだから 一通の手紙で元気をもらえるものだ 人生山あり谷あり なんて言うけど 日々に山あり谷ありだ サイクルは細やにアップダウン こんな私のために ひとが時間を費やす思いやり それをいただく喜びに 今朝は頂上からの景色が頗るよい 感謝を忘れるなよ、自分 お前はひとりじゃないじゃないか 頑張れ自分
それでも あなたの前では わたしらしいのかも 流れるまま こころを揺らし たどり着いたのは 虚しく汚れた天井の下 日々を濁すために カラダを揺らすあなた そこには愛なんてないけれど 寂しさを紛らすかのように わたしのカラダも揺れる あなたはひとつ唸って わたしはひとつため息 想い出したように 紙でひこうきを折るあなた 飛ばずに落ちる空っぽの音 ふたりの刹那な微笑み だれも欲しがらぬような幸 それでも わたしらしいのかも それでも わたしらしいのかも それでも
ん〜、本の出版か。 詩や小説を書いていれば後々は、本の一冊でも手掛けてみたいと思うのだろう。私の場合、そこには全く欲がなく、人様に読んでもらうのならインターネットで充分かな、なんて思ってしまう。 紙媒体はお金がかかってしまうし、本や音楽なども基本的に無料で良いのではないか、と常々思っている。手にとり趣のある作品としての本、それも素晴らしいと思うのですが、なんせひとの手を介し本が作られるために料金は、凄いことになってしまう。出版社では、企画、文章を校正・編集、宣伝、販売で人材と時間を使い、なおかつ印刷会社で印刷・製本をして、本を流通させ本屋に置いてもらう。ん、やはりお金がかかる。 そこで、私の描いている構想がある。以前もこのブログでその内容を投稿したが、作者が製本まで手掛ける、喫茶店をやってみたいと思っている。なんだそれっ、と思うでしょう。本作りしたい方が文章のデータを喫茶店に持ち込んで、パソコンに入力し、いくつか文章規格を作っておき、お好みの構成で藁半紙に製本機能で印刷。それをバインディングして、表紙も自身で作り、一冊の本にする。 インターネットで調らべると、しっかりとした手順で作れば、店頭に並ぶ本と変わらない程度で本が作れることがわかる。藁半紙は時が経つとなかなかいい味を出してくれる。変色という自然に沿った味。低コスト、ノスタルジックでなかなかいいんですよ。とくに読みずらいこともありません。ただ、紙の強度が小さく少し破けやすいですかね。 で、出来上がった本を喫茶店に並べ、来店したお客が手にとる、と。喫茶店の中に製本所を設けて、私がコーヒーを挽いて運び、製本のスタッフとなり依頼者と共に本を仕上げてゆく。そして、製本された本で店内を埋め尽くすという構想(ひとつの作品に対し二冊ほど店内に並べ、その他は依頼者が知り合い等に贈呈等)。まあ、採算は取れないかもしれないが、なんとか店が潰れないようには経営したいと。本は一冊(100Pで)、百円以下に収めたい(印刷機が安ければもう少し…。また、作品のデータで電子本も併用し、そこで収入があれば、無料になるかも…。普通紙の場合は二百円以下かな)。 百冊で一万円、千冊とかは人件的に無理なので、やはり百冊まででしょう。表紙にはひと工夫して魅力のあるものに。喫茶店『全集屋』。いつかは依頼者の全集までも作ってしまおう、という夢への手助けができたら、という願いを込めて『全集屋』、どうでしょうか? 私の最終目的をそこに設定して、邁進していこう。今まで自分に夢なんてなかったけど、やっと進むべき道が見えてきたみたいだ。あとは進むあるのみ。十年後ぐらいを目標に絶対実現で行くべし! おっと、忘れてはいけないのが編集、校正をどうするかだ。作者にすべて依存するか、それとも……。ん〜、ここをクリアーしなくては。編集、校正がしっかりできていないと本の質を落としてしまう。やはり、そこには技術を持ったスタッフが必要だろう。とりあえず、そっちも十年かけ勉強しなくては駄目そうだな…。頑張ろっ!