それが透明の魔物とわかっていても 自ら微笑みながら吸い込んでゆく 何かに縋らなくては 起き上がることも出来やしない 萎えた白を吐き出す その縋りは躊躇なく魔物に消され 再び吸い込むことで委ね続ける 憐れ忘れるほど寒に跪坐く
恋の歌を聴けば せつない詩を書いて ロックを聴けば 挑発的な詩を書いて パンクを聴けば アナーキズムを書いて 演歌を聴けば 操の固い詩を書いて レゲエを聴けば 踊るような詩を書いて ジャズを聴けば アドリブを楽しむ詩を書いて クラッシックを聴けば 情緒的な詩を書いて ヘッドフォンから次々に流れる音楽 ランダムに設定しているから 今はこんな詩しか書けないけど 私は意外と影響されやすい人間なんだ これを活かしていこう 人間には五感があり おのおのが変化を受容しながら 無限に膨らんでいく この詩を書く私の生態と環境は 宇宙に等しい世界を齎らしてくれる
光を泳ぐ美しき埃 窓を少し開ければ外へ外へと 僕は地面を這うよう進み 二次元のような時間を費やす 重たい埃は地を這い 前へ進み たまに後ろを振り返り 積もれば地獄 飛べば天国なのか それなら僕は当面 意思を足にして 歩くことから始めよう
捥ぎ取って欲しいほどの痛み 右手はもう使えなくなり 痛み止めをどれだけ飲んだことだろう ひとは何かしらの苦も背負いながら それを乗り切ろうと進んで行くもの わたしの場合 頚椎の靭帯が骨化して神経を圧迫 この原因がわからずに腕の痛みは続いた 何件か病院を受診するが 筋肉痛と言われ 神経ブロックの注射を打つ それでも除痛は姑息的 痛み止めを飲み続ける 痛みには勝てない 精神が強いとか弱いとかの次元ではなく 圧倒的に生死を支配する痛みだった どんな死に方をすれば楽なのか 死からほど遠い楽観主義を貫いてきたはずなのに 現実というのは酷(むご)いもので 正義やら真実の裏返しに包まれ これが私なのか こんなになってしまうのが私なのか それでも生きていかなければならないのか 早く死にたい 早く楽になりたい 生きていることの痛みに限界がきていた とにかく早く原因を突き止めなくては 医者なんて頼っている場合ではない 腕の痛みを様々な角度から調べる ひとの助言も聞いて たどり着いたのが 原因は首にあるのではないか と それは間違いのない判断だった この病気の多くは七十歳を越えた頃に発症するらしく わたしはかなり早い段階で頚椎が詰まったため 医者は筋肉痛くらいにしか診断しなかった 脊椎専門病院へ受診をして やはり手術をして頚椎を拡げることになった 手術は怖くなかった これでこの痛みから逃れられる と 信じて 手術が終わり 脊椎の中には セラミックのインプラントが五つはめられ 脊柱管は拡げられ 圧迫されていた神経は徐圧されるが 一度傷ついた神経は治るわけではない だが 腕の痛みは軽減され これなら生きていけると確信した だが 両腕の痺れ 顔面の痺れ 右足の痺れ 首や腕と肩に軽い痛み そして 異常なほどの肩凝り 手術の後遺症なのか 身体の変調は五年経っても消えない それでも握力は次第に戻り始め これなら仕事もなんとかやっていける この病気の術後における完全復職率は 10パーセント未満だろうとも あの痛みに耐えてきたのだから もう怖いものはない そう思いながらも ひとはそれほど強いわけでもなく なんとか身体がこのまま保つように と 神社で神頼み まだ この痛みと痺れなら共存できる これくらいは生きている証だ 私はここで終わるわけにはいかない そう願をかける
僕は水面下で必死に 筆を突くアヒル 努力なんて言葉は知らない そんな嘘を隠して なるべく綺麗な作品を 歌うために詩を作る ひとりの世界でない もうひとりの詩でない 僕は水面下で必死に 筆を突くアヒル 大きな湖で 君にめぐり逢い 歌う喜びに 筆を突くアヒル 詩ができたよ さらりと書いてみたんだ
日曜日、なぜだろう 身体が動こうとしない 力が抜けては緩んだ気持ちに 寂しさと怖さが入り混じった 夢ばかりを見てしまう 死んだものたちが訪れてくる 友人だの親だの犬や猫 何も言わずに冷たく目の前で 死んでいる辛さに 身体の一部を口にすれば ずっと一緒にいれる、と 馬鹿なことまで考えてしまう まったく身体が動こうとしない 水分ぐらいは摂らなくては そちらの仲間になってしまう まだ早い やり残した詩作もあるのに 死の淵に吸い込まれそうな 気怠い日曜日 苦しい孤独が襲い 窓の向こうはもう暗闇だ
片付け中、ボロボロの写真が。 恵比寿か吉祥寺のライブハウスで歌っていた頃です。 懐かしい。。。 かなりふて腐れていた時代で、尖って折れやすかったなあ。 眼鏡をかけていない仲間は、若くして癌で亡くなり それ以来、仲間という仲間はできませんでした。 最近、詩を通して仲間ができています。 ♪ ♪ 最後に残された自由が死ぬことのように バイクを走らせては中途半端に生き延びて みたいな歌を歌っていました。 今は、詩は元気です、なんて歌っていますが。。。
あるひとに 「詩がめちゃくちゃ楽しい」 そういったら 「あとは実益がついて来ればね」 なんていわれた 詩を書いていて 利益を求める意味は悲しい ひとはひと なんとか賞を受賞したとか 本を出版して売れたとか ひとはひと そこはまったくの励みにならない べつに否定しているわけでもない ひとがそこで喜んでいれば僕も嬉しい ひとはひと 理想はベンチの横に座っているひとが 詩を書いていて ちらっと見えた世界に微笑むような なるべく自然な水彩画のような伝わり方がよい ひとはひと 名誉とか誇りとか正直うんざりだ 詩を書いていることの充実 鳥がさえずるように読まれること意外 充実は考えられない 僕は僕
共感に隠し味の違和感がなければ そのひとに新しい風は吹かないということだ あっ、と思ったところに苦味を感じて 最初はミルクを多めに入れ違和感の緩和 そして、本筋をしっかり味わう楽しみが 私を動かし目的へと促す風に 飛び出す思いの袋はパンパン あとはタイミングがわからない 私はまだか、今なのか、それとも 燻る捻くれ、はにかむセンチメンタルか 両手でしっかりと抱えてくれる そんな安心だけの共感はいらない 不完全たる完全な人間の弱さを知り 一杯への冒険に似た飛び込みを試みる さあ、目を開けたまま踏み込んでみよう 新しい風を吹かせるために 違和感にある真実を覗きながら