永遠の0ホームページから拝借
永遠の0ホームページから拝借その2
海外出張の帰り便で映画を見た。
平日帰りになってしまったので、本当はパソコンとにらめっこしていたかった(しなきゃならない?)んだけど、ついつい映画を…申し訳ございませんm(_ _)m
見た映画は…『永遠の0』
永遠の0か福山雅治の『そして父になる』で悩んだ。
戦争映画は絶対に切なくなる。でも子供の取り違えをテーマにしたヒューマンストーリーも絶対に切ない。
思うに、邦画は最後に絶対に悲しく、切なくなるので好きじゃない。でも邦画を選んでしまうのは、飛行機の中という集中できない環境の中でもストーリーを追えるからだろうか。
で、永遠の0。6才の子供の取り違えストーリーはあまりに自分にマッチしすぎて怖いので、現実感遠い戦争ストーリーである永遠の0を選んだのかな。
ま、確かな理由はなし。
永遠の0、泣かせてもらいました。
クライマックスのみならず、途中途中のセリフ一つ一つに飛行機の中ながら涙が出てきてしまうのである。やっぱり戦争映画は切ない。
でも、どうしても解釈できなかったのは、なぜ宮部久藏が特攻隊を志願したのか。
何が何でも生きたい!死にたくない!という感覚はきっと現代の日本人には非常に共感できる…むしろ、そう考えることが自然だろう。
その思いを、永遠の0の時代ではありえない思いを、貫いてきた宮部久藏がどうして特攻隊に志願したのか?
育ててきた若者を楯として生き延びることに精神が破綻したのか?
破綻していれば、人間が壊れてしまうと思うが、作中では何か達観したような…覚悟を決めたような…悟ったような描写だったと感じた。
どうして特攻に進まなければならなかったのか?
特攻という絶対に否定していた作戦を受け入れるたのか?或いはそこに若者達を送り込んだ自分へのケジメ…のようなおもいだったのか?
そして最後の描写。神業的な操縦技能を発揮し敵空母に…。そして終わり。
最後は切ない。ため息。
非常に難しい。
美化する事ではない。
でも事実としてそういう事が過去にあった事は知らなくてはならない。
伝え続けることは生きている者の使命という下りには共感。
戦争。
普段は考えることもない。現実感がない。
でも、それぞれの世代が自分達なりの解釈をしなければならない…のかな、何て感じた。
でも、最後のシャアかアムロばりの操縦技術で敵艦に迫る…永遠の0には、この描写はいらなかったように感じたな。
なんだか、カッコよくキレイに締めすぎじゃないか。美化?
よっぽど戦線を離れてでも生き延びてくれた方が人間的じゃないのか…格好良すぎないか(ジャニーズだからかぁ…ってアイドルじゃなくて素晴らしい俳優ですねV6)。
そしてこの映画のテーマ性からすると、零戦は大きな役割を締めていたのかな?タイトルは『永遠の0』。
『零戦』なんて印象に残らなかった。ただの乗ってた飛行機。
永遠の0は、零戦讃歌?の映画にしたかったのかな。当時の航空兵の象徴だったのかな。
ガンダムもメカじゃなくて、それぞれの!そのストーリー性に惹かれるんだから、まぁ同じことか。どちらも大人が作っているんだし。
(最近、アニメも実写もノンフィクションもフィクションも、訴えかけたいことがあるって意味では同じじゃないか、と思う)
以上、永遠の0を涙しながら見た感想。
離陸前から着陸までちょうどぴったりの時間でしたなー。
となりの兄ちゃん、短時間でビール二缶にワインのちっちゃいの一本。
飲んでたなースーツ着てたけど着後仕事?なんてチラ見たしつつ見た、永遠の0でした。
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