記事検索

OBON Society Blog

https://jp.bloguru.com/obonsociety
  • ハッシュタグ「#靖国神社」の検索結果36件

フリースペース

日高日報/南方ガ島で戦死から79年 千人針帰る(Japanese Newspaper featured 「Sennin-Bari」 return in Chiba Prefecture )

スレッド
日高日報/南方ガ島で戦死から7... 日高日報/南方ガ島で戦死から7...
太平洋戦争で南方・ガダルカナル島に出征し、1943年(昭和18)1月6日、32歳で戦死した旧白崎村(現由良町)大引出身で陸軍伍長だった中谷正廣さんの「千人針」が見つかり、26日、町役場でめいの福田優子さん(79)=大引=に引き渡された。元米兵の家族が保管し、80年近くの時を経て日本、そして遺族の元に戻った遺品。

関係者は英霊の冥福を祈るとともにあらためて恒久平和を願った。

千人針は1000人の女性が一針ずつ縫って結び目をこしらえた白木綿の布。これを肌につけて戦争に赴けば戦苦を免れて無事に帰還できるという風習があり、太平洋戦争まで日本で盛んに行われていた。

中谷さんは5男5女合わせて10人きょうだいの4番目で三男。「大引 中谷正廣」と書かれた千人針は腹に巻いていたとみられている。元米兵が戦地から持ち帰り、アメリカ・ミネソタ州に住む子どもが保管。アメリカで寄せ書き日の丸(日章旗)をはじめ遺品返還活動に取り組んでいる団体「OBONソサエティ」を通じて返還の希望があり、日本遺族会、県遺族連合会、日高郡遺族連合会に連絡があって遺族を探していた。

引き渡しは県、日高郡両遺族連合会の杉本正博会長から福田さんに行われた。中谷さんのおいの東一美さん(88)=大引=らも同席し、山名実町長、日高郡遺族連合会や由良町遺族会の役員らが立ち会った。

千人針を保管していた家族からの「心からお詫びを申し上げますとともに、ご家族に安らぎが訪れますようお祈り申し上げます」というメッセージや写真も紹介され、杉本会長は「戦争は二度としてもらいたくない。体は戻らずとも遺品を見て昔をしのんでもらえれば」。福田さんは千人針に「実物を見るのは初めて。ここに名前がありますね」と感慨深そうに手を伸ばし、「正廣さんのことは家に出征時の写真が1枚あるだけ。よくとっておいてくださった。お手紙で感謝を伝えたい」と話していた。

※千人針(Sennin-Bari) 1000-stitch belt; soldier's charm with stitches by a thousand women.

https://hidakashimpo.co.jp/?p=83602
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千人針 #和歌山 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #日高日報 #由良町 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

産経新聞/旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される(Japanese Newspaper featured Flag return in Chiba Prefecture )

スレッド
返還された日章旗。左側に持ち主... 返還された日章旗。左側に持ち主である松丸泰介さんの名前が大きく記されている=16日、千葉県市川市(前島沙紀撮影)
旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される
2022/8/16 20:07

千葉県市川市は16日、同市から先の大戦に出征し、令和2年12月に老衰で亡くなった松丸泰介さんの日章旗を長男の裕一さん(71)に返還した。返還式には裕一さんやその家族、田中甲市長らが参加。日章旗は17日と23~31日、同市役所第1庁舎1階で行われる戦没者追悼行事と平和展で展示される。

泰介さんの日章旗は、国による戦没者の遺留品調査で米マサチューセッツ州で見つかり、今年1月に日本に届いたという。同州のビル・ブシーさんが1993年に父の遺品の中から発見し、保管していた。ブシーさんからは、「泰介様が第二次世界大戦から生還され、その後も長生きされたと知り、ほっとし喜んでいる。この先二度と同じことが繰り返されないよう願う」とメッセージが送られた。

裕一さんは日章旗が見つかったことについて、「ただただ驚いた。父が日章旗を携えていたと知らなかった」と話した。泰介さんはガダルカナル島やペリリュー島で米軍と戦ったという。裕一さんは、「99歳になる1週間前に亡くなった父は、戦争以外は本当に幸せな人生だったと思う。優しく運の強い人だった」と感慨深げに話した。

田中市長は、「幸せな国をつくるんだという思いが日章旗に込められていると思う」と指摘した。

裕一さんは「日章旗は大戦の遺物だと思うので、一家庭にとどめておくよりも皆さまの目にとまるところに置いてもらいたい」と、市に日章旗を寄贈する意向で、市歴史博物館で保存される予定だ。

https://www.sankei.com/article/20220816-YT2KJKWCVFKBPKMZ55GBMLD474/photo/GOUBK6FYB5LDNBRC6NJHX2FE24/
#flagreturn #navy #nhk #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #産経新聞 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

NHK/Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family

スレッド
Taisuke's son Yuichi (71) Taisuke's son Yuichi (71)
Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family
2022/8/16 12:45:51


[NHK] The Japanese flag that Japanese soldiers brought to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and on the 16th, 77 years after the end of the war, a house in Ichikawa City, Chiba Prefecture...

The Japanese flag that Japanese soldiers took to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and was returned to his family in Ichikawa City, Chiba Prefecture on the 16th, 77 years after the end of the war.

The flag that was returned was that of Taisuke Matsumaru, who was born in Ichikawa City and died at the age of 98 after fighting in New Guinea as a ship engineer.


This flag was kept by Bill Bussey (75), who lives in Massachusetts and is the son of Oliver Bussey, a former U.S. Marine who died 29 years ago. It was delivered to Ichikawa City Hall through the NPO "OBON Society" (Obon).


On the 16th, Taisuke's son Yuichi (71) and others received the flag from Mayor Kou Tanaka.


The flag is 66 centimeters high and 83 centimeters wide, and although it is torn and the colors are blurred, it contains words of prayer for victory and the names of family members and local people, such as Taisuke's wife.


At the handover ceremony, a message from Mr. Bill was also introduced, saying, "I am very happy to be able to return this flag to my family."

Yuichi said, "I'm really glad that I came back from America with the flag that shows the traces of my father's hardships. I want to donate it to the city so that more people can see it and have an opportunity to think about the importance of peace." was

https://www.tellerreport.com/life/2022-08-16-japanese-flag-taken-by-japanese-soldiers-during-the-pacific-war-returned-to-family.Hkeug75dAq.html?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
#NHK #flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

読売新聞/日章旗返還 紡ぐ友好(Japanese Newspaper introduced OBON Society's activities.)

スレッド
「今も返還を待つ日章旗が多数あ... 「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供
日章旗返還 紡ぐ友好
2022/08/17 05:00

「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供

府出身女性ら米で活動

 「生きた証し 家族に」

 第2次世界大戦中、日本軍の兵士が身につけていた寄せ書き入りの日章旗を遺族に返還する取り組みを、京都ゆかりの女性らが米国で進めている。「戦争で命を落とした人たちが生きた証しを、故郷の家族に届けたい」。戦後77年の夏、時と海を越える活動に思いを新たにしている。(松田聡)

 女性は京都市出身の敬子・ジークさん(54)。米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」の共同代表を務め、現地で集まった日章旗を国内の遺族会などの協力を得て返還につなげている。

 敬子さんは、ビルマ(現ミャンマー)に出征した祖父を戦争で亡くした。「お墓には、戦死通知と一緒に届いた小石が一つ入っているだけなのよ」。子どもの頃から祖父の墓参りに行くたびに、母からそう聞かされていた。

 2007年、カナダ人から突然の連絡を受けた。やがて届いたのは、多くの人の寄せ書きが記された日章旗。「武器も食料もなく、マラリアにやられ、ジャングルで倒れたのか」と 偲しの んでいた祖父のものだった。終戦から半世紀以上たったとは思えない状態で、「祖父の魂が奇跡を起こした」と感じた。

 日章旗について、夫で歴史学者のレックス・ジークさん(68)が調べると、米国には多くが残っていることがわかった。

 「日本にいる遺族に届けることで、平和と友好の心をつなぎたい」。そんな思いで返還活動を始めた。

 魂が帰ってくる盆と同じように、遺族は旗を「お帰り」と迎えてくれるはず。そう願い、NPOの名に「OBON」を入れた。


 活動は当初、手探りだった。声をかけても怪しまれ、遺族捜しに難儀することもあった。それに、日章旗は苦しい戦闘の末に得た戦利品という考えで持ち帰った米国人兵士が多かった。

 講演やインターネットで敬子さんらは、寄せ書きの旗が兵士の無事を願って作られた大切なお守りであることを強調した。

 次第に活動の輪は広がり、国内でも遺族会や厚生労働省の協力が得られるようになった。

 中には訪日し、返還式で遺族と対面する米国人もいた。ともに戦争で対立した父親を持つ者同士。互いを思い合い、涙する姿もあったという。

 敬子さんは「国は違えど、返還を申し出る人は、国や家族のために戦った兵士、その子どもらという同じ立場。日本兵にも尊敬の念を抱き、返された遺族の心の一区切りになるよう願っている」と話す。

 これまでに日章旗のほか、手紙や名札、帽子、軍刀など約500件の遺品を46都道府県で返還した。府内でも、沖縄戦で戦死した宮津市出身の男性の日章旗が、5月に故郷へ戻った。

 遺族が見つからない場合でも、何かの手がかりや平和学習に役立ててほしいと、出身地の公民館や遺族会などに託している。

 今、返還の依頼を受け、遺族を捜している遺品は1800件以上。うち府内出身の兵士のものと絞り込んだのは16件ある。

 「遺品は魂が宿った『遺霊品』。過去、現在、未来をつなぐ縦の糸と、国、言語、文化の違いを乗り越えた横の糸をつなげる役割がある」と敬子さん。「一人でも多くの魂を、家族の元に戻していきたい」と力を込める。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220816-OYTNT50072/?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
#USA #flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #京都 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #読売新聞 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺書 米で発見(The Chunichi News paper published an article about the will of a Japanese soldier.)

スレッド
中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺...
中日新聞がOBONソサエティが現在捜索を進めている岐阜県の旧下石町(現・土岐市下石町)出身の日本陸軍兵士 【髙木直市 命の遺書】について記事を掲載して下さいました。

ーーーーーーーー

「今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」 妻に宛てた日本兵の遺書、米で発見

太平洋戦争の戦地で死亡した日本兵の遺書が米国で見つかり、返還に向けて岐阜県土岐市の遺族連合会が遺族を探している。遺書を戦地から持ち帰った米軍の軍医の孫が、遺品返還に取り組む米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」に託した。孫は「少しでも早く遺族が見つかれば」と返還を心待ちにしているという。

「三人ノ子供ハ絶對(たい)他人ノ手ニテ育テサスナ」「今日カラハ體(からだ)ヲ皇國ニ捧ゲ第二ノ國民タル三児ヲ守レ」

日本兵の遺書は妻宛てで、便箋三枚。子どもの養育や財産の分配などについて書かれ、妻に子どもたちの将来を託した内容となっている。

「俺ガ今日迄何ノ虞(おそれ)モ無ク常ニ安心シテ一途ニ御奉公ノ出来タノモ心秘(ひそ)カニ節子ヲ信ズレバコソダ 今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」と感謝を伝える言葉もあり、「今戦ノ中場デ斃(たお)レルハ誠ニ残念ナルモ俺ハ笑ツテ死ヌ事ガ出来ル」ともつづっている。

続きはこちら→ https://www.chunichi.co.jp/amp/article/526309
#OBONSOCIETY #WW2 #flagreturn #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #北海道 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #岐阜県 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

北海道新聞/日本兵遺留品返還今も~日米有志奔走 年に100件~ (Hokkaido Newspaper introduced OBON Society's activities.)

スレッド
北海道新聞/日本兵遺留品返還今...
8月12日に北海道新聞デジタル版で掲載になった日章旗返還活動に関する記事が今朝(14日)の朝刊(全道版)に縮小され掲載されました。

デジタル版(全文)はこちらからどうぞ→ https://www.hokkaido-np.co.jp/article/717042/?rct=n_war&fbclid=IwAR2eWIugs7OaGdVOhK0fY5xGIeU_8IMZxIVFInQWllVLEnlpeEWnf1nh1kk

もしくはOBONページから→
https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid02pYmbkJ4o1MmckiNDJnHap7YYABW7awWhDpWFawRM36dvFVBBLDPUJG88XziZT9Pal
#OBONSOCIETY #flagreturn #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #北海道 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

OBON捜索班手記/北海道札幌市で戦没者遺霊品を返還(Returning the remains of the war dead in HOKKAIDO)

スレッド
硫黄島で戦没された名須川水藤 ... 硫黄島で戦没された名須川水藤 命が同郷の友人に宛てた葉書 OBON捜索班手記/北海道札幌... 兵士【名須川水藤】命の菩提寺 兵士【名須川水藤】命の菩提寺
【戦没者遺留品返還】
OBON捜索班の工藤です。8月11日に北海道岩見沢市栗沢町美流渡(ミルト)から出征し、硫黄島で散華された海軍兵士「名須川水藤」命の葉書を兵士のお孫さんにあたる「名須川雄比古」様(札幌在住)に返還して参りました。

葉書は兵士名須川水藤命が郷里の友人「中川長作」様へ宛てたものでした。お二人にしか分からない理解できないものですが、きっと戦地にいる自身の無事と友人の無事を願いながら交わした言葉なのだと感じます。

水藤命が命を散らされた昭和20年3月17日は所属する硫黄島警備隊ほか硫黄島の日本軍が玉砕された日とされており、水藤命もこの戦闘に参戦されていたものと思われます。硫黄島の戦いは苛烈を極め、日本軍19900名のうち生還者の1000名を残し皆戦死されました。

そのような過酷な戦場で故郷の家族や友人との手紙のやり取りはどれだけ兵士を勇気づけ、鼓舞した事かを想うと、きっとこの葉書を兵士や宛先の方へと届けて差し上げたいと思わずにはいられませんでした。

ご遺族と葉書の宛先人の捜索は北海道空知郡栗沢村美流渡(現岩見沢市栗沢町)へOBONスタッフが赴き行われました。美流渡地区はかつては炭鉱の町として栄え、町の神社も炭鉱夫の慰霊碑などそれを思わせる昭和が今でも存在する町でした。ここ数年で道外からの移住者も多く当時を知る人はごく少数になっているそうで、捜索は難航を極めました。役場やコミュニティーセンターの方、酒屋の店主にお話を聞き、やっとの思いで中川長作さんのお孫さんにたどり着く事ができました。長作さんは昭和53年に他界されており、残念ながら兵士水藤命について分かる事はありませんでした。そこで町にある「正滝寺」を訪れ、昔からの事を知る方はいないか聞きましたところこのお寺の住職さんが「そう言えばうちの先代(住職)が昭和21年に3人の兵士の葬式を同時に執り行ったことがある」と話してくださり、古い資料を探し出してくださりました。そこには【海薫院釋大安・名須川水藤・行年43】とありました。ご住職いわく「きっと海軍なので海薫ると戒名ををつけたんでしょうね。」とその由来を教えてくださいました。その後も多くの方のご協力を得て水藤命のお孫さんを探す事が出来ました。

水藤命にはお子さんが6名おり、そのうちの3名が近郊にご存命との事。このお盆に親族で集まって葉書をお披露目する予定だったそうなのですが、猛威を奮うコロナ状況を鑑みてお披露目は改めて。という事になるとの事です。その際には皆で葉書を手に取り、水藤命に思いを馳せたく思いますとお孫さんは仰っておられました。

この度の返還、誠におめでとうございます。
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #北海道 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #硫黄島 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交戦国から相次ぐ 広がる「和解の証し」 なぜコロナ禍も一因に?】(Hokkaido Newspaper introduced OBON Society's activities.)

スレッド
北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交... 北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交... 北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交... 北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交... 北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交... 北海道新聞/【遺品の帰郷 旧交...
【遺品の帰郷 旧交戦国から相次ぐ 広がる「和解の証し」 なぜコロナ禍も一因に?】

と題して北海道新聞(東京報道センター/酒井聡平 記者) から戦没兵士の遺霊品返還についての記事が掲載されました。今年1月にOBONソサエティを介して兄の日章旗を受け取られた北海道斜里町のご遺族のインタビューも掲載されております。

後半6項/全項11がOBONソサエティに関する記事です。

戦没兵士の遺霊品返還を行う団体は当会以外にもありますが、OBONソサエティでは遺霊品のオークションなどによる売買は行うべきでは無いとの立場で活動をしております。どのような理由であれ、遺霊品に価格をつけ、結果市場価値を生み出してしまう恐れを危惧しております。また、厚生労働省でも「寄せ書きのある日章旗や千人針は、戦時中、出征する人が、その家族や身近な人々から贈られ大切に身に付けていたものです。御遺族の中には、戦没者の遺品や御遺骨がない方もおられ、日章旗などの遺品が唯一の形見になる場合もあります。こうした遺品がインターネットオークションで売買されていることは、御遺骨や遺品の帰還を待つ戦没者の御遺族にとっては耐え難いことであり、御遺族のこうした気持ちに御配慮いただきますようお願いいたします。」との指針を示しております。
関連資料をコメント欄に置いておきます。

【記事全文】北海道新聞のウェブサイトから (無料登録あり) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/717042/?rct=n_war

またOBONソサエティではYouTubeチャンネルにてたくさんの動画を公開しております。https://www.youtube.com/c/OBONSOCIETY/videos
#OBONSOCIETY #flagreturn #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る(Japanese Newspaper featured Journal return in Hyogo Prefecture )

スレッド
読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る... 読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る...
戦死の祖父 手帳戻る2022/06/08 05:00

姫路の岡崎さん 「沖縄の慰霊碑に報告を

太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した第2野戦築城隊付の陸軍少佐・岡崎梅太郎さん(姫路市出身)の手帳が7日、姫路市に住む孫・公一さん(64)の手元に戻った。戦争終結から77年。この日、姫路護国神社で手帳を受け取った公一さんは、会ったことのない祖父に思いをはせ、「大切に保管し、いつか、沖縄の慰霊碑に『返ってきたで』と報告に行きたい」と語った。(北野浩暉)

戦後77年 米兵が保管

県遺族会姫路支部などによると、梅太郎さんは1904年に生まれ、38年に入隊。45年5月20日、戦火が激しくなった沖縄県の首里で死亡した。

手帳は沖縄戦に参戦した米兵が戦地から持ち帰ったもの。戦後、米オレゴン州で保管していたという。

戦利品として持ち帰られた日章旗や日記などの様々な遺品返還事業を行っている同州のNPO法人「OBONソサエティ」に米兵の息子が提供。今年4月、同支部が調査を行って返還されることになった。

当時、従軍者に配られていた手帳で、表紙には「従軍手 帖ちょう 」の文字。従軍履歴のほか、「軍紀風紀の維持」などの行動規範、計算式といった梅太郎さんがつづったとみられるメモなどが残されている。

公一さんの手元には梅太郎さんの写る当時の写真がある。祖父にあたる梅太郎さんについて、父親らからあまり話を聞いていないものの、公一さんは、これまでに計3回、沖縄の慰霊祭に参加したという。

77年の時を超えて〈帰国〉を果たした手帳を前に「祖父のことや(手帳が)返ってきた経緯についてもっと詳しく知りたい。この次に沖縄へ行く時には手帳を携えて行きたい」と話している。https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20220608-OYTNT50017/?fbclid=IwAR2dfUQ_haqvwRGOnnHTeMtoImots7XYPwFWt4uKYeJ7gaPPDmyzofTisFg
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #兵庫 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #姫路 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #沖縄 #沖縄戦 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

【動画/video】黄前 典夫 命「遺霊品返還式」(Mr. Norio Omae "Yosegaki Hinomaru" Returning Ceremony)

スレッド
【動画/video】黄前 典夫... 【動画/video】黄前 典夫...
【動画/video】→→ https://www.youtube.com/watch?v=H7AOD5yxuz0
提供:与謝野郡役場CATVセンター

〜77年の時を経てお父様が帰郷を果たされました〜

令和4年5月15日

京都府宮津市与謝野郡生涯学習センター知遊館にて黄前典夫命「遺霊品返還式」が行われました。
After 77 years passed, Father finally came home in Kyoto to see his son and daughter.
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #京都府 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #沖縄 #沖縄戦 #英霊 #護国神社 #靖国神社

ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり