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abc WATE.com/Memento of Japanese WWII soldier displayed in UT Museum returned to family

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abc WATE.com/Me... Yushirou Narita Yushirou Narita abc WATE.com/Me...
KNOXVILLE, Tenn. (WATE) — A flag belonging to a Japanese WWII soldier has been returned to his family after 77 years. The effort to return the flag began in 2020 when the McClung Museum joined with UT’s Director of Repatriation Ellen Lofaro to return a yosegaki hinomaru to the family of the soldier who once owned it.

A yosegaki hinomaru is also known as a Japanese good-luck flag. It is a small national flag, often inscribed with short messages wishing victory, safety and good luck. They were given by friends and family to Japanese servicemen in World War II to carry as mementos from home. Following the war, some American soldiers took the flags back to the United States.

The flag was given to the University of Tennessee in 1945 by Capt. Wiley C. Smith of the 6th U.S Army. Smith, who had been stationed in Batangas, Philippines, sent the flag to UT after the university asked alumni to donate war items to create a museum on campus.

In the effort to return it, the museum learned that the flag belonged to Yushiro Narita, who served in the Japanese 19th Battalion. In October 1944, his Battalion left for the Philippines. This is where Narita died of dengue fever on Jan.13, 1945. He was in Batangas Province where Smith was also stationed.

On June 10, Narita’s family accepted the flag in a special return ceremony in Kazuno City, Akita, Japan. Narita’s niece, Masako Sugimoto, and the wife of Narita’s nephew, Katsuyo Narita, accepted the flag on their family’s behalf.

Following the ceremony, they visited Narita’s family graveyard with his flag. Yushiro Narita’s name is written on the gravestone along with other family members. They offered handmade sekihan (festive red rice) to their ancestor’s spirit and reported his flag finally returned to his home place.

“To the Japanese, the ancestors are able to hear. Their spirits are with us here on earth. When they go to the cemetery to light a candle, burn incense, and give beans and rice. This is all part of the communication with ancestors who preceded them,” note Rex and Keiko of Obon Society who assisted in the effort to return the flag.

“It was incredibly moving to hear how important and meaningful the return of the flag was to Mr. Narita’s family,” said Lofaro. “It also highlights how significant the work of repatriation is, to the families and communities involved as well as to the University of Tennessee, Knoxville. We built many new and enduring bonds of friendship and understanding through this project.

The McClung Museum says this return is an important part of the ongoing efforts to address ethical issues in collections by returning objects to its original community, family or owner. The return was made possible through the assistance of Obon Society, the Akita Prefecture War-bereaved Family Association, Ayumi Sugimoto, associate professor of rural studies at Akita International University, and the family of Narita.

“I am glad to see that returning this flag allowed the family of Mr. Narita to get some closure after so many years,” said McClung Museum Executive Director Claudio Gómez. “The return of this flag also shows how museum collections are constituted of powerful and complex cultural and natural items. The McClung Museum will keep working with different communities to address similar situations with the ethical standards of the museum profession.”

Names of East Tennesseans military veterans who gave their lives for our freedoms
The McClung Museum has sent a second yosegaki hinomaru to Obon Society in hopes that it can be returned to a soldier’s family soon. Obon Society works to connect families with personal items taken during WWII. They ask if you know of a yosegaki hinomaru, that you consider returning it by contacting them through their website.

https://www.wate.com/news/local-news/memento-of-japanese-wwii-soldier-displayed-in-ut-museum-returned-to-family/?fbclid=IwAR0mvzbEQS_M8SsMT8PTD1v-GvsA7f4OnFJQs9KS-BQ6Ww4Lrwqq1TO_ZHE
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高知新聞+plus/戦時中の日章旗、高知県土佐清水に〝里帰り〟保管の米国人から遺族に返還(Japanese Newspaper featured flag return in KOCHI

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高知新聞+plus/戦時中の日...
土佐清水市三崎出身で1945(昭和20)年6月、フィリピン・ルソン島で戦死した段崎初見さん(享年22)の日章旗が保管先の米国から〝里帰り〟し25日、市役所で遺族らに返還された。

段崎さんは陸軍兵長で船舶工兵だったという。日章旗には「武運長久」の文字と共に35人ほどが寄せ書きをしている。ハワイ州在住のクローイ・友美・グリアーさんの祖父が戦地から持ち帰り、家族で大切に保管していた。

クローイさんの父親は「持ち主を捜し出してほしい」と話していたが、今年6月に死去。クローイさんの親族が、日本兵の遺留品返還活動に取り組む米国の民間団体に調査を依頼し、連絡を受けた同市三崎地区遺族会などの協力で遺族が判明した。

段崎さんは5人きょうだい。妹の矢野川美雪さん(86)=大阪府八尾市=によると大阪に出て働き、仕送りで家族を支えた。出征時に帰高し「えい子でおれよ。大きなれよ」と頭をなでてくれた。優しい兄で、戦地からのはがきには「ヤシの木陰で遊ぶ子どもを見たら、美雪を思い出す」とつづっていた。

県遺族会が返還式を開き、段崎さんのめいで土佐清水市宗呂丙、井村由利さん(72)ら遺族8人が出席。戦死の知らせを受けた段崎さんの母親が泣き崩れた様子などを語り合い、故人をしのんだ。クローイさんが父親の気持ちをつづった手紙の和訳も朗読された。

井村さんは「今まで保管してくれたことに驚いたし、ありがたい。叔父さんが故郷に帰ってきた気がします」と話していた。

https://www.kochinews.co.jp/article/detail/517409?fbclid=IwAR0ZzkBSIHanZSx3wptfmFUzrxKEzPowCj1Xht9ISdCpIg-GOhWOxl7Deqg
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Hokkaido News Paper/米兵らが持ち帰った日章旗の返還を仲介・工藤公督(くどう・こうすけ)さん /OBON Japan Stuff KOSUKE KUDO was interviewed by News paper

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Hokkaido News P...
太平洋戦争時に米兵ら連合国軍兵士が持ち帰った日章旗を旧日本兵の遺族へ返還する米国の団体「OBONソサエティ」のスタッフを務める。札幌市内で内装業を営むかたわら、遺族を捜し、これまで400枚以上をゆかりの人々の手に戻してきた。

札幌出身。1990年に札幌の高校に進学したが「肌に合わず」、同年末に単身渡米。米在住の父親の友人の世話でアイダホ州の高校に入った。戦争を意識するきっかけはアメリカンフットボールだった。果敢に走る姿を仲間が「カミカゼ」と呼んだ。当時は深く考えなかったが、21歳で帰国した後、太平洋戦争の戦史を読むようになった。

2013年、フェイスブックで旗の返還活動を知り、衝撃を受けた。日本兵は出征前、地域の人から日の丸に寄せ書きをもらい戦場へ持参。連合国軍兵士は、倒れた日本兵から戦利品として旗を奪っていた。「英語と日本語、歴史が分かる自分がやらねば」と天命に従った。

返還は困難を極める。旗の約7~8割は地名も書かれていない。文字を判読し、書かれた名字が多い地域を絞り、当時の公文書から遺族を割り出す。いざ遺族に連絡しても「詐欺じゃないのか」と言われたことも。しかし、徐々に活動も周知され、現在は厚生労働省、日本遺族会と連携している。

米国の元兵士は、多くを語りたがらないという。「当時は白兵戦。相手の息づかいが分かる距離で殺し合う。生きて帰っても同じ人間には戻れない」

11月6日には北見市常呂町で遺族への日章旗返還を予定している。47歳。(斎藤雅史)
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福島民友ニュース/元日本兵の日章旗、終戦から76年... 米国からいわきの親族に返還(Japanese Newspaper featured flag return in Fukushima)

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福島民友ニュース/元日本兵の日...
米国人男性が所有していた日章旗が、太平洋戦争中に戦死したいわき市の元日本兵、青木常雄さんのものと分かった。同市の植田地区遺族会が17日、植田八幡神社で返還式を行った。青木さんのおいに当たる同市の青木聖一さん(64)が日章旗を受け取った。

同遺族会によると、常雄さんは1944(昭和19)年2月にマーシャル諸島のブラウン島で、22歳で戦死したという。日章旗は、米ノースカロライナ州在住の男性が所有していた。男性が遺族への返還を希望し、同国の返還仲介団体を通じて遺族を捜した。同遺族会などの調査を経て、常雄さんの親族である聖一さんにたどり着いた。

返還式では、同遺族会の鳴沢勝彦会長が聖一さんに日章旗を手渡した。聖一さんは「終戦から76年経って(日章旗が)戻ってきたことに驚いている」と話した。鳴沢会長は「日章旗の返還は(同遺族会で)初めての経験。返還できて安心した」と安堵(あんど)した様子だった。

https://www.minyu-net.com/news/news/FM20211021-662806.php
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Press Yamashinn/日章旗返還 76年を経て遺族の元へ 酒田市(Yamashin web site featured flag return in Yamagata)

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Press Yamashinn...
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。

https://www.youtube.com/watch?v=gyYzN8YUJ1E
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荘内日報社/76年ぶり遺品届く 佐藤さん(旧平田町出身)の寄せ書き入り日章旗 戦没者遺留品調査 米国で発見(Japanese Newspaper featured flag return in Yamagata)

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遺族へ返還された寄せ書き入りの... 遺族へ返還された寄せ書き入りの日章旗 左(酒田市 丸山至市長)右(兵士「佐藤好 命」の甥「佐藤厚さん」)
76年ぶり遺品届く 佐藤さん(旧平田町出身)の寄せ書き入り日章旗 戦没者遺留品調査 米国で発見

日本遺族会が実施している「戦没者遺留品の返還に伴う調査」でこのほど、旧平田町出身の故佐藤好(よしみ)さんの遺品である寄せ書き入りの日章旗が米国で発見され22日、酒田市新橋二丁目の市地域福祉センターで戦没者遺品返還式が行われた。

故佐藤好軍曹は、陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945年6月20日、フィリピン・ルソン島のマニラ東約30キロ地点で25歳の若さで戦死した。旧日本兵の遺留品返還に取り組む米国のNPO法人「OBONソサエティ」のドナルド・ストルニアー氏や日本遺族会、同市の平田遺族会、市社会福祉協議会の尽力により、76年ぶりに遺族へ返還された。

この日は、丸山至酒田市長や平田遺族会の東海林正会長、おいの佐藤厚さん(69)=酒田市若宮町二丁目=が出席し、丸山市長から佐藤さんへ日章旗が渡された。佐藤さんは「連絡を受けた時は本当にびっくりした。彼岸なので祖父母の墓前に報告したい」と語り、丸山市長は「遺留品の返還に携わった関係者に感謝。次代を担う世代に戦争の悲惨さを語り継がなければならない」と話した。

http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2021%3A09%3A24%3A10655&fbclid=IwAR0FAhrKJB3gVo_SlHsM8ifPEksmpytHf7hKm-sVZL1kfTOeGPZKPsuE-xI
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山形新聞/フィリピンで戦死、酒田の佐藤好さんの日章旗 76年の時経て遺族に返還(Japanese Newspaper featured flag return in Yamagata)

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おじの佐藤好さんの日章旗を丸山... おじの佐藤好さんの日章旗を丸山至市長から受け取る遺族の佐藤厚さんー酒田市地域福祉センターー
第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。

佐藤さんは陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945(昭和20)年6月20日、ルソン島のマニラ東方約30キロ地点で戦死したとされる。25歳だった。佐藤さんの日章旗は、フィリピン戦線に米兵として赴いたドナルド・ストルニアーさんの義父が戦利品として米国に持ち帰っていた。義父の死後、遺品整理をしていてストルニアーさんが発見した。

米国では近年、先の大戦に参戦した米兵の遺品整理により、戦地から持ち帰った日本兵の日章旗や写真などが見つかるケースが増えている。NPO法人などが遺族に返還する活動をしており、佐藤さんの日章旗も「OBONソサエティ」というNPO法人が仲介し、日本遺族会、同市の平田遺族会、市社会福祉協議会などを通して厚さんの元に返された。
「祝入営 佐藤好君」「祈武運長久」…。市地域福祉センターでの返還式で広げられた日章旗には、力強い書体の激励と、何人もの名前が日の丸の周りに書かれていた。穴が空き色あせてはいるものの、戦地に散ったおじのただ一つの遺品。厚さんは、感慨深そうに見つめ、丸山至市長から丁寧な手つきで受け取った。

佐藤さんは独身のまま戦死し、今や佐藤さんを知る肉親は厚さんだけだ。日章旗返還の情報は平田遺族会に2年前にあったが、酒田市から出征し、戦死したのは陸海軍合わせて3316人。手掛かりは少なく、人づてに厚さんに行き着くまでには半年以上かかった。さらに新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、返還が遅れた。

厚さんの父も海軍兵として出征したが、復員することができた。「おじのことは写真でしか見たことがないが、相撲が強い人だったと父から聞いた。どんな状況で戦死したかは詳しくは分からないままだ」と厚さん。祖父母や父の墓前に報告後、日章旗は多くの人が見られるようにしたいと考えている。
https://www.yamagata-np.jp/news/202109/22/kj_2021092200487.php?fbclid=IwAR27WvjzUaKNqyI7Pbi-WT9qGxR8_TWNFcPTCcCXgRM0W9VdOQ_BZmHhO04
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ch桜北海道 特別番組 元海軍兵士の日章旗返還式(Japanese Internet TV featured flag return in HOKKAIDO)

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ch桜北海道 特別番組 元海軍... ch桜北海道 特別番組 元海軍...
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北海道テレビ・HTB/77年の時を経て かつての戦地から日章旗が戻る(Japanese TV featured flag return in HOKKAIDO

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放送分
こちらの日章旗、太平洋戦争で命を落とした兵士の遺品です。  
今月30日 77年の時を経て北海道の家族のもとに返ってきました。

 岡村義人さん「肌身離さず持ってたんだろうなあ」
 日の丸に寄せ書きされた激励の言葉。
 戦地に向かう海軍兵士に贈られた日章旗です。

8月30日その兵士の故郷・雨竜町で遺族のもとに返還されました。

岡村義人さん「こうして日章旗が返ってきたことは大変嬉しく思います・・・」

日章旗の持ち主だった岡村耕平さんは1944年にニューギニア島中北部で命を落としたといいます。38歳でした。

日章旗は日本兵にとってのお守り代わりでしたが当時のアメリカ人にとって敵軍の旗は一番の戦利品とされ、持ち帰ることは名誉なことでした。

今回、日章旗を返還したのはアメリカ・ロードアイランド州に住むジェームズ・ルイスさん。

ジェームズさんの父、ポールさんはアメリカ陸軍兵としてニューギニアなど南太平洋で従軍していた時、岡村さんの日章旗を手に入れたと見られています。

ジェームズさん「旗はトランクに入っていました。父の制服やナイフ、剣など南太平洋で集めたものが入っていました。」

ポールさんが亡くなった後、遺品の中から日章旗が見つかったそうですがそれまで家族もその存在を全く知らなかったといいます。

ジェームズ・ルイスさん「私はこの旗の意味を、全くわかっていませんでした。父は、戦争時の体験を一度も話したことがなかったからです。それらの記憶は相当苦しいものだったのだと思います。父は旗をしまい込んでいました。」

この旗を兵士の家族に返したい。去年、ジェームズさんは日章旗を遺族に返す活動をしている米国の非営利団体に捜索を依頼。
ことし7月に岡村耕平さんの息子義人さんにたどり着きました。

OBONソサエティ工藤公督さん「この返還活動っていうのは日本のご遺族に対してその心の安らぎであったり何らかのけじめであったり色んな思いを断ち切る、次に進むためのイベントだと思ってたんですけど、米国側にも、戦争で傷ついた心を癒すために何かしら日本と和解をしたいという気持ちが非常に大きいんですね」

ニューギニアからアメリカを渡り77年かけて家族のもとに帰ってきた日章旗。

岡村義人さん「自分としても、ひとつのこれで区切りがつきます。(旗が)返ってきたっていうことは、自分たちにとっては最高の幸せですね。」
https://www.htb.co.jp/news/archives_12974.html
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産経新聞/日章旗、北海道の遺族に返還 親族ら「気持ちに一つの区切り」(Japanese Newspaper featured flag return in HOKKAIDO)

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故郷に届けられた日章旗を見つめ... 故郷に届けられた日章旗を見つめる遺族(左から長男の岡村義人さん、長女の渋谷富子さん、次女の武田美枝子さん)=30日午後、北海道雨竜町の雨竜神社内(坂本隆浩撮影)
日章旗、北海道の遺族に返還 親族ら「気持ちに一つの区切り」

第二次世界大戦中、ニューギニア島北岸の町ホーランジアで戦死した北海道空知管内雨竜町出身の岡村耕平さん=享年38=が持っていた日章旗が30日、民間非営利団体を通じて米国から北海道内の遺族に返還された。

同町内の雨竜神社で返還式が行われ、親族や地元関係者ら約10人が出席した。長男の岡村義人さん(82)=滝川市=は「自分の気持ちの中で一つの区切りがついた」と述べ、返還に携わった関係者に感謝の思いを語った。

日章旗は米国ロードアイランド州在住のジェームス・ルイスさん(73)が所有していたもの。1992年に73歳で死去した父親のポール・ルイスさんの遺品の中にあった2枚の日章旗のうちの1枚で、日米で日章旗返還を通じた平和活動に取り組む「OBONソサエティ」を通じて親族に返還したいと申し出があったという。ポールさんは元米国陸軍第2大隊の歩兵隊に所属し、ニューギニアやフィリピンなどに従軍していたといい、その途中で戦利品として日章旗を持ち帰ったとされる。

同団体で広報などを担当する工藤公督(こうすけ)さん(46)は「ジェームスさんによると、父親から戦争に関する話は聞いたことがなく、日章旗についても見つかるまでは知らなかったという。自らインターネットなどで調べて寄せ書き入りの日章旗の意味を知り、昨年4月に返還したいと当団体に連絡してくれた。もう1枚の日章旗も親族へ返還されている」と話す。
雨竜町内の雨竜神社で行われた返還式には、長男の岡村義人さんをはじめ、長女の渋谷富子さん(86)=滝川市=、次女の武田美枝子さん(84)=岩見沢市=の3きょうだいと孫など6人の親族が集まった。

返還された日章旗には「元気で頼む」「忠勇義烈」「守れ祖国の生命線を」など31人分の寄せ書きとともに「岡村耕平君 雨竜村第9区住民一同」と記されており、父親の遺品を見ながら涙をぬぐう姿もあった。

義人さんは「60歳を過ぎたころに靖国神社へお参りして父に別れを告げてきたが、こうして遺品が戻ってきてくれたことで自分自身の気持ちに一つの区切りがついた」と率直な思いを述べた。義人さんの長男で、耕平さんの孫にあたる英司(ひでし)さん(57)は「日章旗がどうして向こう(米国)に渡ってしまったのか複雑な思いもあるが、祖父の遺品が戻ってきてくれたことはうれしい。私の子供にも伝えたい」と話した。

OBONソサエティによると、日章旗は米兵が戦利品として持ち帰ったケースが多く、米国内には約3万枚があるとされる。同団体はこのうち約2千枚について返還に係る捜索依頼を受けており、400枚以上返還した実績を持つ。工藤さんによると、最近はコロナ禍により米国でもステイホームが長期化。自宅を片づけている中で見つかるケースが増えているという。コロナ禍の影響で遺族捜索が難しいケースもあるが「さまざまな団体・機関の理解と協力をいただきながら、今後も返還活動を進めていきたい」と話している。
https://www.sankei.com/article/20210830-632LMKICV5PX5F3CONZAWNMBYY/?fbclid=IwAR1x1zv7bLDVWDR1YQgFDq_09_0qJp9cZa_ai06VTjyYFIZf1D1uwPaZYDU
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