神戸新聞NEXT/「五郎さんが帰ってきたよ」日章旗78年ぶり故郷へ 三田から22歳で出兵、ソロモン諸島で戦死(Japanese Newspaper featured flag return in Kobe)
12月
7日
黄土色と茶色が混ざり、手で広げると破れてしまうほどもろくなった布。四つ折りのまま水にぬれたのか、「祈武運長久」といった文字は、所々反転して写っている。
日章旗の持ち主だったのは故・杉尾五郎さん。兄2人、姉2人の末っ子として生まれた。2人の兄は軍事産業に携わっていたため、会社勤めだった五郎さんだけが43年3月24日、22歳で出征。翌年、戦地で亡くなった。遺骨は戻ってこなかった。
日章旗は米ニューヨーク州の男性家族から日本遺族会や兵庫県遺族会などを経由して、今春、三田市の遺族会へと託された。市遺族会の女性部長竹内ハルミさん(79)が、同級生や地域のつながりをたどり、甥の典一さん(77)=大阪府豊中市=を見つけ出した。
典一さんは五郎さんの長兄賢一さん(故人)の息子。五郎さんが出征した翌年に生まれたため、会ったことはなく、母親から「五郎さんは(終戦直前に出兵させられ)かわいそうやった」とだけ聞かされていた。無口な父は何も語ろうとしなかったが、精悍(せいかん)な遺影を見て、「父に似てまじめな人だったんだろう」と思っていた。
県遺族会の遺留品調査票によると、所属は陸軍上等兵南海派遣沖第六〇九四部隊。輸送船に乗っていた際、魚雷に襲撃されたと聞いていたが、死亡場所はソロモン諸島ブーゲンビル島とあった。そこは日本軍が占領した地で、43年11月から停戦の45年8月21日まで米軍との激戦地となった。
「どのように散ったのか、今となっては分からない」と典一さん。墓に刻まれた死亡日とこのほど知らされた日も、10日のずれがあった。
肌身離さず持ち歩いていたであろう旗は、オークションなどで巡り巡って、米国の男性宅にあった。男性が亡くなり、家族が遺品整理中に旗を見つけ「本来あるべき場所に返してあげたい」と申し出た。
「(戦争)当時、日章旗を持ち帰ることが米軍にとって手柄の印だった」と市遺族会の竹内さん。戦後、収集家の間で出回ったが、次の世代が持ち主に返したいと望むようになり、返却される事例は少なくないという。
今年7月20日、典一さんの元へ日章旗が届いた。「お盆前に帰ってきてくれた」と早速、三田市内にある墓へあいさつ。11月末、再び旗を持参し、竹内さんと一緒に撮った写真を、米国の男性家族に送るという。破れないよう額に入れて大切に保管し、「五郎さんの生きた証し。家宝にしようと思っている」と墓標を見つめた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/202112/0014893642.shtml
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