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産経新聞/旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される(Japanese Newspaper featured Flag return in Chiba Prefecture )

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返還された日章旗。左側に持ち主... 返還された日章旗。左側に持ち主である松丸泰介さんの名前が大きく記されている=16日、千葉県市川市(前島沙紀撮影)
旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される
2022/8/16 20:07

千葉県市川市は16日、同市から先の大戦に出征し、令和2年12月に老衰で亡くなった松丸泰介さんの日章旗を長男の裕一さん(71)に返還した。返還式には裕一さんやその家族、田中甲市長らが参加。日章旗は17日と23~31日、同市役所第1庁舎1階で行われる戦没者追悼行事と平和展で展示される。

泰介さんの日章旗は、国による戦没者の遺留品調査で米マサチューセッツ州で見つかり、今年1月に日本に届いたという。同州のビル・ブシーさんが1993年に父の遺品の中から発見し、保管していた。ブシーさんからは、「泰介様が第二次世界大戦から生還され、その後も長生きされたと知り、ほっとし喜んでいる。この先二度と同じことが繰り返されないよう願う」とメッセージが送られた。

裕一さんは日章旗が見つかったことについて、「ただただ驚いた。父が日章旗を携えていたと知らなかった」と話した。泰介さんはガダルカナル島やペリリュー島で米軍と戦ったという。裕一さんは、「99歳になる1週間前に亡くなった父は、戦争以外は本当に幸せな人生だったと思う。優しく運の強い人だった」と感慨深げに話した。

田中市長は、「幸せな国をつくるんだという思いが日章旗に込められていると思う」と指摘した。

裕一さんは「日章旗は大戦の遺物だと思うので、一家庭にとどめておくよりも皆さまの目にとまるところに置いてもらいたい」と、市に日章旗を寄贈する意向で、市歴史博物館で保存される予定だ。

https://www.sankei.com/article/20220816-YT2KJKWCVFKBPKMZ55GBMLD474/photo/GOUBK6FYB5LDNBRC6NJHX2FE24/
#flagreturn #navy #nhk #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #産経新聞 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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【NHK動画】太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還(NHK News TV featured Flag return in Chiba Prefecture )

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泰介さんの息子の裕一さん(71... 泰介さんの息子の裕一さん(71)右 【NHK動画】太平洋戦争で日本...
太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還
2022年8月16日 16時21分

太平洋戦争で日本兵が戦地に持って行った日章旗がその後、アメリカで発見され、終戦から77年を経て、16日、千葉県市川市の家族のもとに返還されました。

返還されたのは、市川市出身で、船舶工兵としてニューギニアなどで戦い、おととし、98歳で亡くなった松丸泰介さんの日章旗です。

この旗は、29年前に亡くなったアメリカ軍の元海兵隊員、オリバー・ブッシーさんの息子でマサチューセッツ州に住むビル・ブッシーさん(75)が保管していたもので、遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」(オボン)を通して市川市役所に届けられていました。

16日は泰介さんの息子の裕一さん(71)らが田中甲市長から旗を受け取りました。

旗は縦66センチ、横83センチで、破れたり色がにじんだりしていますが、勝利を祈ることばや泰介さんの妻など家族や地域の人とみられる名前が寄せ書きされています。

返還式では、「この旗を家族のもとへ戻せることを大変うれしく思います」というビルさんからのメッセージも紹介されました。

裕一さんは「父の苦労のあとが伺える旗で、アメリカから戻ってきて本当によかったです。より多くの人の目に触れ平和の大切さを考える機会にしてもらうため市に寄贈したい」と話していました。

“戦うよりも生きるために食糧を探す日常だった”
松丸泰介さんの息子の裕一さんによりますと、泰介さんは大正10年生まれで、宮城県の石巻市から南太平洋のニューギニアなどに向けて出征し、船舶工兵として戦ったと聞いているということです。

泰介さんはおととし98歳で亡くなり、裕一さんは「前向きで地域のためにいろいろやる人でした。戦争については、戦うというよりも生きるために食糧を探すのが日常だったと聞いたことがある。あとは、足をやられたら置いていかれるからダメだと話していた」と振り返っていました。

16日に返還された旗は、破れや色あせ、インクのにじみがあり、かなり傷んだ状態ですが、「松丸泰介君」と大きく書かれた周りには、泰介さんの妻、百合子さんなど50人以上の名前があります。

返還式のあと、裕一さんは「戦争についてほとんど語らなかった父ですが、この旗を見てどんなに悲惨な戦争だったんだろう、語ることができなかったのではないかと思いました。日の丸の赤の中に血がにじむ思いがあると分かってくれて、大事にしまってくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいです」と話していました。
ビルさん “松丸さんも父も戦争を生き抜いた”

今回、返還された旗は、太平洋戦争中、アメリカ軍の海兵隊員としてガダルカナル島やパラオに赴いたオリバー・ブッシーさんが長く保管していたものでした。

オリバーさんの息子、ビルさんによりますと、オリバーさんが1993年8月に亡くなったあと10年以上たって家を売ることになった際、クローゼットから軍服や勲章などの記念品とともに箱の中に入っているのを見つけたということです。

今回、オンラインで取材に応じたビルさんは、旗を見つけたときのことを「ワックス紙で包まれていて、ガーゼのように薄く、すぐに壊れそうでした。何度も広げたら壊れてしまうと思い、一度だけ開きました」と振り返り、「父がこの旗を持っていたことすら私は知らなかったんです。太平洋戦争については決して多くを語らない人でした。ただ、少なくとも捨てなかったということは、敬意を持っていたのではないでしょうか」と話していました。

ビルさんは、友人に相談したり自分で調べたりする中で、日章旗など遺留品の返還に取り組むNPO「OBONソサエティ」のことを知り、団体を通じて旗を返還することになりました。

ビルさんは「松丸さんも父も戦争を生き抜き、それぞれ家庭を築くことができました。本当によかったです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220816/k10013773061000.html?fbclid=IwAR2T2oQPg6G032oJFdJRSJ9HvaCslQgBjZhoDcZdO9dQmt3FzDUQs2ll0pw
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NHK/Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family

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Taisuke's son Yuichi (71) Taisuke's son Yuichi (71)
Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family
2022/8/16 12:45:51


[NHK] The Japanese flag that Japanese soldiers brought to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and on the 16th, 77 years after the end of the war, a house in Ichikawa City, Chiba Prefecture...

The Japanese flag that Japanese soldiers took to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and was returned to his family in Ichikawa City, Chiba Prefecture on the 16th, 77 years after the end of the war.

The flag that was returned was that of Taisuke Matsumaru, who was born in Ichikawa City and died at the age of 98 after fighting in New Guinea as a ship engineer.


This flag was kept by Bill Bussey (75), who lives in Massachusetts and is the son of Oliver Bussey, a former U.S. Marine who died 29 years ago. It was delivered to Ichikawa City Hall through the NPO "OBON Society" (Obon).


On the 16th, Taisuke's son Yuichi (71) and others received the flag from Mayor Kou Tanaka.


The flag is 66 centimeters high and 83 centimeters wide, and although it is torn and the colors are blurred, it contains words of prayer for victory and the names of family members and local people, such as Taisuke's wife.


At the handover ceremony, a message from Mr. Bill was also introduced, saying, "I am very happy to be able to return this flag to my family."

Yuichi said, "I'm really glad that I came back from America with the flag that shows the traces of my father's hardships. I want to donate it to the city so that more people can see it and have an opportunity to think about the importance of peace." was

https://www.tellerreport.com/life/2022-08-16-japanese-flag-taken-by-japanese-soldiers-during-the-pacific-war-returned-to-family.Hkeug75dAq.html?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
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【日刊SPA!】戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ(Nikkan SPA! published an interview with OBON Society co-founder "Keiko & Rex Ziak".)

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OBONソサエティ共同代表 レ... OBONソサエティ共同代表 レックス&敬子・ジーク 寄せ書き日の丸 寄せ書き日の丸 日章旗の返還を希望したマービン... 日章旗の返還を希望したマービンさん 日章旗は兵士遺族へ 日章旗は兵士遺族へ 【日刊SPA!】戦地に散った日...
【P1】

戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ
今日は77回目の終戦記念日。その中で、外国にある日本兵の遺品を、日本の遺族に返還している「OBONソサエティ」(以下、OBON)という非営利団体がある。返還の中心となるのは「寄せ書き日の丸」と呼ばれる、出征する兵士に向けて家族や友人が名前やメッセージを書き込んだ日の丸の旗だ。その活動を通して、これから先の未来の平和を考えたい。代表のジーク敬子&レックス夫妻に話を聞いた。

「寄せ書き日の丸」に込められた意味

――「寄せ書き日の丸」は、当時の人にとってどんなものだったんですか?
ジーク敬子氏(以下、敬子):お守りのような物で、出征する人の心の支えとなってほしいという願いが込められたものです。先の大戦中、兵士が召集された際、家族や友人は「もしかしたらこの人は帰ってこないかもしれない」と考えます。その上で、心を込めたメッセージを日の丸に書いて渡しました。

――旗に「武運長久」の文字が多く見られます。

敬子:戦場での武運が長く続いて欲しいという思いが込められた言葉です。その裏には、実際には書けなかった「なんとか生きて帰ってきてくれ」という強い祈りも感じられます。「寄せ書き日の丸」を懐に携えて戦った兵士さん達は苦しい時も、一人じゃないと思えたでしょう。

――寄せ書きした国旗を渡して送り出すのは日本独特の慣習なのですか?
敬子:そうです。第二次世界大戦からではなく、日中戦争のあたりから存在が確認されています。

なぜ海外で長く保管され返って来るのか

――「生きて帰ってこないかもしれない」という思いもあるんですね。日本人にとっては大事な遺品ですが、なぜ敵国であった海外で何十年も保管されているのですか?
敬子:昔から、戦いで勝利したら敵国の旗を勝利のシンボルとして持ち帰るという風習は世界各地にありました。

そして、先の大戦では日本兵は部隊ごとだけではなく、ひとりひとりがお守りとして「寄せ書き日の丸」を持っていたので、米軍の兵士らは恰好の戦利品として持ち帰ったわけです。勇敢に戦って勝利した証として、終戦後も大事に持っている人が多くいます。

――それを「日本に返そう」という考えに至るにはどんな経緯があるのですか?
敬子:そもそも旗を持って帰る米国兵士達は、旗に書かれている日本語は読めません。
なので、多くの人は日本軍の指令や計画が書かれた軍所有のものだと思われていたようでした。

そこで、OBONを2009年に立ち上げてから、旗には、軍の指令などではなく、家族の願いや祈りが込められている、ということを広める活動をしてきました。
そうして世界へ発信するうちに「まさかそんな大切なものだったなんて!」と驚かれて、返還を申し出てくださる方が増えていきました。

【P2】

自身に起こった奇跡がOBONの始まり

――なぜこの団体を立ち上げようと思ったのですか?

敬子:私自身の体験によるものです。私の祖父は、兵士としてビルマ(現ミャンマー)へ出征し、帰らぬ人となりました。ですが、他の多くのご遺族と同様に、遺骨も遺品も何一つ返ってこなかったんです。戦死通知書と小石がたったひとつのみ送られてきただけだと、母から聞かされていました。

ですが、戦後60年以上がたったある時、祖父の寄せ書き日の丸が見つかりました。旗は戦後、カナダのとある古物収集家の手に渡ったそうで、その方が亡くなる寸前に「この旗を、日本の遺族に返して欲しい」という遺言を残されたようです。

その言葉を受けた息子さんが、日本に来た際に成田空港近くのホテルのコンシェルジュに事情を話して旗を託されたそうです。そこから約8か月後、まさに奇跡が重なって我が家に旗が帰ってきたんです。

――多くの方の思いがつながったのですね。

敬子:「もうおじいちゃんのことは心の中だけに」と思っていた中、祖父の名前やよく知っている近所の人の名前が書かれた旗が帰ってきて、本当にびっくりしました。

母は「おじいちゃんが諦めず、長い年月をかけて帰ってきてくれはった」と泣きながら言うんです。

――敬子さんはその時はまだ、「寄せ書き日の丸」という風習はご存知なかったんですか?

敬子:はい。なので「これは一体、何なのだろう」という思いでした。この旗が返ってきた経緯を考えると、奇跡が起こったとしか言いようがないとその時は思っていました。

その後、レックスと結婚することになって、この話を彼にしたんです。

歴史家である彼はこれに大変驚き、調べてみようということになりました。

すると「寄せ書き日の丸」は我が家の1枚だけでなく、まだまだたくさん海外に眠っているということがわかったんです。それならば、他のご遺族にも私たちが経験した奇跡を届けることができればと思ったのが始まりです。

それぞれの遺品にそれぞれの背景

――2009年に活動を開始して、これまでにどのくらいの遺品を返還されたんですか?

敬子:返還のご依頼を受けた約2200件の中で470件ほどが無事にご遺族のお手元へ戻られました。ですが、80年以上も前に作成された旗を手掛かりに、贈られた兵士さんのご遺族を探し出すのはやはり容易ではありません。

――最も印象に残っている返還はなんですか?

敬子:米国海兵隊として日本兵と戦ったマービンさんのものです。マービンさんは戦地から旗を持ち帰り、長年大切に保管されていました。そしてOBONの広報活動を通して「寄せ書き日の丸」の意味を知られ、ご遺族へ返還したいと希望されました。その後、日本のご遺族捜索の末に、旗の持ち主だった戦没兵士の弟さんと妹さん2人が見つかったんです。

――ご遺族も、まさかお兄様の遺品が70年以上経って返って来るとは思いませんよね。

敬子:ご遺族は、お兄様と別れた日のことも鮮明に覚えていらっしゃいました。サイパンで戦死したという通知のみが届き、どのように亡くなったかもわからず「苦しい最期でなければいいな」とずっと思われていたそうです。

――なるほど、そしてどのように返還なさったのですか?

敬子:マービンさんは「日本へ行って、この手で返したい」と希望されました。

ですが、93歳というご高齢のため体力面などの心配もあり、事前にお会いしてみることにしました。ご自宅を訪ねると、心身ともにお元気でいらっしゃることが分かり、一緒に日本へ行っていただくことにしたんです。

――アメリカの元兵士と会うご遺族の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。

敬子:マービンさんの、返還したいという思いと、はるばる日本に行って直接渡したいという誠意が伝わったようで、大変歓迎されました。弟さんはマービンさんをひと目見ただけで以心伝心したようで、二人は手をとりあって返還式典の会場まで一緒に向かわれるほどでしたね。

マービンさんは、戦地で旗を手にして持ち帰った時の様子をはっきり覚えていらして、ご遺族へ話されました。弟さんは記憶に残っている兄の匂いがするかもと思われたそうで、旗に顔を埋めて涙されていました。長年の心の終止符となったのか、マービンさんと固い握手を交わされていました。

【P3】

寄せ書き日の丸の返還が伝えること

――戦後77年、ご遺族がご高齢となる中で残り時間がないという感覚はありますか?

敬子:確かに、一番優先度の高い「兵士さんを直接知る方が存命のうちに返還する」という観点では、時間は差し迫っています。しかし、私たちが見ている展望はもう一つあります。

私自身、戦争は体験していませんし祖父とも直接会ったことがなく、旗が帰って来るまでは、祖父のことも戦争のことも他人事のように思っていました。しかし、返還をきっかけに戦争のことをしっかりと考えるようになりました。旗が帰って来る前と後では、戦争や平和、それからご先祖さまに対する考えが180度変わりました。

ですから、戦死された兵士さんを直接知る人ではなくとも、お孫さんやひ孫さんに返すことで戦争のことを考えるきっかけになります。さらに、旗が返って来る背景にある、かつては敵国であった国の人が「この旗をご遺族に返したい」と願われたことにも思いが至るわけです。

――私も今回の取材で、初めて海外の方の気持ちを知り、感動しています。

敬子:「寄せ書き日の丸」のメッセージは、「国を越え、時を経てもなお消えない家族を思う気持ち」だと思うんです。これからもさらに活動を広げていきます。

レックス氏からのメッセージ

最後に、敬子氏の夫であり同団体の共同代表であるレックス氏にも思いを語ってもらった。(通訳:敬子氏)

「すべてのアメリカ人は、国に仕える兵士に感謝と敬服の気持ちを持っています。 それだけでなく、ご遺族へ寄せ書き日の丸の返還を希望される方々は、アメリカ兵を思う気持ちと同様に、日本兵に対しても心からの敬意を払われています。

先の大戦が終わって75年以上。日本兵とそのご遺族を想い、寄せ書き日の丸を返還することが未来の平和へつながります」

 家族や友人が心を込めて書いた「寄せ書き日の丸」が、長い年月と国境を超えて返還される背景にある思い。私たちはそれを受け止めながら世界中の人と心で繋がり、未来の平和への誓いを新たにしなくてはいけない。<取材・文/Mr.tsubaking>
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Mainichi Newspaper featured recent successful personal remain "Yosegaki Hinomaru" return in Oita..

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Mainichi Newspaper featured r...
WWII soldier's good-luck flag returned from US to grandson in southwest Japan

OITA -- A Japanese flag thought to have been taken to battle by a soldier who died fighting in Okinawa Prefecture during the Pacific War's last days was returned to his grandson in the southwest Japan city of Oita on Jan. 16.

Upon receiving his grandfather's flag over 70 years after the war, Yoshinori Goto, 45, an Oita Prefectural Government employee, renewed his determination for peace, saying, "We have to pass down the horror of war."

According to Yoshinori, his grandfather Kesaji Goto left his village of Fujiwara -- now part of the town of Hiji -- in Oita Prefecture for the front. Kesaji is known to have belonged to the 12th Independent Infantry Battalion of the 44th Independent Mixed Brigade, but details including exactly when he went off to war are reportedly unknown. He is believed to have died in his 30s on July 1, 1945.

On the good-luck flag are messages to Kesaji including the word "Buunchokyu (long-lasting good luck in battle)." It is thought to have been taken to the U.S. by then Marine James Ellis Mercer, and was kept by his daughter Linda Hahn.

The Obon Society, an American nonprofit organization whose activities include returning Japanese flags, inquired with Oita Prefecture's association of war-bereaved families about the flag. Kesaji's family was then identified.

The flag's handover ceremony was held at Gokoku Shrine in Oita Prefecture on Jan. 16. With the flag in his hands, Goto said, "I'd like to say, 'Welcome back,' to my grandfather," and solemnly added that he felt the weight of history.

(Japanese original by Nao Ishii, Oita Bureau)

https://mainichi.jp/english/articles/20220120/p2a/00m/0na/025000c?fbclid=IwAR0YV5UtY0U7GJzqpsoUi8Nhnw5TVraDqscP6tfwYh6PWedClv-QHbi4q-k
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読売・産経・朝日新聞社/千葉県流山市「赤城神社」に日章旗返還(Japanese Newspapers featured flag return in Chiba

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読売新聞 読売新聞 産経新聞 産経新聞 朝日新聞 朝日新聞
【千葉県】昨年の10月に千葉県流山市赤城神社に返還されました日章旗が同年末に神社氏子衆や参拝者に公開されました。県内3新聞社「読売・産経・朝日新聞社」と市の広報誌が取り上げて下さいました。
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朝日新聞/眠っていた戦勝祈願の日章旗76年ぶりに届くー記載を頼りに米国から(Japanese Newspaper featured flag return in Chiba

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戦後76年の時を経て返還された... 戦後76年の時を経て返還された寄せ書きの日章旗を持つ山崎政治さん=2021年12月27日午前11時20分、流山市 日章旗には当時社掌の佐久間亀蔵... 日章旗には当時社掌の佐久間亀蔵氏の名前が記されている=2021年12月27日午前11時22分、流山市 当時、若者が祈願に訪れた赤城神... 当時、若者が祈願に訪れた赤城神社はいま、数万人の初詣客で賑わう=2021年12月27日午後0時0分、流山市で
【千葉】戦時中に流山市の若者が北マリアナ諸島・サイパン島に出征する際、同市流山の赤城神社で戦勝祈願に贈られたと見られる寄せ書きの日章旗が戦後76年の時を経て今月初め、同市に届いた。受け取った同神社筆頭総代の山崎政治さん(84)は「これで若者もやっと安らかに眠れるだろう」と感無量だ。

 日章旗の返還活動を続けるアメリカの非営利団体OBONソサエティのレックス&敬子・ジーク共同代表から届けられたもので、同封の手紙には「多くの方々のご協力の元に赤城神社に所以(ゆえん)のある日章旗をお届けできる事を日米スタッフ一同大変喜ばしく感謝申し上げる次第です」と記されている。

 旗は縦約75センチ、横約85センチの絹製の布で、真ん中に日の丸が描かれ、右側に毛筆で「郷社赤城神社 社掌佐久間亀蔵」と書かれている。やや黄ばみ、折りたたまれた数カ所には虫に食われたような穴があるが、汚れは少ない。同市や山崎さんによると佐久間亀蔵氏は戦前、旧流山町の第6代町長を務めた後、昭和11年(1936年)から終戦ごろまで、同神社の社掌(宮司)を務めたという。

 旗には他に関係者の寄せ書きなどはなく、所有者がわかるような記載はない。山崎さんは旗について「神社周辺の顔見知りの若者ではなく、比較的離れた地区から1人で神社を訪れ、無事を祈願したのではないか」とし、「社掌の名前を頼りに送っていただき、大変ありがたい」と話す。同神社は現在、宮司が常駐していないため、昨年初めころ、OBONソサエティの日本組織から事前に問い合わせがあり、山崎さん宅に届いたらしい。
 レックス&敬子・ジークさんの手紙によると、神社に返還された旗はフロリダ州在住のノーマ・グレゴリーさんがサイパン島に従軍した元米兵が戦地から持ち帰ったのを譲り受け所有していたが、OBONソサエティの活動を知り、託されたのだという。

 ノーマ・グレゴリーさんからは「長い年月が経過してしまい誠に申し訳なく思いますが、返還が友好と平和への一助となりますよう心からお祈り申し上げます」というメッセージを伝えてほしい、と頼まれたとも記されている。

 OBONソサエティの活動概要によると、同組織は京都生まれで米オレゴン州アストリア在住の敬子・ジークさんが2007年に、祖父の寄せ書きの日章旗を返還されたことをきっかけに、夫のレックスさんと09年に「OBON2015」の名称で活動を開始。15年に首相官邸の安倍晋三首相を訪問し、翌16年に現在の名称に改めた。17年までの間に米退役軍人や家族から託された日章旗は400枚以上(※訂正2000枚以上)にのぼり、うち100枚以上(※訂正400枚以上)が返還されたとしている。山崎さんは近く、OBONソサエティに礼状を送るつもりだ。https://www.asahi.com/articles/ASPDY6RTPPDWUDCB00D.html?fbclid=IwAR1oTpauBqYIeA_ujlRWs3fSO6Gl4-_GPY0K0DEeI9F_ajfqB0bUI4EmNtU
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上越妙高タウン情報誌/遺留品の日章旗 76年ぶりに遺族のもとへ(Japanese town paper featured successful flag return)

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上越妙高タウン情報誌/遺留品の...
妙高市出身で戦争で亡くなった人たちの追悼法要が30日、妙高市で行われました。これにあわせ、沖縄の地上戦で亡くなった男性の遺留品として、日章旗がアメリカから遺族に返還されました。

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追悼法要には妙高市遺族会や社会福祉協議会の役員など約40人が参列しました。妙高市では第二次世界大戦などで1691人が亡くなっています。法要では、社会福祉協議会の三浦了好会長が追悼文を読み上げました。

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三浦会長は「平和で豊かな社会は、戦火に散った多くの尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。我が国では戦争を知らない世代が8割を占める。戦争の記憶の風化が危惧されている。改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に引き継がなければならない」。

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入村市長は「悲しい歴史を繰り返さないよう、我々には次の世代に引き継ぐ使命がある」と述べました。

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この後、昭和20年6月15日、沖縄の地上戦で亡くなった古川學さんの日章旗が遺留品として、遺族の古川行雄さんに返還されました。學さんは矢代地区の出身、当時30歳でした。 日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰りましたが、アメリカの非営利団体、OBON(オボン)ソサエティや日本遺族会などを通じて返還されました。

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縦70センチ、横100センチの旗には、學さんを含む9人の名前と無事を祈る「武運長久」の文字が書かれています。

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日章旗は出征する人に対し、家族などが寄せ書きしますが、遺族会によりますと、學さんの旗にある寄せ書きは地元には無い名字であることから、戦地で戦友が書いた可能性があるということです。遺族に日章旗が返還されるのは妙高市内では初めて、県内でも2例目ではないかということです。

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古川さんは「自宅に(學さんの)石碑があり、お盆にお参りしていたが偉大さを痛感した。国のためにとはいえ命を捨てた。戦争はあってはならない」と話しました。

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妙高市遺族会は、市内にある戦没者の遺品などを探し当て、登録する取り組みを進めています。この日章旗も古川さんの理解を得て、活用させてもらえたらと話しています。

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遺族会の間島英夫会長は「語り部として(市内の中学校に)戦争の話をしている。(日章旗は)生きた教材として、切実に訴えることができる」としています。
https://www.joetsu.ne.jp/148686?fbclid=IwAR1uwTtTfiFotAY6ApPyFqPdHWWHWrfMnB2PbuB5YZ2FazChU67KQZkhmCo

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