上越妙高タウン情報誌/遺留品の日章旗 76年ぶりに遺族のもとへ(Japanese town paper featured successful flag return)
6月
30日
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追悼法要には妙高市遺族会や社会福祉協議会の役員など約40人が参列しました。妙高市では第二次世界大戦などで1691人が亡くなっています。法要では、社会福祉協議会の三浦了好会長が追悼文を読み上げました。
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三浦会長は「平和で豊かな社会は、戦火に散った多くの尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。我が国では戦争を知らない世代が8割を占める。戦争の記憶の風化が危惧されている。改めて戦争の悲惨さと平和の尊さを、後世に引き継がなければならない」。
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入村市長は「悲しい歴史を繰り返さないよう、我々には次の世代に引き継ぐ使命がある」と述べました。
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この後、昭和20年6月15日、沖縄の地上戦で亡くなった古川學さんの日章旗が遺留品として、遺族の古川行雄さんに返還されました。學さんは矢代地区の出身、当時30歳でした。 日章旗はアメリカ兵が戦利品として持ち帰りましたが、アメリカの非営利団体、OBON(オボン)ソサエティや日本遺族会などを通じて返還されました。
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縦70センチ、横100センチの旗には、學さんを含む9人の名前と無事を祈る「武運長久」の文字が書かれています。
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日章旗は出征する人に対し、家族などが寄せ書きしますが、遺族会によりますと、學さんの旗にある寄せ書きは地元には無い名字であることから、戦地で戦友が書いた可能性があるということです。遺族に日章旗が返還されるのは妙高市内では初めて、県内でも2例目ではないかということです。
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古川さんは「自宅に(學さんの)石碑があり、お盆にお参りしていたが偉大さを痛感した。国のためにとはいえ命を捨てた。戦争はあってはならない」と話しました。
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妙高市遺族会は、市内にある戦没者の遺品などを探し当て、登録する取り組みを進めています。この日章旗も古川さんの理解を得て、活用させてもらえたらと話しています。
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遺族会の間島英夫会長は「語り部として(市内の中学校に)戦争の話をしている。(日章旗は)生きた教材として、切実に訴えることができる」としています。
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