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『忠魂碑』

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『忠魂碑』大分市の歴史を訪ねて
 
春日神社境内の春日公園(春日の杜)内に今も残る忠魂碑があります。
昭和4年(1929年)に大分懸在郷軍人会、県民の奉仕により高さ10m以上で頂上には砲弾を冠した立派な忠魂碑が完成しました。(画像右中)
 
日清・日露戦争、上海事変、大東亜戦争などで戦死した殉国の英霊1,800余名を顕彰する碑として当時市内では唯一のものでした。
忠魂碑の書は豊後高田出身の陸軍大将 金谷範三氏が揮毫してます。
 
しかし戦後、マッカーサー政令(GHQ)により頂上の砲弾をはじめ周囲の霊標や説明銅板も取り除かれ荒れるがままになっていました。
 
昭和32年(1957年)忠魂碑の復旧活動が起こり復旧募金を市民に呼び掛け募金額は一世帯平均15円、市からの援助10万円を含め目標額の35万円に達し工事にかかり昭和33年に新しい忠魂碑が完成する。頂上には砲弾の代わりに平和を象徴する丸い鉄球が冠されていました。(私が子供の頃よく遊んだ忠魂碑です)
 
その後老朽化により解体され平成6年(1994年)2月に現在の春日公園西南の位置に忠魂碑の文字部分だけ残し約三分の一程度にして移設し現在に至ります。(画像)
 
 

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