記事検索

神戸角打ち学会(至福の立ち呑み)

https://jp.bloguru.com/kobenooisan

フリースペース


ブログスレッド

  • 『無鹿の里』を夢見た男! 

『無鹿の里』を夢見た男! 

スレッド
『無鹿の里』を夢見た男!  『無鹿の里』を夢見た男!  『無鹿の里』を夢見た男!  『無鹿の里』を夢見た男!  『無鹿の里』を夢見た男! 
かつて大分の偉人である大友宗麟が俗世を超えた安らぎの地、
キリシタンの国を実現しようとした理想郷 「無鹿(むじか)」
大友宗麟が西洋音楽に魅了され、理想郷に 「無鹿」 と名付けたが・・・

【豊後國の国主 大友宗麟公】
  「大友義鎮(おおともよししげ)」 (1530年~1587年)
   豊後国(今の大分県)の国主! 弱冠20歳にて大友氏21代当主に!
   九州一のキリシタン戦国大名とも言われた九州の雄!
   32歳で出家して大友宗麟(そうりん)と号す。
   1578年(天正6年)宗麟48歳の年に洗礼を受け、洗礼名は「ドン・フランシスコ」と名乗りキリスト教徒となる。

★宗麟が21歳の年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルと引見しキリスト教と出会う。
  領内の布教活動を保護することで、南蛮貿易を活発に行い莫大な利益を得る。
★1576年、ポルトガル人から大友宗麟に日本で初めて「大砲」が送られる。
  この大砲の音の大きさと破壊力により「国崩し」と呼ばれた。
  日本で初めて大砲を使ったのが宗麟だとされる。
★鉄砲も種子島伝来より10年も早く、豊後へ伝わったとされてる。
★宗麟は、日向国(宮崎県延岡市辺り)にキリスト教国(キリシタンの理想国)、
  『むじかの里』 の建設を夢見た。
★南蛮貿易を開花させ理想の国を追い求めた、キリシタン大友宗麟。
  『むじかの里』戦争のない平和な国、理想の国を作ろうと決心するが・・・
  1587年、豊後国津久見にて、むじかの里を夢見ながら病死、享年58歳。

     ※大分駅前の広場に像があります!
      今でも大分(豊後の國)を見据えています。


ワオ!と言っているユーザー

  • ブログルメンバーの方は下記のページからログインをお願いいたします。
    ログイン
  • まだブログルのメンバーでない方は下記のページから登録をお願いいたします。
    新規ユーザー登録へ
ハッピー
悲しい
びっくり